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「矢野まり子〜息をのむ輝きに魅せられて」展 ぎゃらりートーク 開催レポート

2011年9月8日(木)〜11日(日)まで、銀座もとじにて『矢野まり子 〜息をのむ輝きに魅せられて』展を開催させていただきました。 銀座もとじでの初個展、そして矢野まり子さんご自身にとっても30年の集大成の初の個展です。
矢野まり子さん ぎゃらりートーク
9月10日(土)には、矢野まり子さんをお迎えして、ぎゃらりートークを開催させていただきました。 島根県松江市宍道町に工房を構える矢野まり子さん。出身も島根県松江市。しかしこの地でものづくりを始めるまでには さまざまな道のりがあったそう。東京、石垣、そして海外とのつながりを経て、矢野さんは故郷に再び縁を得ました。
矢野まり子 作品
小さい頃からものづくりが好きだった矢野さんは、アクセサリーデザイナーを目指して東京の武蔵野美術短期大学工芸デザイン科に入学。しかし金属アレルギーであることがわかり、卒業後、松江に戻ります。24歳の時、島根県の出西窯、多々納弘光・桂子夫妻に出会い、藍染めの美しさに感動し通い詰めることに。その後、倉敷の外村吉之介さんの元で木綿織物を中心に学びます。もっと布を知りたい、もっと染織の仕事で自立できるようになりたい、と訪れた沖縄で、絹織物の手仕事に触れ感動。東京の柳悦博さんの工房へ。
絹織物を学びました。 その後、石垣島へ移り9年間。この地で、現在の矢野さんのものづくりのベースとなる、「生繭繰糸」「上州座繰」など、養蚕、糸作り、精錬、染め、織りに渡る染織の一連の工程を学ばれました。 日本で染織のものづくりを続けていく中で、素晴らしい経験と環境、そして縁をつなぎ、それを力にしてきた矢野さん。 ここまで書くと、矢野さんはこのままずっと日本にて、伝統の技法と豊かな自然の中で 着物の生地を染め織り続けていかれるとどなたも思われることでしょう。 しかし矢野さんは、驚くべき人生を歩み出します。 矢野さんは、石垣島で染織をものづくりをされていましたが、作っていたものは着物のための生地だけではありませんでした。 沖縄本島の会社にて、オートクチュールの洋服生地としても扱ってもらっていたのです。 矢野さんは現在の洋服姿もとてもお洒落。当時も洋服が大好きだったそう。 自分で織った生地が洋服になるのはとても楽しかったと言います。 そこで突然、矢野さんは東京・日本橋の生地屋へ。当時作っていた生地を持って会社へ突撃したのだそう。 なんと即採用。石垣島の自然と共存した染織の暮らしから、東京のファッションの最先端の風を読んで仕事をする会社へ、 驚くべき転職を遂げたのです。
矢野さんが配属されたのはテキスタイル事業部。メーカーの担当者と日本全国、そしてヨーロッパなど海外まで 駆け回って仕事をする部門。数年先まで流行が決められているファッション業界で、2年先の生地を仕込んで、 仕掛けをしていく仕事。世界中の生地を学び、ファッション業界の人々に触れ、新しい刺激を得て、 会社における大きな実績もしっかりと残した矢野さん。でもそこでひとつ、気付いたことがありました。 「すべては“絹”を模倣して作っている、その事実を知って唖然としたんです。」
矢野まり子さん
ナイロン、レーヨン、ポリエステルなど、日々開発が進められ、上質になっていく化学繊維。 もっと輝き、もっと白く、もっとなめらかに。それらが目指していたのは“絹”のような上質さだったのです。 絹の光沢感は繊維の断面が三角。その角があのきらきらとした輝きを生む。 多々ある自然繊維の中でも“絹”は特別な存在。 化学繊維の開発は“絹”を模倣するための必死のトライだったのです。 矢野さんは世界中の生地に触れていく中で、 自分自身の基準もまた“絹の美しさ”、しかもそれは“石垣島で学んだ生繭の絹の美しさ”であることに気付いたそう。 7年間、テキスタイル事業部で働いた後、退職。 矢野さんは再び染織の世界へと戻ることになります。

自分の思い描くものづくりの世界へ

矢野まり子 作品
退職後、山崎和樹さんの元で草木染めを学びながら、矢野さんの理想の土地探しが始まります。第一条件は“天然の水があるところ”。千葉や神奈川などさまざま訪れましたが住む土地というのはご縁のもの。なかなか出会いがなく、あっという間に5年が過ぎたそう。そんな頃、なにげなく参加した島根県の県人会で、運命の出会い。ご縁がつながり、2002年7月、矢野さんは故郷、島根県松江の地に工房を構えることになりました。
しばらく東京で過ごしていた矢野さん。染織の技術は身についていましたが、ひとつ、変化があったそう。「“都会目”になっていたんですね。 自然を見ても、その変化が目になかなか入らない。捉えることができない。そういう日々が続きました。2、3年経ってようやく“自然目”に。自然に目を向けると、自然が入ってくる。色えんぴつを持って、自然をデザインに落とし込めた時の感動は、今でも忘れられません。」
島根県松江に戻り、工房を構えて9年。 すべて生繭、さらには一番気候も安定していい時期とされる春繭にこだわり糸を選ぶ。 糸は上州座繰りで採り、平織で織り上げる。染料も自ら採取する。“自然目”で捉えられた矢野さんならではの透明感のある作品は、その題名がすべて俳句で表現され、 甲骨文字で「素恵(すえ)」という言葉が添えられています。 意味は”素直にありがたく感謝する”ということ。「素材に恵まれて、感謝して、ものを作っていきたい」。 自然の中に散りばめられた無限のメッセージ。
矢野まり子の俳句による作品名
矢野さんは島根の地で、自然に心を寄せて、自然と語り合いながら、そのメッセージを、まるでそっと命を吹き込むようにきものへとそそいでいます。

菊の被綿、そして出雲のお抹茶と和菓子

矢野まり子さんは「菊の被綿」も作られています。 ■「菊の被綿(きせわた)」 9/8 の晩、菊の花の上に真綿をおおい、 重陽の節句の早朝、朝露が浸みこんだその真綿で身体を拭い、邪気を払い長寿を願ったもの。 矢野まり子さんは重陽の節句で皇室に納められたことがあります。 今回の個展はちょうど9/8が期間中でしたので、お花屋さんに菊をご用意いただいて、実際に「菊の被綿」を飾らせていただきました。 ふわふわ、本当に愛らしく、道行く方々の目もほころんでいました。 また、矢野さんのお心遣いから、松平不昧公ゆかりの出雲のお水を使って点てたお抹茶と出雲の和菓子もご用意。 一日遅れの重陽の節句を行いました。
菊の被綿、出雲のお抹茶と和菓子 菊の被綿、出雲のお抹茶と和菓子
(文/写真:伊崎智子)

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