2011年5月19日(木)~22日(日)まで、銀座もとじにて、長板中形の藍染め作家 松原伸生さんの『松原伸生展』が開催されました。
「ものづくり」の環境が日常であった幼少時代
松原伸生さんが幼少時代に過ごされた街は、東京都江戸川区新小岩。人間国宝であられたおじいさまの代から長板中形の藍染が行われてきた自宅では、藍甕から藍の匂いが立ちこめ、糊やへらなどの沢山の道具に囲まれた、「ものづくり」が日常である環境の中に生まれ、育たれました。
職人になろうと思ったきっかけ
「祖父の代、父や叔父の代、と携わってきた長板中形の藍染の仕事は、長い間、生まれてからの自分の日常生活の中に入り込みすぎていたので、その仕事の意義などを考えて過ごす機会もなく大人になりました。」 中学生のころまで、ご自分で長板中形の藍染を仕事として意識したことは無かったそうです。けれど、やはり育った環境のせいか、「ものづくり」ということには、惹かれる気持ちが芽生えていたようです。 「中学のときに、高校では、東京都立工芸高等学校という学校に入学したい、と考えました。学校見学に行った際に、この学校に入ったら年中、好きな図画工作が出来るのではないか、と思ってわくわくしました。」 実際に、この学校に入学してから、大変良い先生方にも恵まれ、ひたすらものづくりに励んだ日々でした。焼き物もやってみたいし、絵も描きたいし・・・、といろいろと、ものづくりとあればやりたいことが多々沸いてくる学生時代でしたが、その間、お父様の松原利男さんの個展をお手伝いするアルバイトに携わったご経験が、松原さんのその後の人生に大きな影響を与えることとなります。
「おやじの個展で、おやじの作った着物を着てご来場くださるお客様がいらっしゃったんです。その、お着物を着て来てくださっているお客様が、逆におやじにありがとうございます、と作品に対するお礼を言ってくださったり、そういったお客様に接するおやじが、大変嬉しそうで、楽しそうにしている姿を目にしました。そのお客様は、父の作品である着物を着て街を歩いてきてくださった。きっとそのお着物姿に、はっとして振り向かれた方もいらっしゃったかもしれない、もしかしてその着物姿が他の方の目にも、美しさや清涼感といった印象を与えたかもしれない、
作品づくりに適した環境をもとめて、星降る里へ
「作品づくりの工程の中では、水、広さ、天候などの条件が、大切であることを、まだ高校生ながらも感じていて、生意気なんですが、このままこの場所でものづくりをしていっていいのかな、という疑問を持ち始めたんです。」
昔の下町風情のある田舎風景が失われ、すっかり現代的な街の様相を呈した場所で、本気で作品づくりに取り組むことは難しいと感じはじめてから、お父様の松原利男さんに相談されると、その当時、56歳になられていたお父様は、驚くべきことに、「じゃあ、移ろうか」と即座に同意してくれたそうです。
「自宅から、他の民家が見えないような人里離れた場所で、山々に囲まれています。家の周りには、特に囲いが無いので、鹿やいのししなどの動物が、山から降りてきたりもするんです。
寝起きする日常の場所が、そのような、自宅に戻れば、ほっとして心安らぐような豊かな自然の中で送れることを幸せに感じるし、仕事のモチベーションにもつながっていくようです。
「親父の強い覚悟があり、今の自分がいます。今長板中形の作品を作っている自分がいて、ここにこうして皆様の前に居ることができます。親父には、本当に感謝しています。」
厳しい修行時代のはじまり
そこから、松原伸生さんにとって修行時代が始まりました。
「父は、言葉では教えてはくれませんでした。
糊置きを終えた作品の出来に満足していたら、父は無言で、それを水につけて糊を流してしまうこともありました。なぜだろう、と自分で考えざるを得ません。そして、父が糊をつくったときのその糊の状態や糊置きのし方を、父がその場を離れた隙に盗み見ながら学ぶような修行の日々でした。
