2016年10月8日(土)〜10(月・祝)まで、 銀座もとじにて『絣模様で創る空間‐大高美由紀の織』を開催しました。10月9日(日)には大高美由紀さんと工芸評論家・工芸史家の外舘和子さんをお迎えし、大高美由紀さんが織りなす絣模様の魅力や、大高さんが創作の道に入られたきっかけ、制作の際に大切にされていることなどについてお伺いしました。
美大生から会社員に。 そして染織の仕事との運命的な出会いへ
九寸名古屋帯「春の霜」
子どもの頃から布で何かを創るのが好きだったという大高さん。ところがある年齢までは着物にはさほど関心がなかったそうです。そんな大高さんの運命を変えたのは多摩美術大学で油彩画を学んだ後に、会社員として働いていた20代の頃でした。ある百貨店の着物売り場で機織りの実演を初めて目にして、糸の線と線が繋がることで美しい模様の面ができるということを知り、こういう世界があるのだという感動が頭から離れなくなったとお話しくださいました。
規律の厳しい世界でも、 機織りをするだけで満足できた
「美大を卒業され、会社員となった後にこの世界へ入られた大高さんはとても珍しい経歴の作家さんです。まさに戦後の世代であり、いまの20代30代の方で転職を志す方の希望の星でもあります。」 と外舘さん。それだけに大高さんは、強い意志を持ってこの道に入られたということなのでしょう。 「最初の1年は先に弟子入りされていた先輩と一緒に仕事をこなしていました。毎日朝6時から掃除をし、自分の好きなように動けない共同生活に馴染めずに辞めてしまう人も多かったですね。目の前にある先生の仕事をまずこなさなければなりませんから、自分のやりたいことは後回し。それでも私は、毎日機織りの仕事ができるだけで満足でした。」自分の工房を持って20年、その間に8回の受賞
「弟子から卒業して一人でやるようになり、一番不安だったのは『大丈夫だよ』と言ってくれる人がもう傍にいなくなってしまう……、ということでした」と大高さん。「それでも続けていくうちに、様々なご縁をいただくことができ、やるしかないなという気持ちになりました。」
大高さんの魅力は絶妙なグラデーションと色彩感覚
外舘さんは、日本工芸会での受賞の難しさについてこう続けます。 「日本工芸会の東日本支部には7つの部門があるので、賞に選ばれる作品は染織部門以外の審査員にも選ばれなければなりません。専門分野の異なる者の目から見ても優れていると思われなければ賞はなかなか取れないということです。わずか20年の間に8度の賞を得ている大高さんの作品は、その良さに主張があり、見る方に伝わる作品なのです。」
紬絵羽「花筏」第62回日本伝統工芸展入選作
着物をつくることからは離れない、それがこだわり
大高さんが大切にされていること、ここだけは譲れないということは何ですか?とお伺いすると「着物を織ることから離れないことです。ですからショールなどの作品にはしません。着物を織るからこそ、12メートルの長い布を織ることも苦にならないんです。」という答えが返ってきました。外舘さんは「着物は長い12メートルの布を織ることで、全体の空間が表現できるもの。大高さんはその面白さをわかっていらっしゃる。」とおっしゃいます。
紬絵羽「花香る」第45回日本伝統工芸染織展入選作