森口邦彦先生の工房にて。Photo:塩川雄也
※「邦」は正しくは旧字です。
11月22日(金)~24日(日)に開催の「重要無形文化財『友禅』保持者 森口邦彦展」に向けて、京都にある森口邦彦先生の工房を訪問しました。
森口邦彦先生が蒔糊を目の前で
実演してくださいました!
お話を伺うだけでも十分すぎる幸運と思い参りましたが、作業部屋へ通していただくと、なんと先生は蒔糊の実習セットをご用意くださっていました。
濡らした生地に粗密を考え糊を蒔く。糊はまだ密着していない。
「蒔糊(※1)」とは防染技法の一種で、森口邦彦先生の友禅作品に欠かすことのできないものです。糊を薄く延ばして乾燥させ粉砕し、生地の上に蒔いて水分を与え定着させることで、防染糊として機能します。
今や広く知られる「蒔糊」という言葉ですが、これはお父様の森口華弘氏が漆工芸の蒔絵にちなみ命名したもの。友禅の模様の背景は無地染が通例だったところ、華弘氏が蒔糊を背景全体に用いる手法を見出し、新たな友禅表現を確立されました。
友禅訪問着「九重亀甲花文」の一部。
そして、その蒔糊自体を表現の主体として昇格させたのが森口邦彦先生です。ジオメトリックな図形(幾何学文様)との融合により、花鳥風月の枠を飛び越えた、グラフィカルで斬新な友禅世界を切り拓かれたのです。
糊の粒子は思っていたよりも小粒で硬くサラサラとしています。水で湿らせた生地の上に粗密を考えながら蒔き、さらに一粒ずつピンセットで調整していきます。
蒔糊の原料はもち米の粉、糠、塩。粗挽き豆ほどの粒度。
蒔き終えて糊粒子の位置が決まったら、生地の裏側から刷毛で水分を与え糊を生地に食い込ませます。水分により糊がふやけて粒同士が繋がり、細胞と細胞が結びつくように有機的な模様が生まれていきます。まるで糊が生きているようです。
その後、生地を乾燥させてから染色の工程へ。しっかり乾いた糊の粒子は、擦っても叩いてもびくともしません。梅雨時は湿気を吸い込んで『糊が太る』ので、乾燥と染色のタイミングは特に慎重になる必要があるそうです。
「アーティスト」と「アルティザン」
森口邦彦先生の二つの側面
作品は、仮仕立(仮絵羽)をした生地に下絵、仮仕立を解き伸子張りをした生地に糸目糊置き・色挿し・糊伏せ・蒔糊・地染めなど、数多くの工程を経て完成します。その作業プロセスだけでも数ヶ月を要しますが、森口先生が最も重要視し、時間を割かれているのは下絵に到るまでの「草稿」です。
先生いわく「友禅作家・森口邦彦」には2つの側面があり、作業プロセスでは「アルティザン(職人)」、新しいデザインを考える時は「アーティスト」として在るとのこと。
「一番ワクワクするのはどんな時ですか?」と質問すると「仮仕立をした生地に下絵を描いている時」と即答されます。紙上で試行錯誤したことを真っ白な生地の上に展開し、真新しい線を走らせている時は、まさに「ワクワクドキドキ」の瞬間なのだそうです。
先生の作業机には、膨大な数の未完成の草稿がストックされ、着想から1か月で完成に至るものもあれば、中には20年以上前から断続的に練り直しているものも。
「図形は一つの哲学であり、『これ以上に直しようがない』という所まで突き詰めれば、自ずと自然の成り立ちに近づくように思います。これらはそこへ到達するのを待っている『未来の完成を待つ、今日の‟試み”たち』なのです。」
今回の個展に向けて銀座もとじオリジナルの特別な絹布「プラチナボーイ」で制作いただいた「位相三ツ鱗文 みなもと」のデザインは、風力発電の「風車」から着想を得たものだそうです。
森口邦彦作 友禅 訪問着「位相三ツ鱗文 みなもと」
120°の間隔で3枚の羽根を携える風車は、世界中のどこに行っても同様の形状で見られ、大自然のエネルギーを人間の生命の「みなもと」である電力に転換し授けてくれる存在。「いつか僕が取り組まなければならない現代的なテーマのひとつだった」と仰り、「なかなか良くできたでしょ?」とニコッと微笑まれます。
パリ留学でバルテュスと出会い
「あらゆることが成された」友禅の世界へ
「華弘は私の父ではありません。近代友禅の父なのです」 2019年の「和織物語(多摩美術大学教授・外舘和子先生著」)に森口先生の言葉があります。
