2013年4月18日(木)〜21日(日)まで、銀座もとじにて『久留米絣 松枝哲哉・小夜子 二人展』を開催させていただきました。久留米絣作家 松枝哲哉・小夜子さんによる、銀座もとじでの初の二人展です。
2013年4月20日(土)には、松枝哲哉さん、小夜子さんをお迎えして、ぎゃらりートークを開催させていただきました。
久留米絣 松枝哲哉さん・小夜子さんの作品との出会い
2010年、第57回日本伝統工芸展において、松枝哲哉さんの、≪久留米絣着物「遥光」≫(写真左)が日本工芸会会長を受賞、そして2012年春には、第46回日本伝統工芸染織展にて、
松枝小夜子の≪絣織着物「春風花」≫が、日本経済新聞社賞を受賞しました。 2010年、そして2012年、日本伝統工芸展の会場において店主泉二は、松枝哲哉さん、小夜子さんに作品を目にし、天然藍の藍の美しさ、冴えわたる白の美しさ、藍と白のコントラストの美しさに大変感銘を受けました。 “思いたったらすぐ行動”、ということがモットーの店主泉二は、その後すぐに松枝ご夫妻を訪ね、九州の福岡県久留米市にある工房「藍生庵(らんせいあん)」を訪れました。それが、昨年の9月4日のことでした。
ちょうど訪れたその日、松枝ご夫妻は、地元の小学生に「藍の生葉染め」の課外授業をされていました。そのボランティアは12年目になるそうです。また、小学6年生には卒業作品として額絵絣の制作指導もされています。
私たち銀座もとじでも、15年に渡り、中央区銀座にある泰明小学校で“銀座の柳染め”の授業を行ってまいりました。また、雄だけの蚕から絹布をつくるプロデュースに取り組み、2007年からは皆さまにも作品としてお届けしてまいりました「プラチナボーイ」のものづくりに情熱を傾けてきた泉二にとって、松枝ご夫妻のものづくりへの熱意や小学校での授業を長年継続されてきたお話を伺い、お互いに相通ずるものを共感し合えた素晴らしい出会いとなり、そして、今回の催事の実現へと至ったのです。
「久留米絣」の最大の魅力
木綿の糸を藍で染めた、丈夫で肌触りの良い絣織物として、200年ほど前に誕生した「久留米絣(くるめかすり)」は、広島の「備後絣(びんごがすり)、愛媛の伊予絣(いよがすり)とともに日本の三大絣として知られています。
松枝家は145年の歴史があり、哲哉氏で5代目となられますが、祖父であり人間国宝である松枝玉記さんから伝承された、久留米絣の最大の魅力について、お伺いしました。 「なんといっても、最大の魅力は“藍染め”ではないでしょうか。僕は門前の小僧で、中学生のころから祖父の元で、手伝いをしてきました。絣の模様は、好き好きで、好みがありますが、藍染めの善し悪しは、ちょっと見ただけではわかりません。ただ、藍だけは、“本物の藍染め”をやらなければいけないよ、と祖父から言われてきました。それだけ奥が深いのです。藍は生き物で、対話が必要です。毎日藍甕を撹拌したり、常に藍の調子を見て、藍が最高の状態のときに染めないと美しい色は絶対出て来ないのです。一朝一夕には習得することのできない『藍』というものに常に向き合うことを祖父から教わりました。」 毎日毎日藍甕を撹拌したり、状態を見ていくことで、藍の方から美しい色を出してくれるという哲哉さん。その藍建てには、保存と凝縮を可能にするために寝床で100日掛けて発酵させたものを徳島から取り寄せ、化学的なものは一切使わず行っているそうです。 徳島から取り寄せたそのスクモという、発酵させた染料を固めたものを甕の中に入れ、木の灰などのアルカリ分を使って還元させ、糖分を加えてさらに発酵させていきます。夏場で2週間、冬ですと1か月近くかけて仕込んで、はじめて染められるようになります。染料の準備だけで大変な手間暇がかかります。
灰汁は、甕一つ分に、木の灰を20キロ入れ、熱湯をかけて一晩おいてから漉します。3日間かけ1本の甕に400〜500リットルほどの分量を作り、アルカリ分として使用します。 「『灰』は、昔から焼き物をされている陶芸家の方からいただきます。藍染に用いることで、アルカリ分が抜けて、それをまた陶芸家の方にまたお戻しすると、それが今度は、焼き物の釉薬になるのです。また、田舎には、植木屋さんが多いので、『椿』をもらって灰を作っています。
発酵菌の栄養となる糖分には、水飴をつかっています。貝灰も使っています。有明海が近く、貝が沢山とれるので、それを焼いて粉にして使います。(写真右が貝灰)そして、お酒も入れて発酵させます。」 奈良時代からの古い歴史のある「藍」という染料づくりの工程の中に、伝承されてきた人々の知恵の豊かさを感じさせてくれるお話です。 「『藍』は植物ということで、色んな色を含んでいます。化学染料は、青だとその色だけですが、植物染料である藍は、赤、黄、青などを含んでおり、いろいろな色が複合された色の重みがあり、それが大変に魅力的なのです。」
「絵糸台」の発明による絣模様の発展
