時事通信社から発行される、地方自治体・行政等関係者向けの専門誌「地方行政」にて、「銀座から、新しい『着物時代』を創り出す」をテーマに、弊社の取り組みを全4回にわたり連載いただきました。ぜひご覧ください。
※時事通信社様のご厚意により掲載誌面の全文を公開しております。
(2)「銀座の柳染め」で地域貢献活動を
《2020年2月3日号》
1988年、私は38歳で念願の路面店を東京・銀座2丁目に開きました。お店を持つなら、銀座という日本一の街で。これが21歳で呉服の世界に飛び込んだ時からの悲願でしたので、たった6坪の店でも嬉しさはひとしおでした。
鹿児島県の奄美大島で生まれ育った私は、高校卒業後に駅伝選手を目指して東京都内の大学に進学することになり、船と鉄道を乗り継ぎ、約2日かけてはるばる東京に出て来ました。奄美大島で夢見た東京の、その中心にある「銀座」は、光り輝くブランドです。「銀座もとじ」と店名に銀座を冠したことで、私の店の格が何ランクも上がったように感じたものです。
言ってみれば「銀座もとじ」という店は、〝銀座〟の看板をお借りして成り立っているのです。だからこそ私は、銀座という街に対して昔も今も変わることなく感謝の気持ちを抱いています。
私たちは、銀座の地力、場力を活用させていただいているわけですから、利益が出たら地域に貢献したいと考えていました。企業というのは地域に還元するのが当然であり、また、その役割を担う存在だからです。
そんな思いもあって誕生したのが、「銀座の柳染め」でした。
柳の美しさを着物に生かす
1993年、「銀座もとじ」は銀座2丁目から銀座1丁目の柳通りに移転します。この通りの街路樹がまさに柳で、いかにも銀座らしい風情があります。柳は桜の開花の頃に柔らかな緑の新芽を出します。これが実にきれいなのです。枝が風に揺れ、朝日を浴びて艶やかに緑の若葉が光り、気が付けばその美しさに魅了されて、うっとり眺めていました。
ところが、6月の梅雨を迎える頃になると、まだ柔らかい緑の葉を揺らしている枝が剪定されてしまうのです。理由は、通行人の妨げになるからなのですが、私にとって心安らぐ癒しの存在である柳の枝が、バッサリと切られてごみとして捨てられてしまう様子を、いつも残念に思いながら眺めていました。
ある時ふと、これを生かすことはできないだろうか、と閃きました。私は、銀座に暖簾を出すのなら、銀座ならではのものづくりをしたいと考えていたのですが、このとき、私の思いと銀座の柳が結び付いたのです。着物の世界では、今もさまざまな植物を使って糸や布を染める人がいます。日本全国、各地それぞれに特徴的な草木染めの着物があります。「そうだ、銀座の柳で草木染めをしてはどうだろうか」。銀座の柳で染めた糸や布で、銀座ならではのものづくり。われながら名案でした。
しかし、柳を草木染めに使った例がないこともあり、最初は私の思いを受け止めてくれる作家さんや職人さんになかなか巡り会うことができませんでした。ですが、徐々にさまざまな産地や作家さんが「銀座の柳染め」を手掛けてくれるようになり、今では「銀座もとじ」オリジナルのものづくりとして知られるようになっています。そして、それだけではありません。「銀座の柳染め」は、「銀座もとじ」の大切な地域貢献活動として地元に根付いてもいるのです。
写真 柳の剪定
泰明小学校で「銀座の柳染め課外授業」を担当
銀座の柳の歴史は、明治時代の1874年に遡ります。当時の銀座は、近代を象徴する煉瓦造りの街として整備され、街路樹には桜、松、紅葉が植えられました。しかし、埋め立て地の銀座は土中に水分が多く、そうした木々が根腐れしてしまったそうです。そこで、水栽培も可能な柳が選ばれ、銀座の柳として定着、銀座の街路樹として知られるようになります。大正時代に入ると、車道の拡張により、銀座の柳はすべて抜かれ、イチョウに植え替えられます。昭和の初めに改めて植樹されたものの、今度は東京大空襲により、再びそのほとんどが姿を消してしまうのです。
1984年、「銀座の柳」の復活活動が開始されました。当時、現存する柳は3本、そのうち2本は既に移植できる状態ではありませんでした。そこで、枝を挿木にして育て、銀座の二世柳として育てることに成功します。こうして、「銀座の柳の下で〜」と「東京ラプソディー」にも歌われた「銀座の柳」が復活、1987年には、中央区の木として選ばれ、今なお銀座とは切っても切れない存在です。
