日本全国に広く知れ渡り、愛されてきた、“大島紬”。 昭和47年頃から50年代中頃にかけて隆盛を極め、年間生産反数は奄美と鹿児島両産地を合わせて87万反を越えた大島紬も、その後、国際化が進む平成の時代に向かって、日本人の生活スタイルが多様化するとともに、着物そのものの需要は著しく低迷し、平成20年には大島紬の生産量は5万反程度に激減、その後はさらに下降の一途を辿り続ける、という厳しい現実に直面しています。
着物の原型とされる、「小袖(こそで)」が登場したのは、平安時代。 わたしたち日本人にとっての着物の歴史とは、平安時代からと考えても1200年以上もの長きにわたります。"着物"を日常着として身につけていた1200年という長い時代を経て、明治初期より"洋服"が普及しはじめ、大正時代には、和服はすっかり洋服にとって代わられる時代が到来しました。 しかし、わたしたちが日常着としての着物を手放してから、まだたったの100年ほどです。 「着物」は、かつてのように、すべての日本人にとっての日常的な衣服に戻ることはないでしょう。けれど、形を変えて、おしゃれを楽しむ人々のファッションのひとつとして、そしてときには優れた礼装として、これからも日本人にとってかけがえのない、誇るべき衣装として存在し続けることには代わりありません。
今回、「大島紬」の歴史について全8回に渡ってお届けして参りました。 歴史を辿るなかで、人々が奄美大島の発展、奄美の人々の暮らしを向上させたい、という願いを持ちながら、先祖伝来の伝統を守り、技術の改善、向上に尽くし、より上質で高級感ある大島紬を開発しようと、努力を積み重ねてきた先人たちに触れてきました。
そうした貴重な文化遺産を我々の世代で途絶えさせてしまうわけにはいかない、という熱い思いがふつふつと沸いて参ります。 奄美大島や鹿児島といった「大島紬」生産地のみならず、日本全国の着物の各産地において、似た様な課題を持ちます。 各産地でつくられてきた着物というのは、その土地ごとの歴史や風土、伝統技術、民族性、芸術性などを反映しながら今に伝わっており、いわば日本人にとっての文化的財産そのものです。後世にその財産を引き継いで行けるのは、現代に生きるわたしたちでしかありません
銀座もとじの店主 泉二は、まさに今この大島紬に力を注がなければ、古より人から人へと伝わり受け継がれてきた貴重な技術の継承は途絶えると思い「大島紬の復活と可能性」をテーマとし、2012年2月に大島紬専門店「銀座もとじ 大島紬」をオープンいたしました。 一反一反をより丁寧に、より現代の街並みに似合う大島紬を作り続けている職人の方々とともに、精鋭のチーム体制で、より今の時代に求められている大島紬の作品づくりを続け、みなさまにお届けし続けて参ります。これからもぜひご期待ください。