今回のぎゃらりートークでみなさんにご覧いただくために、わざわざ福岡の工房より、貴重な「絵糸の台」をお持ちくださいました。 「糸のキャンバスをつくって、自分の発想を自由に描けるのが『久留米絣』の特長です。こちらの絵台は、織巾になっていて、糸のひとパターン分を掛けていきます。仕上がりの際の縮み分を考えて長めに掛けていきます。」 こちらは、江戸時代後期の染織家であった、大塚太蔵氏(1806−1843年)により、織物の上で絵や文字を自在に表現しようと研究が重ねられ、考案された絵絣のための「絵台」という道具です。この絵絣の技法は、久留米だけでなく周辺地域にも広まっていきました。この絵台が考案されたことにより、幾何学的な紋様から絵的な絣模様として、表現の幅が広がっていき、久留米絣は発展していきました。
松枝小夜子さん
松枝小夜子さんは、東京芸大の油絵から彫刻家に進もうとしていた頃、宗廣先生に出会い、研究生となられます。ご結婚を機に、久留米絣に携わられるようになられた小夜子さんは、玉記先生と5年間一緒に仕事をすることができたそうです。
紬織の世界から、久留米絣の世界へと飛び込んで、大変だったことについて伺いました。 「久留米絣の一つの作品が出来上がるまで、約30の工程があります。そのひとつひとつを完璧にこなしていかなければ、良い作品は出来上がりません。その工程の全てを学ぶのに、5年というのはあっという間で、半年ほどくらいという印象だったほど充実した5年間でした。 宗廣先生のところでは紬を学んでいましたが、糸質だけは落とすな、ということは宗廣先生からもいわれておりました。嫁いだとたんに絹糸から木綿にかわりました。木綿は、動物性ではないので、植物性である木綿素材の良さをまたひとつひとつまた学んで行きながら、その稼業の中にどんどんのめりこんでいきました。」 そして、久留米絣の人間国宝であり、祖父であった松枝玉記氏との思い出ついて、このように語ってくださいました。 「祖父は、一つ家の中で、作家が二人、家の中を二頭の馬が走ることを大変危惧しておりました。 けれど、わたしは、とにかく手を動かすことが好きで、手を動かしてうごかしてるときにしか、アイデアや次の作品のデザインは生まれてこないのです。機にかかって織り始めてからの時間に、織りながら次のアイデア、イメージが、手を動かしながら生まれてきます。 そんなわたしを見て、玉記が、 『あなたは本当にものを作るために生まれてきた人なんだね』 と申しまして、あたたかい目で見守ってくれていたと思います。」
美術史評論家 外舘和子さん
本日のトーク会には、美術史評論家の外舘和子さんにもご参加いただきました。2012年春の第46回日本伝統工芸染織展にて、松枝小夜子の≪絣織着物「春風花」≫が、日本経済新聞社賞を受賞した際に、審査員もされていらっしゃった外舘さんは、
工芸展などの審査の際には、各作家の作品は、一点ずつしか見られないそうで、このように一堂に会した作品を見られる機会が大変珍しく貴重ということでした。 「『藍』と『絣』が松枝作品のキーワードですが、まず絣は日本以外にも、インドネシアなどアジアでも見られ、イカット(IKAT)などと言われています。海外における絣の色彩は、赤、黄、黒などを鮮やかな色を大きなお柄で表現しますが、日本のものは少し違います。とくに久留米絣は藍の濃淡だけで表現される、ある意味大変繊細なものです。 藍は、海外にもインディゴといったものがあり、ジーンズなど日常的な労働着にもつかわれる染料で、「インディゴピュア」などの化学的な染料も普及しています。 しかし松枝さんご夫妻や日本人の作家の方々は、天然藍へのこだわりを持ってお仕事をされています。 化学藍は、さっと走る軽さがありますが、日本の藍は、先ほど哲哉さんもおっしゃられたように、物質としての重みのようなものがあります。着るごとに鮮やかさや爽やかさといった表情を変えて、大変魅力のある染料です。 また、染めか織りかという括りでは、久留米絣は『織の作家』という位置づけとなりますが、日本人の織の作家さんとは、ご自宅で藍を家族のように育てられていることからもわかりますように、糸を染めるというところから30工程のプロセスを通して最終的に織り模様をつくりあげ、ひとつの作品として仕上げるわけです。西洋の作家さんは、『デザインを考える』ことがその主な仕事であるのに対して、日本人の作家の方は、糸の染まり具合からが仕事であり、つまり、素材と対話しながら、素材を熟知し、作品を完成させる『職人魂』というところが大変魅力的です。」 と、外舘さんならではの視点での貴重なお話しを聞かせてくださいました。
後世への伝承の夢を形に
このような200年以上もの歴史あるお着物が、古くからの技法を継承しながら、途絶えることなく今に伝承されていることは、本当に誇るべき、感動すべきことです。 そのような確かな技術と、作り手たちの藍染め・久留米絣への揺るぎない情熱によって手掛けられる作品に触れられ、そして身に纏えることのできる悦びを味わえることこそ、着物文化ならではの醍醐味ではないでしょうか。
(左から)店主 泉二、久留米絣作家 松枝哲哉さん、松枝小夜子さん
このような用の美を備えた歴史ある着物文化を後世へ伝承していけるよう、私ども銀座もとじも精一杯に力を尽くしてまいりたいと思っております。
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