前回(1月20日号)、息子が小学生の時、「着物は何でできているの?」と尋ねたことをきっかけに、店を2週間閉じて、店内で養蚕をする「蚕飼育展」を行ったことをお話ししましたが、期間中には、息子の同級生たちが見学にやって来ました。きっと、学校でも話題になっていたのでしょう。これが縁となり、銀座唯一の小学校としても知られる泰明小学校から、息子が卒業した2年後のある日、地域理解教室という課外授業をしてほしいと依頼されたのです。
そこで私が考えたのは、銀座のシンボル「柳」を通して、都会の子どもたちに自然の恵みを感じてもらい、命の大切さを学ぶ機会をつくってみてはどうか、というものでした。
泰明小学校には、正門のところに銀座の二世柳が、また校庭には三世柳が、1本ずつ植えられています。この柳を使って「銀座の柳染め」の課外授業を、5月から6月にかけて全3回行うことを提案、毎年5年生を対象に行われることになりました。
初回の授業は、小学校にある2本の柳の枝を、子どもたちと共に剪定するところから始まります。
まず始めに私は、「今から剪定します。柳の命を頂きます」と子どもたちに語り掛けます。「柳の木はお父さんとお母さん、新しく出た芽は子どもです。はさみで切ると、親子が離れ離れになります。切った柳は煮詰めてハンカチを染める液にします。柳の命は一度その液になり、そして染めるハンカチにつながっていきます」。このような説明に、子どもたちは神妙な面持ちで聴き入ります。
その後、子どもたちはそれぞれはさみを持ち、脚立に上がって、店のスタッフたちと一緒になって柳の枝を剪定します。植物の色で布を染めることなど経験したこともない子どもたちですが、この作業を通して植物から命を頂く意味を理解してくれているように感じます。
ところで昨年、「銀座の柳染め」の課外授業は22回目を迎え、大変ありがたいことに泰明小学校には5年生の恒例行事として体験できることを楽しみにしている子どもも多くいると聞きます。そこで、最近ではこんなふうに語り掛けています。「あなたたちが4年生の時に5年生のやっていたのを見ていましたよね。そのあと、ずっと柳の木はあなたたちを運動会も雨の日も雪の日も見守って、1年間育ったんです。きょう、柳の命を頂くから、葉っぱ一枚、枝一本、無駄にしないでくださいね」。そうすると、子どもは素直です。ちゃんときれいに集めるんですよ。それを私たちが、2時間の授業後に、公園で煮詰めて保管しておきます。
次の週の2回目の授業では、柳と銀座の歴史について学びます。絞り染めの絞り方の勉強会もします。子どもたちはハンカチを2枚染めるのですが、「1枚は今までで一番自分がお世話になった人にあげましょうね」と伝えます。
翌週の3回目の授業で、いよいよ柳染めを行います。ここでは、私の故郷である奄美大島から本場大島紬の糸染めに使う泥染め用の泥を取り寄せて、ハンカチを柳の染液と奄美の泥と交互に浸けて染める体験をしてもらいます。泥大島と呼ばれる本場奄美大島紬をご存じの方もいらっしゃると思いますが、泥は媒染剤と呼ばれるもので、泥に含まれている鉄分が、タンニンと呼ばれる成分を含んだ染料で染めた糸を黒く発色させます。柳染めの場合も、泥染めの泥が柳の色素の発色を促し、きれいなグレーに染め上げます。しかし、子どもにとってはそんな理屈よりも、泥に触れ、泥で染める楽しさがまず第一でしょう。泥から色が生まれる。これもまた自然の恵みです。
泥の発送に協力してくれるのは、奄美大島の龍郷町にある私の出身校・大勝小学校の子どもたち。大島紬の泥染めをする職人さんたちと一緒に、泥染め用の泥田から泥をすくって用意してくれています。12年前、泥のお礼として、泰明小学校の二世柳の挿し木をプレゼントしました。いつか、この柳を通じて、銀座の子どもたちと奄美の子どもたちとの交流が生まれればと願い、大勝小学校に贈りました。現在、大勝小学校のプールの横で、銀座の柳が枝を揺らしています。
写真 染めの授業
銀座と奄美の小学校を「柳」で結ぶ
交流というのは面白いものです。現代のツールを使って新しい動きが次々生まれました。2017年には、課外授業が20回目を迎える特別企画として、テレビ電話による交流授業を開催しました。事前にお互いの学校生活や地域を紹介するビデオレターのやりとりから始まり、大勝小学校の5年生の子どもたちはテレビ電話を通じて大きなスクリーンの前で泰明小学校の柳染めの授業をライブで見学し、また、銀座と奄美大島の小学生同士が対話もしました。
