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高級絣織物へと変化する「大島紬」~全国的に人気を博する~

~明治時代中期 その1~ 高級絣織物へと変化する「大島紬」 ~全国的に人気を博する~ 明治時代に入ると、大島紬の需要の拡大に伴って、絣製織技術は進歩していきます。
大島紬
明治中期、1890年(明治23年)には、調整針を用いて細かな絣模様を正確に合わせる技法が喜界島出身の浜上アイ女史によって考案され、大島紬の品質は一段と向上します。
同年4月、第3回内国勧業博覧会(近代日本における新しい文明の成果や他国の文化を人々に伝える政府主催の博覧会)に丸田兼義(けんぎ)によって出品された大島紬は、大変好評を得ます。それ以来、「大島紬」はその価値を広く認められ、需要が定着していきます。 また、奄美出身の大阪の商人、松元弥市郎(まつもとやいちろう)氏による紬の販路拡張と品質改良への尽力も普及の一躍を担いました。日清戦争に勝利した1895年(明治28年)、景気向上に伴い、生産がさらに増大していくと、原料糸が地場産の手紡ぎ糸では間に合わず、名古屋地方から玉糸※を買い入れるようになります。
※2匹以上の蚕が共同して作った繭を玉繭といい、玉繭から繰糸した糸が「玉糸」。生糸より太く節があるが、丈夫で野趣のある織物ができる。松元氏の尽力により、名古屋の豊橋地区より安定的に玉糸を仕入れることができた。
大島紬の市場開拓に長年に渡り 尽力し貢献した、松元弥市郎氏。 大島紬の市場開拓に長年に渡り
尽力し貢献した、松元弥市郎氏。
故松元幸也氏の妻 松元タヅ子さん 松元弥市郎氏の甥にあたる
故松元幸也氏の妻 松元タヅ子さん
松元弥一郎氏が生まれ育った家 (笠利町) 現 松元タヅ子さん宅 松元弥一郎氏が生まれ育った家
(笠利町) 現 松元タヅ子さん宅
1897年(明治30年)頃には、織機が改善され、腰を使って織る「地機」から「高機」 に切り替わり、生産能率が向上します。 そして、1899年(明治32年)頃には、大島紬は、第一期黄金時代といわれる活況を呈し、奄美群島の経済を支える一大産業に成長していきます。
高機(腰板に腰掛けて織る手織り機) 高機(腰板に腰掛けて織る手織り機)
1901年(明治34年)、大阪で大島紬の販路拡大に努めた松元弥市郎などが発起人となって、鹿児島県大島紬同業組合(本場奄美大島績協同組合の前身)が設立され、大島紬の品質向上と信用保持に努める目的で、製品の検査が開始されます。以後、組合の体質も変化を辿りながら、品質改善がなされ、次第に大島紬は、"高級織物"として全国的に知れ渡るようになります。 そしてこの後、「大島紬」に変革をもたらす歴史的大発明が、この小さな南の島で成し遂げられるのです。

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