2013年10月24日(木)〜27日(日)まで、銀座もとじにて開催した『「日々創造的でありたい」織楽浅野展』。10月26日(土)には代表の浅野裕尚さんを迎え「ぎゃらりートーク」を開催させていただきました。
1924年、今から89年前に浅野裕尚さんの祖父が「浅野織物」を創業、そして1980年に浅野裕尚さんの父が“織を楽しむ”をコンセプトにものづくりに重きをおいた織屋を目指して「織楽浅野」を独立創業されました。
「織楽」という言葉は祖父の戒名だったそうです。 今回の新作展のテーマは『日々創造的でありたい』。まさに創作力にあふれ、新しいものを見つけ、形にしていき、私たちをいつも楽しませてくださる浅野裕尚さんらしい言葉でございます。 (浅野裕尚さんより) 「『日々創造的でありたい』と願う私の思いは 織楽浅野を創業してからの32年間忘れたことはございません。 織を楽しむこころとともにスタイルのある帯創りを目指してまいりました。 ぶれない軸と共に常に新しいものを求め続けるエネルギーが 私自信をもの創りへと誘います。」 この度のぎゃらりートークでは、浅野裕尚さんの“アイデアのヒント”を具体的に紹介、ご持参くださいました。 ※織楽浅野の工房兼住宅の中には“アイデアのヒント”が無数に収集されていました。それはまるで図書館や美術館の収蔵庫のようです。
目的への辿り着き方 「最短がいいわけではない、 通り道で出会うものが自分のさらなる想像力へ」
現代はネット社会。ものを調べる時には、いかに早く、正確な情報を得られるかが重要視されます。しかし、ものづくりにおいてはそのものに辿り着くまでの過程で、同時に他のものが目に入ることで、
さらなる次のイメージにつながると仰います。
「32年前、織楽浅野の創業当時にはビジュアルなデータベースをデジタル化してコンピューターで扱うことは、想像もできませんでした。織楽浅野では本当に手作業で資料をデータベース化するために、家族で夜遅くまで紙に貼っては分類などの作業を繰り返していました。
その膨大な数に及ぶ資料は、今も、もの創りの礎として役立っています。」 この資料もネットで検索すればすぐにいくつもの画像に辿り着くことができるのかもしれない。でもあえて浅野裕尚さんは、書庫のキャビネットの中からその資料を探す行為をし、同時に目に入る他の資料によって、さらに進化した 想像力を自分自身へ期待されるのです。
「大切なのはその意匠を支える織りそのもの」
帯は、その色使いや文様の美しさに意識を奪われがちですが、浅野裕尚さんが大切にされているのは、その意匠を支える織りそのものです。織りのバリエーションで豊かな創作性を目指す織楽浅野は、
“白い糸”“黒い糸”と言っても、本当にわずかな変化の色のバリエーションを持ち、その微妙に違う色糸を使い、そこへさらに織りのバリエーションを持つことで、無限大のバリエーションの豊かさを表現されます。 浅野裕尚さんが大切にされている言葉が、谷崎潤一郎の著書『陰翳礼讃』にあります。 「美はモノにあるのではなく、モノとモノとの生み出すあやにあり」という言葉。 微妙な陰影の差、そこから生まれてくる奥行き、色というもの。 この織り組織が実現できたからこそ、その意匠を生み出すことが可能となった、そういうものづくりがしたい。 織楽浅野の帯は“シンプル”“モダン”という言葉でも表現されますが、平面的な“染めもの作品”とは違う、“織りもの作品”だからこその可能性の追求、織り組織そのものへの追及から生まれる“奥行きのある美しさ”を感じていただきたい、それが織楽浅野の願うものづくりです。
“アイデアのヒント”からのものづくり
実際に出来上がった帯の具体的な“アイデアのヒント”もスライドを使ってたくさんご紹介くださいました。それは美術館で見たクリムトの絵画に登場する人物の意匠の小さな一部や、グーテンベルクの聖書に描かれた小さな挿絵、さらには、ストローの先端につけた水滴で時間つぶしに描いた丸模様まで、浅野裕尚さんのお話を聞いているとその美意識やアンテナの張り方にこちらまで楽しくなってまいります。 『日々創造的でありたい』 浅野裕尚さんは、は、いつも何かにどきどきしている“ときめきの人”なのです。
(文:伊崎智子)
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