自分たちの地元の泥を使い、銀座の子どもたちが歓声を上げて染めている。しかも柳染めに使われている柳は、自分たちの小学校にもある木の親なのです。奄美大島と銀座の距離がぐっと近づく機会となりました。
大都会の子どもたちは大自然に触れていません。また奄美の子どもたちは、大都会を知りません。銀座の柳と奄美大島の泥という地域の特徴ある産物を介したこの交流により、銀座の子どもたちは南の島の生活や自然に興味を持つきっかけとなりましたし、また、奄美大島の子どもたちは、将来、大きくなったときに大都会に出ることがあっても、堂々としていられるのではないでしょうか。「銀座の柳」が架け橋になり、子どもたちの世界が広がることは、私にとっても思いがけない喜びとなっています。
写真 染め上がったハンカチ
ボランティア活動を通して学ぶこと
「銀座の柳染め」の課外授業を通して、私たちもまた子どもたちからたくさんのことを学んでいます。子どもは素直だから聞く耳を持っているんです。だからこそ、どんどん成長する。柳染めを経験した5年生が6年生になって、そして卒業します。課外授業を担当するようになって以来、私は毎年3月に泰明小学校の謝恩会に招いていただいているのですが、前の年にはまだ幼かった子が、胸を張って自分の夢を語っていることにいつも驚かされます。「国連に入りたい」「国際弁護士になりたい」「外科医になりたい」と、どの子も立派で具体的な夢を語るのです。子どもたちはどんどん成長している。その素晴らしさに毎回感動しますし、自分たちも素直な心を忘れずに精進しなければいけない、といつも気持ちを新たにします。私たちはこの課外授業を任されてはいますが、子どもたちから逆に多くのことを教えてもらっています。
地域貢献活動では、誠心誠意ボランティアの気持ちで向き合わなければいけません。これは私が肝に銘じていることの一つです。子どもたちは敏感ですから、不純なものを嗅ぎ取る力があります。ですから、課外授業を手伝ってくれる店のスタッフもみんなボランティアです。参加は、自分たちの休日に。子どもたちには同じ目線で接してください、と伝えています。私たちの仕事は、常に相手の立場に立った気持ちで行うことが大切です。そして、そうした仕事こそが力となり、人を成長させます。だから、この課外授業は「銀座もとじ」にとって大切な社員教育の場にもなっているのです。
面白いのは、スタッフによって個性が出てくることです。子どもと同じ目線で関われる人には、子どもが集まります。一方、大人ぶった上から目線で接するとまったく寄って来ないんですね。素直な気持ちと、子どもと同じ目線で向き合えるかどうか。これは接客にも大いに生かせることです。
地域とのつながりから生まれる絆
おかげさまで「銀座の柳染め」は、今では泰明小学校のシンボルになっているとのことです。小学校を卒業した子どもたちに銀座でばったり会うと「銀座の柳のおじちゃんだ」と駆け寄って来てくれます。みんな染めたハンカチについて話してくれるのです。「1枚はおじいちゃんに渡して、1枚はお弁当を包むのに使っています」などと言ってもらえるのは、うれしいですよね。みんないつまでも、本当に大事に使ってくれています。また、店の近くのコーヒー店で受験勉強し、疲れるとうちの店に息抜きにやって来る子もいます。入学試験に合格し、うれしそうに報告もしてくれました。地域貢献活動をさせていただける喜びと、銀座に店があるありがたさを、そんなときに改めて感じます。
もちろん1年や2年ではなし得なかったことです。一年一年の積み重ねがあり、地域に還元したいという思いを抱き続けてきたからこそ、評価を頂けたのでしょう。「銀座の柳」という誰もが知る銀座のシンボルを、ものづくりに生かせたことは、幸運なことだったと思いますが、それは私が地方から東京に出て来て、銀座ブランドの力を人一倍感じていたことも背景にあります。また、私には「人がやらないことをやろう精神」があり、また、「業界の常識は一般の非常識」であるということを、痛いくらい肌で感じていたために、思い切ってチャレンジできたところもあります。
次回は、そんな私が始めた常識破りの「男の着物専門店」の開店裏話を中心に、産地や作り手を盛り上げるお話をさせていただきたいと思います。
写真 銀座の柳の染料を使って絵を描いて
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