2015年6月4日(木)〜7日(日)まで、銀座もとじにて『縞が奏でる音色 − 築城則子の小倉織』を開催。6月6日(土)と7日(日)には築城則子さんをお迎えし、小倉織の魅力や制作工程についてお伺いしました。
「文様」ではなく「色」。京都西陣で定まった方向性
「初心にかえるために、初期の作品を締めてきました」 築城さんは、試行錯誤を繰り返していた頃に織られたという、淡い色あいの紬に小倉織の帯という装いでお見えになりました。 早稲田大学文学部在学中に歌舞伎や能楽に魅せられ、お囃子や演劇空間、非日常の世界に強い憧れを抱いたという築城さん。 思い切った色が散りばめられながらも統一感を保つ能装束の美しさに惹かれ、まず向かった先は京都の西陣。様々な織物を目にする中で、築城さんは自分の興味の対象が文様ではなく「色」であることを自覚します。築城則子 帯作品「梅の頃」
― 自分で色を染めたい! 強い思いに突き動かされ、小倉の染織研究所へ。染織の基本を学んだ後、思いはさらに「紬」へと広がり、久米島へ移り住みます。教える体制のない中に飛び込み、家庭教師のアルバイトで生活費を稼ぎながら、船で民宿と作業場を往復する修行の日々。分業制をとらず、染めの原料を集めることから、糸染め、織りまでをひとりで行うというスタイルは、久米島時代に身についたものだということです。
「縞の古裂」に魅了され、組織を分析
運命の出会いは、染織の道に入られて10年ほど経った頃に訪れました。通っていた骨董店で見つけた、縞模様の小さな古裂(こぎれ)。それは、江戸幕末か明治期に織られた小倉織の袴地でした。艶やかで、ビロードのような “なめし感”は、それまで抱いていた木綿のイメージを覆し、築城さんの心に新たな火を灯します。 ― 私も、こんな布を織ってみたい! この瞬間から、築城さんの染織人生は、小倉織の復元、さらに「縞の美」の追求へと大きく舵を切ります。築城さんは古裂を福岡県の工業試験場へ持ち込み、経糸・緯糸の本数や織り構造を調査。
会場には古裂の実物も
2300本の経糸に緯糸を打ち込む
2300本の経糸が並ぶ機織り機
通常の小倉織は経糸2に対し緯糸1の割合で織られていますが、築城さんの小倉織は経糸3に緯糸1。通常の1.5倍の経糸が必要ですから、一般的な整経機では幅が足りません。特別に取り寄せた整経機と向き合い経糸をかける作業を、自分の中のイメージと目の前の糸の並びが一致するまで延々と、時には三日三晩かけて続けるといいます。 「整経が終われば、8割くらい終わったという気持ちです」
毎回染料をつくり、何度も染め重ねて
トークテーマは「澄んだ色の秘密」へ。染め色の色調が奏でる、旋律のように美しいグラデーション。草木染めでありながら、築城さんが織り出す色はクリアで濁りがなく、どこまでも澄んでいます。そのわけは、丁寧な糸染めの工程にありました。 築城さんは、その日に煮出した新鮮な染料を使うこと、一日の染め作業は「染め→媒染→染め」の1サイクルのみ、と決めているそうです。最も美しい澄んだ色のみ吸収させたら、糸を数日休ませ、再び染料を煮出すところから始めます。
新鮮な染料で染色