【特別催事】
芭蕉布の着物と帯
〜糸と絣と煮綛と〜
好評につき会期を延長してご案内します。
新入荷の着物や帯をオンラインショップでご紹介中です。
昔も今もたゆまず、歩みを続ける、手をとめない人々がいます。
人間国宝・平良敏子さんが主宰する芭蕉布織物工房で作られた重要無形文化財指定の「喜如嘉の芭蕉布」。
王族に愛された鮮やかな煮綛(ニーガシ―)から、生成り・藍・茶を基調とする絣柄の芭蕉布まで一堂に集いました。 風が抜ける自然布ならではの夏の醍醐味をご堪能ください。
会期:2022年6月24日(金)~開催終了
※好評につき会期を延長してご案内します。
場所:銀座もとじ 和織、男のきもの、オンラインショップ
〈お問い合わせ〉
銀座もとじ和織・和染 03-3538-7878
銀座もとじ男のきもの 03-5524-7472
※お手元確認についてはこちらをご覧ください。
喜如嘉の芭蕉布
民藝運動の祖・柳宗悦氏が著書『芭蕉布物語』の中で「今時こんな美しい布はめったにないのです。いつ見てもこの布ばかりは本物です 」と賛辞を贈る芭蕉布。
平良敏子さんは、戦中に倉敷紡績社長の大原總一郎氏や外村吉之介氏と出会い、戦後、両氏から「沖縄の織物を守り育ててほしい」という激励を受け、喜如嘉の女性達とともに芭蕉布の存続と発展に尽力。時にはアメリカ軍の手袋を解いてまで織物を続け、焼き尽くされた芭蕉畑で糸芭蕉を栽培するところから、芭蕉布の復興を遂げられました。
芭蕉布は糸づくりから
「織りは最後のご褒美みたいなもの」と言われるほど、芭蕉布は糸づくりが工程の大半を占めるといっても過言ではありません。着物一枚を作るには全長20km以上の糸が必要です。台風の多い沖縄で、無農薬で3年をかけて育てた約200本の糸芭蕉の繊維を爪で割き、2万回以上の糸結びを経て、やっと1反分の糸が用意できるのです。平良敏子さんは「糸を見れば、どこの畑で採れた芭蕉の、誰が績んだ糸か分かる」といいます。芭蕉布の一つ一つに平良敏子さんの想いが込められています。
芭蕉布織物工房の裏手にある芭蕉畑
王家に献上された色鮮やかな
煮綛(ニーガシー)芭蕉布
平良敏子さんは首里織の作り手との交流を通じて王朝時代に織られていた色鮮やかな煮綛(ニーガシー)芭蕉布にも挑戦し、花織や絣との組み合わせにより現代の煮綛へと発展させました。
煮綛は、糸を染めやすくするために文字通り綛糸を「煮る」工程を経て精錬・染色するため、希少な糸からさらに熱に耐えうる糸を特別に選りすぐって作られます。
九寸名古屋帯 「煮綛 黄地ヤシラミ格子 花織」
染料:琉球藍、福木、インド茜 他
九寸名古屋帯 「煮綛 格子 赤」
染料:琉球藍、福木、相思樹、インド茜 他
九寸名古屋帯 「煮綛 ヤシラミ乱れ絣」
染料:琉球藍、福木、ヤマモモ 他
九寸名古屋帯 「煮綛 眉引きヒキサギ」
染料:琉球藍、福木、車輪梅 他
平良敏子さんが伝統柄を発展させた
絣模様の芭蕉布
生成り地にエー(琉球藍)とテーチ(車輪梅/シャリンバイ)で染めた絣模様。平良敏子さんは伝統柄を大胆にアレンジし、独自の絣模様を考案して発展させました。
九寸名古屋帯 「変わり八丈に縞格子」
染料:車輪梅、琉球藍
九寸名古屋帯 「藍コーザー 銭玉」
染料:琉球藍
九寸名古屋帯 「風車」
染料:琉球藍
「信念で育む喜如嘉の芭蕉布」平良敏子と芭蕉布織物工房展|和織物語
芭蕉布とは《沖縄県》
「喜如嘉の芭蕉布」は重要無形文化財指定。
数年かけ、200本の糸芭蕉から作られる着物。
芭蕉布は、糸芭蕉の繊維から作る沖縄の代表的な織物。古い書物には13世紀頃からすでに芭蕉布は織られていて、15世紀には現在の工程と同じ技法を使っていたと記されているといいます。 糸芭蕉は原皮が採れるまで約3年の成熟を待たなければなりません。また、背丈ほどにもなる糸芭蕉ではありますが、着物には内側のやわらかな繊維を用いるため、着尺一反分には約200本の原木が必要と言われます。芭蕉栽培から、伐採し、繊維を手で裂いて糸にし、織り上げるまで多くの手間と時間、根気が求められます。 戦前まで沖縄の各地で織られていましたが、今では大宜味村喜如嘉とごく一部の地域のみ。戦後、芭蕉布の生産が途絶えましたが、平良敏子さんにより復興が遂げられました。 1974年、重要無形文化財として、平良敏子さんを代表とする「喜如嘉の芭蕉布保存会」が保持団体として認定。2000年、平良敏子さん個人が、重要無形文化財「芭蕉布」の保持者に認定、人間国宝となられました。
平良敏子さんについて
重要無形文化財保持者(人間国宝)
1920年、沖縄県国頭郡大宜味村喜如嘉に生まれ、現在は「喜如嘉の芭蕉布保存会」代表を務められる平良敏子さん。芭蕉布づくりは、芭蕉の栽培、伐採、苧績み、染め、織りとどの工程をとっても短時間で習得できるものはなく、後継者育成に尽力されています。 平良敏子さんは、20代で勤労隊として倉敷に赴き、帰郷の折に倉敷紡績・社長の大原総一郎氏と民藝運動のリーダーの一人・外村吉之助氏から「沖縄の織物を守り育てて欲しい」との言葉をかけられたとのこと。思いを真摯に受け止め、様々な出来事を乗り越えて尚芭蕉布と共に生き、技術を磨き、後継者育成に励み、1974年には「喜如嘉の芭蕉布保存会」が国指定の重要無形文化財保持団体として認定を受け、2000年には平良敏子さん個人が重要無形文化財「芭蕉布」の保持者に認定、人間国宝となられました。2002年には「勲四等宝冠章」が授与されています。