重要無形文化財「木版摺更紗」保持者、鈴田滋人さんの初個展が、銀座もとじにて、2013年11月28日(木)〜2013年12月1日(日)まで、開催されました。鈴田滋人さんは、大正以後途絶えていた「和更紗」のひとつ、
鍋島藩に古くから伝わる「鍋島更紗」の製作技法の研究と復元に力を注いだ父・照次さんの後を受け、木版と型紙を併用して作られる「木版摺更紗(もくはんずりさらさ)」を手掛けられています。 鍋島藩に古くから伝えられていた「木版摺更紗」の技法を父 照次氏が秘伝書をもとに復元。鈴田滋人さんは、父 照次氏が復興させた技法を守りながら新しい作風を構築し、第45回日本伝統工芸展でNHK会長賞を受賞するなど各方面で高い評価を受けていらっしゃいます。
2013年11月30日(土)には、九州は佐賀県より鈴田滋人さんを迎え「ぎゃらりートーク」を開催させていただきました。 木版摺更紗の復元から現代に息づく木版摺更紗へ。
親子二代に亘り、変わる事なく続くひたむきな物づくりへの熱意と亡き父、鈴田照次氏への思いなど、工芸評論家 外舘和子さんを交えて、ものづくりへの思いをお話しいただきます。
鍋島更紗の「秘伝書」
「木版摺更紗」は、一子相伝で伝えられた和更紗の一つ。1598年、豊臣秀吉の朝鮮出兵の折り、鍋島藩藩主の鍋島直茂が朝鮮から連れ帰ったと言われる工人の中にいた九山道清(くやまどうせい)という人物によって「鍋島更紗」は始められたと伝えられています。
九山道清は、漢方に精通していた人物で、草木染は漢方薬と同じ手法で染料を採れるというところから、染色にも知識と経験が活かされていったと考えられます。 江戸時代、佐賀鍋島藩の保護のもとに「鍋島更紗」は、参勤交代の際の献上品として制作されるようになり、和更紗の中でも特に格調の高さがある上質な染め物として、重宝されてきました。しかし、明治時代に入ると、廃藩の後、献上品として栄えていた鍋島更紗の状況は一変し、やがて大正時代には、一旦途絶えてしまいます。 しかし、その後、昭和34年頃、父・鈴田照次氏は鍋島更紗の「秘伝書」と「見本帳」に出会います。このことをきっかけに、照次氏は、鍋島更紗の製作技法の解明を試み、復元を果たしました。鈴田照次氏による鍋島更紗は、「木版摺更紗(もくはんずりさらさ)」と名付けられ、「木版」による「地形(じがた)」の版打ちと「上形(うわがた)」の版打ち、そして木版に合わせて模様を切り抜いた「型紙」による色摺りといった、「木版」と「型紙」を併用した技法を復興・確立したのです。 「秘伝書に記載されている『地形(じがた)』の箇所の説明には、『木版』を使うということは一切書かれていませんでした。」と鈴田滋人さん。 秘伝書に見られる、『地形』というタイトルに続く文章には、
濃キ墨ヲ用ユ 此ノ打出シ方ハ他ニ 比類ナキ秘法ニ付 口傳ニ譲ル
(濃い墨を用いる この打ちだし方は、他に 比類の無い秘法につき、 口伝に譲る)
といった記載があります。ここには現在ではそのように技法が解明された「木版」というキーワードは一切記載がなく、照次氏の尽力によって、口伝に譲られた技法が解明されました。
「線の出し方が、江戸末期の他の和更紗は、『摺り込み』によるものでした。しかし木版摺更紗は、『摺り込み』の線では無く、違った線の出し方がなされていました。」
照次氏は、「木版摺更紗」の技法が、インドの伝統染色であるブロックプリント(版木)の版を押す技法によって線が描かれる方法と同じ「木版」によることを突きとめ、復元の技法を確立していきました。その際、素晴らしい伝統の柄も多かった「鍋島更紗」ですが、木版摺更紗を復元していくにあたって、鈴田照次さん、滋人さんの親子2代に亘り、そのデザイン性において、独自の創作性で作品を手掛けられるようになりました。