一歩仕事場に入れば、もう酒好きな明るい父とは、全く違った空気感をまとっていました。まるで親父の背中が広がっていくようでした。そして、何も教えてはくれない父の仕事をひたすら盗み見て、失敗を何度もくりかえしながらも、手で、体で、感覚で覚えるしかない、厳しい修行時代でした。典型的な職人のあり方だったと思います。口では言わずに、自分にできていないことを示してくれました。だからこそ、手探りながらも必死に感覚を研ぎ澄まして、全身で技術を習得していくことに励むことができたのかなと思います。ありがたかったです。」
長板中形の真骨頂
「長板中形」とは、江戸時代に誕生した型染技法の一種です。木綿の生地に小紋よりわずかに大柄の紋様を藍の染料で染め、主に“浴衣”としてつくられてきたものです。江戸小紋、更紗、型友禅などのような、小さい紋様が描かれるものもあれば、半纏などに使われるような大型の紋様もあり、それらの中間をとるくらいの大きさの紋様が描かれています。 長い板をつかって、中くらいの型をつけるということだけでなく、生地の表裏、両側から柄をつけることが特徴です。柄を片面のみにつけた場合は「長板中形」とは言わず、表裏両面から同じ型紙の絵柄部分に糊が置かれることで、生地を藍染めしても、糊の付いた部分には一切藍の染料が入らず、糊を洗い落とした後には、その部分に白くくっきりと浮き出るように柄が表れるという点が、長板中形の真骨頂と言えます。
約6.5メートル(半反分)の長い樅の一枚板の上に生地を張り付けて、端から順に渋紙の型紙を置いて、糊置きをしていきます。一反分、約13mの白生地の全面に糊置きをしたあと、天日に干して乾かします。糊が乾いたら、同じ生地の裏側の面にも、型紙をつかって、表面の柄の位置にぴったり合わせながら防染糊を置いていきます。
型紙を使って『両面に防染糊をおく』というのが、長板中形の大きな特徴です。表裏の全く同じ場所に糊を置いているので、糊の置かれていない部分が藍色に染まり、その後、水で糊を落とすと、糊のおかれていた部分が、白くくっきりときれいに浮かび上がる、という藍と白のコントラストの美しさが『長板中形』の魅力です。また、糊には、布海苔とニカワと白蝋が使われており、すべてが天然の素材です。その糊が、藍染めの後に振り洗いすることで水に溶け落ち、そこに白いくっきりした柄が現われますが、
藍と白のコントラストの出し方は、型紙の柄によって、松原さんの感覚で変化をつけていくそうです。こういうった柄には、これくらいの藍の色が良い、といった絶妙なセンスが作品ごとに光輝いています。
今回5月19日から行われた個展催事で、もとじの店内には、松原さんが精魂こめて作り続けてきて下さった作品がずらりと並び、柄によって種々に変化する藍と白のコントラストの妙をあらためて感じられる機会となりました。
“特別なもの”を作り続けるために
松原伸生作品 蝶藤立涌文
「昭和38年に祖父が第一回の重要無形文化財に認定を受け、人間国宝となりました。そのときに、『長板中形』というものが定義化され、伊勢型紙を使って、両面手で糊置きをし、藍で染めた反物を作る技術、ということが決められ、その技術を持っている人間ということで、祖父は重要無形認定を受けました。そういった定義というのは、単に昔ながらの技法というだけでなく、そこを守ってきたからこそ、“特別なもの”ができるということを忘れてはならず、それは守りぬいていきたいと思っています。」
松原さんが生まれたときには、人間国宝であられたおじい様の松原定吉さんは他界されていて、お会いになられたことは無いそうです。
1枚1枚、誠心誠意、魂をこめて作られた松原伸生さんの作品は、反物のみで見た時の表情と、実際に身に纏ったときに身体のラインや肌の色とのバランスによって現われる藍の色味や柄の表情が驚くほどに異なります。
(左から)松原伸生さん、店主泉二弘明