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染織作家・福永世紀子さんのぎゃらりートークを開催しました

2014年4月3日(木)〜6日(日)まで、銀座もとじにて開催した『福永世紀子展 〜はじまりの古丹波布〜』 4月5日(土)には、福永世紀子さんをお迎えして、ぎゃらりートークを開催させていただきました。 かわいい! おちゃめ! 福永世紀子さんにお会いするとそんな言葉がついこぼれてしまいます。キラキラと輝く無邪気な笑顔、好奇心旺盛な表情に、思わずこちらも楽しくなってしまいます。ぎゃらりートーク中も「こっちの方が私もスライドが見やすいから」と、自らもお客様側の席の横にぱっと移動してお話し出したり、ご自身の写真が出ると「ダメダメ! もう次々! 」と恥ずかしそうにされたり、その自由な明るさは私たちを自然と笑顔に導いてくれます。 そんな福永世紀子さんのおちゃめさと行動にぱっと移す力、そして笑顔の中に潜むただならぬ芯の強さがあったからこそ、「土佐手縞唐木綿風綾織」という、福永さん独自の、8枚綜絖を駆使した大変複雑で現代的な織の極上の綿布を生みだすことができたのでしょう。 「考えるより行動が一番」「自分がまずは楽しみたい」 その想いで駆け抜けた染織の道40年の月日を伺いました。
福永世紀子作 古丹波布写し着尺
福永世紀子作 古丹波布写し着尺

1941年、紀元2600年に当たる年の元旦に、福永さんは旧満州国で生まれました。 記念すべき日に生まれたので「世紀子」と名付けられました。故郷の高知で伸びやかに育った福永さん。幼い頃から自分の意志がしっかりとあり、好きなことはするが、嫌いなことはしないという頑固者だったそう。 家の周りに咲く花をスケッチしていれば何時間でも機嫌よく過ごしていたという福永さんは、高校卒業後、デザインの専門学校2校と美術大学へ進学、卒業後はシートクロスのペーパーデザインを手掛ける会社へ就職しました。
3年後退職し、家族が心配していたところ、今度はなんと、綴織の人間国宝 細見華岳さんへ弟子入りを志願。 細見さんは福永さんのあまりの熱心さに「3年は必ず頑張ること」を条件に弟子入りを許可。しかし1年半が経つ頃には 綴織の分業制になじめず、福永さんは工房を飛び出してしまいます。残り1年半は自宅で制作して届けるという日々を過ごし、3年の修行を終えたといいます。
綴織の仕事を続けていた33歳の初夏、友人に誘われてなんとなく訪れた丹波布の産地で、運命を変える衝撃の出会いがありました。 縁側で何気なく糸車を廻すおばあさんの手から生み出される、魔法のような糸。その美しさに一瞬で心を奪われてしまったのです。 「これをやりたい! 」 思い立ったらすぐ行動の福永さん。それから半年後の12月、福永さんは丹波布の産地、青垣市に移住されました。
福永世紀子作 綾織角帯
福永世紀子作 綾織角帯
当時、丹波布の保存会の方々も「丹波布では生活が出来ない」と何度も忠告されたそうですが、福永さんは「覚悟はできている」と振り切ったそう。 これこそが福永さんの魅力、意志の固さです。
福永世紀子さんが蒐集された古丹波布
福永世紀子さんが蒐集された古丹波布

丹波布の修行を続けている中で、幾人の蒐集家から古い時代の丹波布を貸していただくことがあったそう。「柳悦孝先生から貸していただいた丹波布は、もうそれ以上に動かしようのない完璧なまでの完成度の高さでした。今のものでも、今まで見た過去のものでもなく、それは私にとって大変衝撃でした。私はそれを原点にして、今に通用する着尺や帯を織るのが自分の努めだと思っています。」丹波の地で20年ものづくりをする娘を心配し、通ってきていた母が80歳をすぎ、福永さんが実家の土佐に足を運ぶことも増えて来ました。
通う度、土佐の空の青さや空気の澄んだ美しさ、緑の多さに気づいたそう。 「そうだ、故郷に帰ろう!」 1999年の年末、福永さんは土佐に戻り、21世紀を故郷で迎えました。

