「丹波布」との運命的な出会い
1941年、高知県土佐生まれの福永世紀子さんは、武蔵野美術短期大学工芸デザイン科卒業を卒業後、会社員として商業デザインに携わる仕事に就かれていました。その後、織りの世界に興味を抱き、1970年に「綴織」の人間国宝 細見華岳氏に師事し、綴織を学ばれます。
33歳の初夏、人に誘われ初めて赴いた丹波の地で、丹波布復興に尽力していた足立康子さん宅を訪問し、「丹波布」との運命的な出会いを果たします。
土佐の福永世紀子さんの工房で。糸車で、綿糸を紡ぐ。
「土佐手縞(とさてじま)」の誕生
その衝撃的な出会いを機に、福永さんは、自らも丹波布に携わっていくことを決意します。1975年、丹波に移住し、本物の丹波布を追い求め一心に古来からの丹波布の復元と研究をされました。1987年には、日本伝統工芸展入選。1999年になると、生まれ故郷の土佐郡土佐町に戻り、工房を構えます。その丹波布の作品を、ご自身の故郷にちなんで「土佐手縞(とさてじま)」と名付け、経糸、緯糸とも手紡ぎの木綿糸を使用し、組織織の出来る第一人者として活躍を始めます。丹波布に惚れ込み、「木綿のためなら」と自分の命、生活のすべてをかけて、草木染による手紡木綿布の作品制作を生まれ故郷で再スタートしたのです。高度な織の技術と美意識
福永世紀子作 古丹波布写し着尺
丹波布は平織りですが、福永さんが作る「土佐手縞」の帯は表情や趣を出すために綾文様で織っています。組織織の本で独学習得し、6枚綜絖と8枚綜絖の機を使って帯を作っています。現在では帯は8枚綜絖の機で織るのが中心です。丹波布は途中で「くず繭」をずりだしにして入れ込みましたが、福永さんの場合は絹糸を時々飾り程度に織りこみます。それ以外は綿糸ですべて織りあげます。「私はね、八枚綜絖で織るのが好き。可能性が広がって楽しいから。」
“プラチナボーイ”の絹糸を用いた極上の羽織作品
今回ご紹介いたしますのは、"古丹波布写し"の作品です。福永さんが蒐集された"古丹波布"の生地見本帳から、店主の泉二と共に作品にするための生地見本を選び、今回の個展のために"古丹波布写し"として、織り上げていただきました。
エジプト綿に緯糸にはプラチナボーイから紡いだ国産の絹糸を用いて。藍や栗皮などの草木染料を用いて。
さらにこちらは、【プラチナボーイ】の絹糸を、緯糸に加えて織り上げた「羽尺(コート地)」作品でございます。プラチナボーイは、結城紬の結城で太さや撚りを指定し、糸を引いていただいたものを用いています。
手のぬくもりをたっぷりと感じる綿布。ほどよい厚みとふっくらとした糸の感触は綿素材ならではのものです。薄茶、浅藍、濃紺で織り成された小格子模様の綿布。今回はそこに、プラチナボーイの美しい輝きを放つ白い絹糸が織り込まれ、絹本来のしなやかな輝きが浮かび上がる極上の絹糸は、光をあびて、本当に小さなキラキラとした輝きが放たれます。おだやかな綿布と輝く絹糸との出会い、不思議で美しい調和が生まれた逸品でございます。これまでにない独得の風合いに仕上がっており、ぜひ手触り、着心地ともにご堪能いただけたらと願う特別なひと品です。
伝統の技術を復刻させるだけでなく、色柄のセンスにも定評のある福永世紀子さんの感性を通じて生まれる貴重な作品です。ぜひこの機会に上質な手紡木綿布の味わいをご満喫ください。