昨年の春、初めて奄美大島を訪れた際に大変お世話になった、店主 泉二の幼馴染であり、大島紬の織元をされている、前田紬工芸の前田さん。当時、全く面識も無かった私を奄美空港まで迎えに来て下さいました。
前田さんに案内いただく場所を訪れる度、前田さんやわたしを出迎えてくれる方の笑顔や親しみのこもった会話の弾み方には、まるで兄弟姉妹かと思うような、お互いのことを思いやるあたたかみに満ちていて、生まれてはじめて訪れた未知の小さな島なのに、ふるさとを訪れているような感覚に陥ったほど、人と人との関わり合いのあたたかさが大変印象的でした。
満員電車にゆられる日々を繰り返している都会に生きる人々にとっては、人との距離感というのは図りづらいもになっているのかもしれません。
前田さんの工房を訪れるとご子息とそのご家族もいらして、そこを訪れる方々は、お客様なのか、ご親戚なのか、ご家族なのかわからないくらい親しい雰囲気で、わたしは終始頭の中が混乱していました。みんな家族みたいで、関係性がよく読めません。
そしてそのことを素晴らしいことだと感じます。きっと、奄美大島の方々にとっては生まれたときから当たり前の日常の光景なのだと思うのですが、人と人との結びの強さというのは、何にも勝るものなのではないかと思えます。
また、そのような人と人とのつながりを生み出しているのは、「島」という周りを海に囲まれ独自の文化や価値観を形成しやすい土壌、そして言語も文化も異なる人々や物資がいつ渡ってくるか分からない、外来のものを常に柔軟に受け入れてきた奄美大島という、地理的な環境ゆえかもしれません。
第1回目のコラムでもご紹介させていただいた、奄美大島の人々が、謙虚な気持ちで、常に周りへの感謝の心を忘れず「尊々加那志(とうとがなし)」、「拝(うが)みんしょらん」という挨拶の言葉を交わしながら築き上げていく、家族のような人と人との関わり、そしてそこに見出される人間的な豊かさの中で、手仕事によって生まれる「大島紬」。
奄美大島を訪れてからというもの、「大島紬」がより親しみの感じられる織物となって、「大島紬」を纏うことが、笑顔に満ちたあたたかいぬくもりをともに纏うような、そんな気持ちになるのです。
※「尊尊我無」という表記も見られますが、本来は「尊々加那志」の表記だそうです。