福永さんの「土佐手縞唐木綿風綾織」


福永さんの作品は丹波布と同様の平織組織もありますが、独自に考案した織技法として「土佐手縞唐木綿風綾織」という 大変複雑で、立体感の美しい綾織組織を用いた、そして丹波布の民芸調から離れた現代的な意匠の織作品があります。「唐木綿を見て、作りたいと思ったのだけど、最初はどうしたらいいかわからなくて。京都の職人に聞きに行きました。その後は、京都から綜絖を取り寄せて、地元の大工さんと四苦八苦して機を作ったんですよ。もう大変でした。」その機とは大変複雑で、8枚綜絖(6枚綜絖の機もあるそう)を駆使して織り進めるというもの。
福永世紀子作 唐木綿風八寸帯、古丹波布写し九寸帯
福永世紀子作 唐木綿風八寸帯、古丹波布写し九寸帯

オルガンのように踏み木が8本あるとお伝えすればわかりますでしょうか。 基本は平織組織で、その8本の踏み木を足で踏んで上げ下げすることで、経糸の下糸が奥から浮かび上がり なんとも複雑な立体感が生み出されるのです。「この立体感が、織っていて楽しいの!」 福永さんは無邪気に笑いますが、並大抵の計算では織り進められません。織りは数学の頭が必要なのです。
福永世紀子さんの材料 綿
福永世紀子さんの材料 綿

福永さんが使っている綿素材もまたこだわりが満ちています。1種類ではなく、数種類の綿を組み合わせて作ります。エジプト綿、米綿、インド綿、茶綿。粘りけや光沢、強さなどそれぞれの特性を生かして使用します。会場には、さまざまな綿素材をお持ちくださり、実際にお客様にも手に触れて見ていただきました。 棒状になっているのが「ジンギ」といって綿を一升桝の上でくるりとして引きちぎったもの。
それを糸車で引いて、「ツム」という螺旋状に巻いていきます。 この時、上からきれいに巻いていかないと、後で糸を取るときにきれいにほぐれないのだそうです。「ジンギ」6つで一つの「ツム」ができます。「ツム」は1つで約15g。帯は経糸分だけで「ツム」が30個ほど必要とのこと、気の遠くなる糸の準備です。「糸作りが仕事の7〜8割を占めます。木綿をやっている人にとって、糸車は命。少しでも気温の変化やどこかに ぶつけて狂いがでるともう大変。機より大事なんです。」

プラチナボーイに挑戦!

2011年の初個展の際「私もプラチナボーイを使いたい! 」と仰ってくださった福永さん。今回、綿布にプラチナボーイの絹糸を含めた、初めての“羽尺”をお作りいただきました。375gの真綿糸で引いたプラチナボーイの糸が含まれた特別なきもの。緯糸に極上の絹本来の輝きを放つプラチナボーイの糸を織りなすことで、あたたかなぬくもりある綿布に、小さなキラキラとしたプラチナボーイならではの光が浮かぶ、唯一無二の羽尺が完成したのです。
福永世紀子作 プラチナボーイ×綿布 羽尺
福永世紀子作 プラチナボーイ×綿布 羽尺

「木綿の性質をずっと考え、綿を手で紡いで出来た糸をどうやって生かすのか、これがずっと抱いているテーマです」と仰る福永さん。 福永さんの人柄を表わすかのように潔さの中にも前進し続ける純粋さが輝く綿布。限られた人しか手にできない作品との最高の出会いをぜひお楽しみください。
店主 泉二、福永世紀子さん
写真左から:店主 泉二、福永世紀子さん
(文:伊崎智子)

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