みなさんは、子供の頃どんな職業に憧れましたか?
現代ではスポーツ選手や医者、花屋さん、ケーキ屋さんなどが定番ですが、江戸の人々はどのような仕事に憧れたのでしょうか。また、着物関連の職人や商人は、どのような位置にいたのでしょうか。
今回は、江戸時代のランキングである番付(ばんづけ)をもとに江戸の仕事事情について見ていきましょう!
番付とは?
『諸国温泉功能鑑』(国立国会図書館デジタルコレクション)
その時々の売れ筋やトレンドなどを垣間見れることから、さまざまな分野で取り入れられているランキング。実は「番付」という呼び名ですでに江戸時代には存在していたことはご存じでしょうか?もともとは相撲の興行日時と出場力士の名前・序列を告知する木製の掲示板(興行札)でしたが、享保年間(1716~1735年)頃に木版印刷に移行。その後、相撲だけでなくあらゆるジャンルの番付、いわゆる見立て番付が作られるようになり、江戸の人々の主要な情報源かつ娯楽の一つになっていました。
番付は、もっとも人気の高い大関を筆頭に、関脇、小結、前頭と続き、順位(役)が下になるほど文字も小さくなっていきます。ランキングに加えにくい別格扱いのものや殿堂入りのものなどは、真ん中の行司や勧進元、欄外の張出に記載されます。
【江戸で人気の職業ランキング】着物関連の職人の順位は…?
『諸職人大番附』(東京都立図書館)
では、まずは職人部門から見ていきましょう。こちらの『諸職人大番附』は、140種の職人が「諸職」と「雛形」に分かれてランキングを競っており、諸職側の1位は大工で、雛形側の1位は刀鍛冶となっています。
朝廷の正式な服装である衣冠束帯を作る装束師や冠師などは行司に、江戸の花と称えられた鳶、火消しのシンボルである纏(まとい)を作る職人などは欄外に書かれており、これらの職業は別格扱いだったようです。
着物関連で見ていくと、諸職の5位に「はたおり」、9位に「ぬいはく(縫箔)師」、雛形の5位に染物師がランクイン。着物関連の職人がかなり上位に入っているため、当時の人々の衣服への関心の高さが窺えます。
ちなみに、これらの職人の給料はどのくらいだったのでしょうか?江戸文化研究家の菅野俊輔氏は著書『江戸の長者番付』の中で、19世紀(江戸後期)の『柳庵雑筆』を参考に、平均年収は現在のお金で428万6520円と紹介しています。その中でも大工は特に高給取りでしたが、日給制であったため、雨が降るとその日の収入はゼロ。これを皮肉って「大工殺すに刃物はいらぬ。雨の3日も降ればよい」という歌も残されており、不安定な部分もあったようです。
大岡越前越え⁉ 呉服商の収入はいくら?
『諸商売人出世競相撲』(東京都立図書館)
続いて、商人のランキングも見てみましょう。1位は米屋と両替屋。米屋は江戸時代の商売の売上高の38%を担っており、両替屋も江戸時代の銀行として預金や貸付、為替などの発行を行っていたので、どちらもかなりの利益が得られる商売でした。
着物関連はというと、東の4位に木綿屋、西の4位に古手屋(ふるてや)があります。木綿屋は木綿生地の専門店で、古手屋は古着商のこと。当時庶民の多くは高級な絹には手が届かなかったため、着物の素材は木綿が一般的。また、手織り・手染めで大量生産できない時代であったため、衣服の流通量としては古着の方が多く、今でいう“リサイクル着物”を着用するのはごく普通のことでした。そのためこれらの商人が上位にランクインするのも頷けます。
ただ、なぜ絹物を扱う呉服店がランクインしていないか疑問に思った方もいらっしゃるでしょう。実はよく見ると、勧進元に「げんぎん(現銀)呉服店」との文字が。別格扱いになっているためランキングには入っていなかったのです。