制約の中で研ぎ澄まされる技と魅力
「自分の様式を作り上げるのには苦労しました。『型の制約』と『手描き』の違いがあって、『型の制約』によって方向付けをされる。日本画の場合は色数が膨大で色の選択も描く世界感も自由度が高かったのですが、木版摺更紗では、与えられる『色の制約』というものが、むしろ心地がよく感じました。そういった制約の上で作品を完成させていくことの楽しさに、すっかりのめり込んでいきました。」豊臣秀吉の時代から今につながる歴史の中で築き上げられ、
奇跡的にも引き継がれてきた「木版摺更紗」の伝統の技、そして、技を支える「木版」と「型紙」といった道具、鈴田氏は、それらを守りながら、磨かれる技と感性によって、「木版摺り更紗」の工芸としての芸術性を高めてきました。 「鈴田先生の染めは、作家の表現としての染めであり、線の美しさ、色彩の美しさのハーモニーが、素晴らしい点です。」作品の細部の魅力が眼前に浮かび上がってくるかのように鈴田さんの作品について述べられるのは、今回の銀座もとじ初の鈴田滋人さんの個展の開催にあたりまして、「和織物語」を執筆くださった工芸評論家の外舘和子(とだてかずこ)さん。 「和織物語」にても、外舘さんが着物という制限された空間に表現される「色面分割」そして「版の打ち方」によって生まれる美しさ、リズムや奥行きについてこう述べていらっしゃいます。 <これまでの鈴田の作品を振り返ると、着物大の空間性を創る要素は少なくとも二つある。一つは、木版摺模様の並びに配慮しつつ、着物というかたちを大きく「色面分割」して変化をみせる方法。わずか二色で面を大きく分割するだけでも、互いの色面の美しさを引き立て合い、着物という空間に変化が生まれる。
もう一つは、版を打つ位置と、打たずに残す余白との関係で、空間を築く方法。最初の版と次に打つ版の間合いの取り方により、音楽などと同様、作品は異なるものになる。さらには同一の版でも、反転させて打つなど、
版の上下左右を変えて打ったり、版の一部をわずかに重ねて打つことでも、文様に変化を生むとともに空間的にも様々なリズムや奥行きが形成される。> 着物という制限された空間、そして型の制限、色の制限、限られた自由度の中での表現だからこそ、ひとつひとつの仕事が大きな意味を持ち、秩序と調和のある中に活き活きとした型のリズムが響き、色彩のもの言う美しさに心魅かれる作品世界が出来上がるのです。
照次氏と滋人氏 〜おだまきのモチーフの解釈〜
「父が亡くなり、10年位は父の作品は見ませんでした。最初の頃は、技術の勉強のために父の作品のコピーなどはした経験はありますが、基本的にはいつも見ないようにしています。」と鈴田氏。
鈴田さんは、繁忙時などに父 照次氏の作業の手伝いをする機会があったため、木版摺更紗の技術は習得していましたが、作品の創作性は、技術力とは別次元の問題であると考えて、照次氏の跡を継いでから十年程は、父 照次氏の図案は見ることができなかったと言います。図案に行き詰まった時ほど、父の図案に引っ張られるので、見るまいと思ったそうです。そうした姿勢は徹底しており、照次氏と滋人氏の作風は、同じ木版摺更紗という技法を用いながらも、次第に明確な違いが現れるようになりました。 例えば、父 照次氏は、昭和49年の第21回日本伝統工芸展に、滋人氏は、昭和58年の第30回展に同じ「おだまき紋」をテーマに手掛けた作品を出品しました。 「父 照次氏のおだまき紋は、ジグザグに揺らぎつつタテに流れるようなリズムを刻むもの。一方、鈴田滋人先生は、おだまきの花を幾何学的に整理し、菱形を叙情的に連続文様にする要領で着物全体に展開させています。技法は歴史の中で培われてきた同じ技法、同じモチーフを取り上げてもその解釈も処理も異なり、出来上がってくるものが全く違う、そういった点が、工芸の面白い点です。また、作家の作家たる所以であると思います。」と外舘さん。