華弘氏は動植物などの具象模様を得意とされ、その並外れた運筆を間近で見て育ったが故に、同じことをしても太刀打ちできない、独自の何かを見つけなければという気持ちを早くから持たれていたそうです。
またお父様も「二代目 森口華弘ではなく、初代 森口邦彦として生きよ」と、自分の道を好きなように切り拓くよう期待されていました。
高校卒業後は絵画を志し京都市立美大へ。榊原紫峰、上村松篁といった錚々たる画家に日本画を学ばれつつも、展覧会で目にしたフランス美術に惹かれ渡仏を決意。1963年、22歳の時に名門・パリ国立高等装飾美術学校にフランス政府給費留学生として入学されます。
1960年代のフランスは、アメリカのポップ・アート(※2)旋風に対抗するかのようにオプ・アート(オプティカル・アート)(※3)、錯視的な抽象芸術が注目されていました。バウハウス(※4)出身者らが名を連ねる教授陣から、グラフィックデザイン、建築やアートの先端教育を受け、森口先生は優秀な成績を修めました。
「琳派にしても、単に日本で17~18世紀に流行した様式としてではなく、余白そのものが造形になるという新しい価値観としてユニバースな表現に昇華しているのです。フランスの画家たちが浮世絵に敏感に反応してジャポニズムから学んだことが、デザインの美意識として集約されバウハウスに繋がった。僕はそのバウハウス出身の教授から、かなり迂回して琳派の本質を教わったことになります。」
卒業後はフランスでグラフィックデザインの職に就こうとしましたが、それを引き留めたのが、年上の友人・画家のバルテュス(※5)でした。
「個人の人生を思うように生きるのもいいけれど、長い歴史の中に生きることの価値を見出すことが大切だ。日本で伝統文化に携わり自分自身を再発見するべきだと、強く諭されました。」
日本文化を敬愛していたことに加え、ポーランドからの亡命貴族出身であるバルテュスの言葉は重く、故郷・日本へ帰り華弘氏のもとで友禅の道へ進むことを決心されます。
決意の朝、空を見上げると、たくさんのムクドリが編隊を組んでぐるぐると旋回しています。無数の影はまるで蒔糊のようであり、望郷の念と共に見たその光景を今も忘れられないそうです。
帰国してからは華弘氏のもとで修業の日々。森口先生がすべきことは二つ。一つは「父の助けになること」、もう一つは「父の邪魔をしないこと」でした。
模索する日々の中、はじめての個展に染織史家の山辺知行先生が寄せてくださった紹介文は、森口先生を大いに励まし鼓舞してくれたとのこと。
- 全てのことが成されたと思われる友禅の世界で、新たにチャレンジする若者がいる。-
隙間なく色を配した友禅の時代を経て、華弘氏の空間性ある単彩の世界に至り、全てのことが成された・・確かにその通りだったけれども「何か自分にしかできない世界があるはずや!」という気持ちは常にあったと仰います。
「僕は父の世界に魅入られていたらダメになっていたかもしれない。自分だけの世界を作ることができて本当に良かった。」
森口先生にとっては自然な流れで、ジオメトリックと友禅の融合という新しい表現を見出されてゆきました。
森口邦彦作 友禅 訪問着「九重亀甲花文」
ユニバーサルな視点で伝統工芸を纏う
まだ見ぬ貴方を思い、僕は変わり続ける
10周年を迎えた三越のショッピングバッグ「実り」や、ヴァンクリーフ&アーペルの「プレシャスボックス」、セーブルのカップ&ソーサーなど、海外ブランドとのコラボレーションにも積極的に取り組まれる森口先生。それらはすべて、着物をベースにしていたからこその広がりだと仰います。
三越のショッピングバッグ “実り” 参考画像:三越伊勢丹
友禅の道へ入られてから半世紀以上。日本工芸会を牽引され、いわば「伝統の最先端」を指揮する立場を長く務めてこられました。
「僕は今、最終コーナーを曲がってまっすぐに走っている、という時間を生きています。」
未来へ向けていかに着物や伝統文化を継承していくのかを考えていらっしゃるそうです。作品がメッセージを発し続ける、それにより文化の精神性は後世に伝わり伝統が継承されるのだ、と。
大きな視点で着物文化の存続を考えれば、柔道や漫画がユニバーサルな世界で評価されたように、伝統工芸もまた、国際的なムーブメントの中で捉え直されなければならないかもしれない、と仰います。
「着物ならではの品位を大切にして、ユニバーサルな世界で日本の伝統工芸を大事にする人が生まれてほしいですね。日本の女性は着物姿が一番美しいのだから。」