では、先ほど職人は年収400万円程度だったと説明しましたが、呉服商はどのくらいの年収だったのでしょうか。番付で別格扱いになっていることから高収入が見込めます。こちらについても、前出の菅野氏が同著の中で独自にまとめた江戸の長者番付で具体的な金額を紹介しているので、こちらを参考に見ていきましょう。
<江戸の長者番付ベスト10>
第1位 将軍 徳川吉宗 1294億円
第2位 大名 前田斉泰と溶姫君 1134億9201万6000円
第3位 商人 三井越後屋・三井八郎右衛門 17億5500万円
第4位 僧侶 東叡山寛永寺貫主・輪王寺宮様 7億3710万円
第5位 町奉行 大岡忠相 2億2226万4000円
第6位 歌舞伎役者 三代中村歌右衛門 1億7820万円
第7位 職人 銀座吹所・大黒常栄 1億3300万円
第8位 花魁 吉原の人気花魁 1億2960万円
第9位 火付盗賊改 長谷川宣以(平蔵) 1億230万3000円
第10位 奥女中 江戸城大奥女中 御年寄筆頭・高岳 3520万円
※『江戸の長者番付 殿様から承認、歌舞伎役者に庶民まで』菅野俊輔 / 青春出版社より抜粋
なんと三井越後屋の当時の当主・三井八郎右衛門が将軍と大名に続いて第3位に!年収は現代の価値に換算すると17億5500万円。この金額は、三万石の大名家の石高に相当するとのこと。テレビドラマや小説などのモデルにもなっている著名な幕臣である大岡忠相や長谷川平蔵よりも高い収入を得ていたようです。
この年収はあくまで三井越後屋という大企業の売上なので、すべての呉服店がこの金額だったわけではありません。また、時代によって変動もあったはずですが、それでも呉服商は花形的職業のひとつだったといっても過言ではないでしょう。
着物の売上に貢献⁉ファッションインフルエンサー遊女の番付は?
最後に、番外編として遊女の人気ランキングをご紹介します。
江戸時代のファッションリーダーといえば、歌舞伎役者と遊女。彼らがまとった色柄の着物は飛ぶように売れ、当時の呉服業界の発展に大いに貢献しました。
『新よしわら遊女番付』(東京都立図書館)
西の1位は海老屋内大井、東の1位は玉屋内濃紫。
左:『契情道中双〔ロク〕 見立よしはら五十三つゐ 海老屋内大井 石やくし (傾城道中双〔ロク〕 見立よしはら五十三つい)』
右:『新吉原江戸町壱丁目玉屋内濃紫』(国立国会図書館デジタルコレクション)
行司にはレジェンド的遊女として尾張屋内満袖や玉屋内若紫、尾張屋内長尾、相模屋相生などの名前が見られます。
左:『東錦絵・満袖』
右:『玉屋内若紫』(国立国会図書館デジタルコレクション)
彼女たちは見た目の美しさだけが評価されていたのではありません。遊女の世界は非常にシビアな格付け社会で、華道や茶道、囲碁、書画などを嗜み、すぐれた芸と教養を兼ね備えた遊女ほどランクが上がるのです。確かな品格に裏打ちされた美しさとセンスを持ち合わせていたからこそ、彼女たちはファッションリーダーとして江戸の人々に大きな影響を与えることができたのかもしれません。
大いに栄えた江戸の服飾文化。当時、庶民の間でここまで服飾産業が活発だった都市は世界でも稀です。江戸の人々の技術と感性によって一大産業にまで発展させた着物は、日本が世界に誇るべき文化のひとつ。着物を礼装としてはもちろんワードローブとして継承し続け、人気の仕事ランキングで再び上位を奪還できるくらいの盛り上がりを見る日が来ることを願ってやみません。
【参考資料】
・『江戸の長者番付 殿様から商人、歌舞伎役者に庶民まで』菅野俊輔 / 青春出版社
・『大江戸番付づくし』石川英輔 / 実業之日本社
・『大江戸まる見え番付ランキング』監修・小林信也 / Gakken
〈お問い合わせ〉
銀座もとじ和織・和染(女性のきもの)03-3538-7878
銀座もとじ男のきもの 03-5524-7472