工芸へのいつくしみ
佐賀県鹿島市の静かな住宅街の中に、鈴田滋人先生のご自宅兼工房はあります。お庭には、池があり、その周りに、つつじ、桔梗、百合、枝垂れ桜、松、蘇鉄。銀座もとじスタッフとともに鈴田先生の工房へご一緒した外舘さん、
「ご自宅には、お父様の型絵作品あり、陶芸品があり、香炉があり、家の中の空間に沢山の工芸作品がひしめいていて、驚きました。陶芸の富本憲吉、金工の増田光男、お父様の作品である鶴の陶器、数々の工芸作品をいつくしみながら、暮らしていることは、素晴らしいことです。」 と、工芸評論家でいらっしゃる外舘さんは、素晴らしい工芸作品に囲まれて日常生活を送られている鈴田先生の暮らし方に感動されていらっしゃる様子でした。
九州には、工芸作家同士の交流がおありで、研鑽する空気があるそうです。着物の作家の方々でも、鈴田滋人さんはじめ、型絵染作家の釜我敏子さん、久留米絣の松枝哲哉・小夜子夫妻、小倉織の築城則子さんなど、
ご活躍の素晴らしい作家さんが多くいらっしゃいます。 「さまざまな工芸作品がある中で、『染織』の作品は、唯一“身に纏う”ことができます。本人と着物との距離感というものが、他の工芸とは異なる点であり、『染織』の強みです。」と外舘さんはおっしゃいます。 工芸作品には、熟練の手技と作り手の感性による表現性が芸術の域に高められ、そこに作り手の情熱や魂が注ぎこまれた、貴重な価値の重みがあります。それを愛でるだけでなく、“纏う”という、その価値の重みを感じられる距離感で、自己と一体となって、その芸術性を楽しめという贅沢は、着物という工芸作品でしか味わえないものかもしれません。
感性が導く表現性
合歓(ネム)の木は、夕方から花が咲き始め、その後しぼんでいき、葉は夜になると眠ったように閉じる植物で、花の根もとは白く、先端に向かって綺麗なピンク色となる傘状の植物。
鈴田さんは、「儚花樹(ぼうかじゅ)」と名付けたその作品で、合歓の花が1日の中で変化していく夕暮れ時の雰囲気を作品の中に現したくて、傘状のピンクの花を紫色で表現した、とおっしゃいます。第58回日本伝統工芸展の出品作品となったことの作品では、合歓の木が、1日の中でその姿を変化させる植物の神秘と夕暮れという同じ1日の中で変化を見せる自然の情景に重ねて、優しい紫色で表現しました。また、ご自身の感動と自然への畏敬の念が込められた構図の見事さが、見る者の心を打ちます。
版を押す回数は、3000回くらい重ねられたそう。6種類の版を用いて、どの版をどのように押すか、図案には、ABCの印がつけられ、その図案を見ながら白生地に青花で印を付け、全体重を掛けながら版をひとつひとつ丁寧に押していきます。一心に作業に集中できる環境をご自分で用意されて、作品づくりに全神経を注ぎます。ご自分の作品づくりにかける思いを人に伝えながら誰かとともにものづくりに臨むことは難しく、また失敗したときにも誰かのせいにはしたくない。
そのためにデッサンから図案作成、染料づくり、版を彫ること、版打ちなど全ての工程をご自分でされます。 その無心の時間の中で、作品に注ぎこまれる作り手の魂が、優れた工芸の真髄を物語るのかもしれません。そして「きもの」という工芸作品は、身に纏われることで、その魂が再生され、息を吹き返します。それは、作家の方々にとってもあらたな喜びと感じていただける瞬間となり、作り手と纏う人を一体にする、きものならでは醍醐味といえるのではないでしょうか。
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