品位とは?先生に質問してみました。
「英語ではDecensyが近いでしょうか。その人その人に授けられた命をより豊かにしようと思ったときに生まれてくる美の世界・・それを『品位』と呼びたいですね。」
そのようにありたいと祈ること、それこそが品位だと仰います。
「僕は、着物は作るけれど、誰が着るかは選べない。自分で選べないから作り続けられるのだと思う。」
際限なく創造の泉が湧くのは、女性を綺麗に見せたいという純粋な願いを、不特定多数の人々に向けているからだと仰います。
「僕は『友禅の着物は女性の甲冑である』と思っているんです。 人生のここぞという時に、最高の着姿で『守ってあげますよ』という気持ちです。僕一人くらい、女性を心から美しくしたいと願っていてもいいでしょう?」
(2024年10月 京都・森口邦彦先生工房にて)
※1 蒔糊:森口華弘氏が漆工芸の蒔絵からヒントを得て友禅に応用した技法。それ以前の友禅にも細かい糊のかけらが一部に使われた形跡はあるが、蒔絵のように砂子状の模様を全体に施す技は独自のもので、華弘氏が十数年かけて完成させた。
※2 ポップアート:現代美術の芸術運動のひとつで、大量生産・大量消費の社会をテーマとして表現する。1960年代にアメリカ合衆国でロイ・リキテンスタインやアンディ・ウォーホルなどが現れ全盛期を迎え、世界的に影響を与えた。
※3 オプアート:錯視の知覚心理学的なメカニズムにもとづいて、特殊な視覚的効果を与えるよう計算された絵画作品のジャンルで、原則として抽象作品である。ハンガリー出身のフランス人芸術家であるヴィクトル・ヴァザルリが創始者とされ、1960年代半ばに『タイム』紙で「オプ・アート」の造語と共に大衆的に紹介された。
※4 バウハウス:1919年、ヴァイマル共和政期ドイツのヴァイマルに設立された、工芸・写真・デザインなどを含む美術と建築に関する総合的な教育を行った学校。またその流れを汲む芸術を指すこともある。
※5 バルテュス:(1908-2001)20世紀を代表するフランスの具象画家でピカソに「20世紀最後の巨匠」と称えられた。親日家であり1962年に東京で出田節子と出会い再婚。
重要無形文化財「友禅」保持者 森口邦彦展
重要無形文化財「友禅」保持者 森口邦彦氏による5年ぶりとなる個展を開催します。
作品の奥深い空間性、唯一無二の存在感と品位は作家の生き方と確かな友禅技術から生み出されます。
時代の変革の中でも変わらない伝統の根本と本質を探求し続け、
新たな友禅表現の世界を切り拓く作家の新作20作品を一堂に。
この機会をどうぞお見逃しなく御覧ください。
重要無形文化財「友禅」保持者 森口邦彦展
会期:2024年11月22日(金) ~24日(日)
場所:銀座もとじ 和染、オンラインショップ
〈お問い合わせ〉
銀座もとじ和織和染 03-3538-7878
銀座もとじ男のきもの 03-5524-7472
森口邦彦先生 特別講演 ぎゃらりートーク
日時:11月23日(土)10~11時【開催終了】
登壇者:森口邦彦氏、外舘和子氏(多摩美術大学教授)、泉二啓太(銀座もとじ店主)
「僕は美しいものをつくりたい」、今に問い続けるあくなき探究心。
デザインの魅力、意匠に込められた創造性に迫ります。
会場:銀座もとじ和染
定員:40名様(無料・要予約)
「和織物語」を取材執筆(近日公開予定)いただいた、多摩美術大学教授の外舘和子先生をお迎えいたします。
店主 泉二は、2022年9月の就任記念パーティーで森口邦彦先生と初対談。今年6月の奄美大島の講演会にも同行させていただきました。
森口邦彦先生 特別講演会
日時:11月24日(日)10~11時【満席御礼】
登壇者:森口邦彦氏、外舘和子氏(多摩美術大学教授)
森口氏が歩んできた「自分の中に答えを見つけていく日々」
秩序の発見から展開へ、新たな友禅表現の世界を切り拓く作家の思考に触れます。
会場:紙パルプ会館 フェニックスプラザ(東京都中央区銀座3-9-11 紙パルプ会館内)
定員:100名様(無料・要予約)
2024年の第58回 日本伝統工芸染織展で鑑審査委員長を務められた多摩美術大学教授・外舘和子先生を聞き手にお迎えした特別講演会です。
※美術・文化を学ばれる学生の皆様もこの機会にぜひご参加ください。