宮古上布作家 新里玲子さんのぎゃらりートークを開催
2014年5月15日(木)〜18日(日)まで、銀座もとじにて開催した『憧れの宮古上布展』。 5月18日(日)には新里玲子さんをお迎えし、ぎゃらりートークを開催しました。1948年宮古島生まれ。当時、島で生まれた若者の合言葉は兎にも角にも『目指せ東京』だったそう。そして多くの若者が、「急に東京へ行くのは怖いから」まずは沖縄本土へ。新里さんも那覇の短大へ進学。卒業の際にも、特に何がしたいこともなかったという新里さんは、偶然採用募集を見つけて合格した南西航空のスチュワーデス(現在のCA)としてひとまず就職、3年を過ごしました。 まだ設立3年だった南西航空では、スチュワーデスがすべての仕事に従事。忙しく働くうちに、新里さんは 「自分って熱い人なんだぁ」と気づいたそう。仕事に慣れた頃から「したいことってなんだろう」と考えるようになったと言います。 そこで新里さんはなんと「仕事を辞める」からスタート。まだこの時の思いは「次は東京を目指す」だったそう。 何をしよう、と考えた時、好きまではわからないけれど、興味があったのが“手仕事のものづくり”でした。
「これこそ宮古島のイメージ、夕鶴の世界、これが織りたい!私は宮古島を織りたいんだ」と感じた新里さん。 1975年、紺上布の世界を離れて無謀にも独立、明るい色絣の宮古上布を織ることになりました。 でも、織っても売れない。「いつまでそれを織るの?そんなの宮古上布じゃないよ〜」と周りから言われても、 新里さんはやっぱり「紺上布は宮古じゃない」と頑固にも思い続けていたそう。 でもものづくりを進めていくうちにある時ふと「あぁ、紺上布が宮古なんだぁ」と思う瞬間があったそう。 「宮古の風景は平坦でグラデーションがあまりない、白黒の世界。自然の厳しさ、人情の深さ、この深い藍の紺上布こそが宮古そのものなんだ。」 と感じたそう。『伝統の底力と、それに守られているすごさ』これがあって自分の色絣が生かされていると感じたといいます。
糸は人生の縮図
“糸ひとつひとつにドラマがある” 「一般的には糸は細いのが良いとされていますが、細いも太いのも私はいいと思って。今は逆に太い糸の魅力にはまっているんですよ。」 太い糸は独特の表情があっていいそう。90歳のおばあから急に“縄みたいに”糸が太くなっていく人が多いと言います。 「今日締めているのは、そのさまざまなおばあが績んでくれた極太の糸で織った八寸帯なんです。想いがつまっていて素敵でしょ。」 “糸は人生の縮図” 細く績めた糸が太い糸へ。年を経ることで変化する糸の太細。でも太い糸には細い糸にない“底力”“すごみ”があると言います。 「だから太い糸も大好きなんです。」
織りには自分の生きる姿が出る
「織りには本当に性格が出ます。私は“色絣”を糸をその場でいろいろ入れてみながら、自分が好きな仕上がりを自由に好き勝手に追求して作り上げる。 でも“紺上布”はまた違う性格。端正な深い藍と白の2色のみで、あの精緻で決まった連続柄をもくもくと織っていく仕事なんですよね。 最初は『紺上布は宮古じゃない』とか自分が作るカラフルな上布を“若い感性”と言われて抵抗を感じて『私こそ琉球王国時代の古いものを 作っているんだ』と思っていたけれど、今は“否定”ではないですね。人間それぞれと同じだなぁって思っています。」
今は「新里さんのカラーは何?」と聞かれたら「何でも好き!」と答えるという新里さん。「私は可能性に満ちているなぁって 自分で思うんですよ〜」 現在、長男と長女がともに織りの世界へ。新里玲子さんの宮古上布への想いを受け継ぎ、若い作り手がものづくりに励む工房は 新里さんの太陽みたいなパワーを筆頭に、明るく前向きな活気に満ち溢れています。 今後の作品はどんな化学反応で進化し続けていかれるのか、本当に楽しみです。