去る6月19日(土)、1995年に「羅」、2000年に「経錦」で人間国宝を受けた北村武資氏を「もとじ倶楽部」にお迎えしました。
「製作現場に立ってこそ意味があり、機を離れたら何もならない」と言い続ける北村武資氏にご無理を通してのお願いでしたので、この日も先生は、朝京都を出発し、夜には京都に戻るというハードスケジュールでご出席くださいました。
今回の「もとじ倶楽部」は応募者多数で、応募電話受付開始10分後には満席と言う状況でした。実際に、出席頂いた方の倍以上のお客様をお断りしたという大変申し訳ない状況下での開催で、出席頂いたメンバーからの熱気は大変なものでした。
まず、先生のご紹介があり、その後は「和織物語」の内容を中心に、司会者が質問形式で、『先生の生い立ち』から『織に入ったきっかけ』『織の道をわが道と決めた時』『機屋巡りで腕を磨いた時代』そして『初めての日本工芸会会長賞を繧繝織で受賞したとき』の感想などについてお話いただきました。
続いて、『羅の復元に向って』『羅で人間国宝に認定されたとき』『羅とは』『ほら羅、透文羅とは』を実際に目の前にある『羅の帯』や『透紋羅』の額装品を見ながらご説明頂きました。 普段目にすることの殆ど無い『透文羅』は、この日のために北村武資先生が特別にお貸しくださったもので、一点は額装されて「もとじ倶楽部」の会場へ、もう一点はそのままの丸帯の状態で和織の店舗内に展示されていました。
この織は先生の作品の中でも「孔雀の羽の透明感」と言われ、「糸そのものが発言する」とまで言われている作品で、これには皆さんから一様にため息が漏れました。 続いて、二度目の人間国宝に認定された『経錦』のお話を先生の作品の丸帯を見ながらご説明頂きました。
「この丸帯でも経糸は8000本使っているのですよ。」と何気なくボソッと仰る先生のお言葉に、出席者全員が思わず反応!「8000本!!!! 」と小さく叫ぶ人、驚きのため息を漏らす人などなど。
「8000本の糸ですが人一倍細い糸を使うので帯は通常の丸帯よりよほど軽いですよ」と仰る先生のお言葉で休憩時間には作品の前に進んで先生に許可を得て実際に手に取った出席者もいらっしゃりその軽さに目を丸くしていらっしゃいました。
後半は、『後継者育成について』などに話しが及び1時間半のお話があっという間に終わりに近づきました。最後の30分は出席者の方々からの質問がコーナーとなり、12人ほどの人が先生に直接質問。北村先生から「皆さん勉強熱心で凄いですね。」と感想が漏れるほどでした。 最後に司会者が北村武資先生の今の思い(以下の通り)をシャイな先生の代わりにお話してお開きとなりました。
北村武資先生の今の思い
「母親は明治の女性でした。父を6歳で亡くした私に母はいつも『男は人の上に立たなあかん! 』といい続けました。だから私はいつも自分でやれる仕事を探しその中では負けられないという思いで仕事に取り組んできました。
私は下積み時代に色んな人間模様を見てきました。辛い思いもしました。だからこそ自分には厳しく、でも出来る限り他人は優しくありたいと思っています。他人が困るのは嫌いだからです。 織物の道は自分にとっていつも戦いでした。だから振り返れば『よくやって来られたな』と言う感慨があります。
そして今も、使命感と緊張感を持って織物には取り組んでいます。自分の作品を発表できる場があることは嬉しいですし、それが自分の責任感にも繋がっています。 若い頃、自分の生活で一杯一杯で同年代の人のように世の中の動きに関わる余裕は何もなかったです。したくても出来なかった。
けれど今、仕事を通して社会と関わる事が出来ています。自分の作品を喜んで下さる人が居る、つまり社会に少しでも役に立っている事が嬉しいです。今、このことが私の生き甲斐に繋がっています。」
2004年6月19日 紙パルプ会館にて