泉二弘明のおすすめの逸品 藤山千春作プラチナボーイ角帯
「わたしは、お客様に現代の街並に馴染むきもの姿をご提案していますが、藤山さんの作品は、まさに大変都会的なセンスで制作されています。 わたしの着ているこちらのきものも藤山さんの吉野間道の作品です! 地色は、生成色や白に近いのですが、格子を成す浮織の部分が畝となって、薄銀鼠を感じさせる陰影が醸し出されていて、大変表情豊かなこちらのきものに一目で惚れてしまいました。 このきものは私の勝負服なんです! ここぞ、という大事なときに着させていただく一枚です。自然の草木で丁寧に染められた藤山さんのこの作品は、清清しさを感じさせてくれ、気持ちがとても引き締まるのです。」
銀座もとじは、草木染織作家 藤山千春さんと、2004年に文化出版局のミセスという雑誌で行なわれた「きもの紀行」という企画で店主 泉二が藤山さんにお会いして以来、お付き合いをさせていただいています。
藤山千春さんの吉野間道との出会い
幼少の頃より母方の実家の八丈島の織物に触れながら育った藤山千春さん、生まれは、東京都品川区。女子美術大学の付属高校から大学は工芸科に進まれ、卒業後は、柳悦孝先生(後の女子美術大学学長であり、柳宗悦氏の甥)に師事します。
そこで、柳悦孝氏らが復元した南蛮渡来の縞織物である「吉野間道」に出会い、柳悦孝先生のもとで吉野間道の染織を学ばれます。
1978年には、現在の工房である品川区大井町にて染織業を始められて以来、着物通の方にも幅広く支持される素晴らしい作品を作り続けられています。
吉野間道とは
「間道」とは、古い時代に中国から入ってきた“縞”柄の織物のことを意味します。
江戸時代初期の寛永年間、“吉野太夫”という、京都の遊廓島原の遊女で、舞や和歌、茶道などの諸芸に秀で、知性と優しさと美貌を兼ね備えた、天下随一の太夫と謳われた名妓がいました。
藍染めの際、藍を発酵させるために用いる木炭の「紺灰(こんぱい)」の商いで財を成した京都の豪商、灰屋紹益(はいやしょうえき)が、その吉野太夫という名妓をめぐって、後に関白となる近衛信尋(このえのぶひろ)と争いを繰り広げますが、吉野太夫は灰屋紹益に身請けされます。