ご注文・お問い合わせはこちら(11:00〜19:00) 03-5524-3222
銀座もとじ
EN

読みもの

  • 久留米絣 松枝哲哉・小夜子~ふるさとを織り込む、伝える~

久留米絣 松枝哲哉・小夜子~ふるさとを織り込む、伝える~

銀座もとじでは、1993年頃より、中央区によって剪定される銀座の街路樹・柳を使って、草木染「銀座の柳染め」に取り組んできました。そして、1998年より、中央区にある泰明小学校にて、小学校5年生の生徒を対象に「銀座の柳染め」の課外授業を開始し、今年で19年目となります。3日に渡り、銀座の柳についての教室での講義、柳の剪定、そして柳染め体験の授業を行っています。 今から約4年前の2012年9月、初めて銀座もとじの店主 泉二が、福岡県久留米市の久留米絣作家 松枝哲哉さん、小夜子さんの工房を訪れた日、午前中までご夫婦は、地元の小学生に「藍の生葉染め」の課外授業をされていらっしゃったことをお聞きしました。銀座もとじで行っている活動と相通ずるものがあることを知った、最初の素敵な出会いとなりました。

地元の小学生に「藍の生葉染め」の課外授業

現在、久留米市立竹野小学校にて、小学校3年生と6年生の生徒を対象に、染料となる藍の栽培から機織りまでの過程を体験する授業を行っているのだそうです。約20年前から行っている「藍の生葉染め」では、松枝さんが藍の種をプレゼントし、小学校3年生の生徒が、春に種まきをします。夏、7月初旬に藍の葉を収穫して染料を作り、白い生地に染める体験をします。そして秋、10月から11月頃には、藍の花を観察し、種を取り、苗を引き抜いて、元の畑に戻し、土に感謝をして、授業を終えます。 2007年から、6年生を対象にした絣の機織り体験が加わりました。絵台を使って糸に絣模様となる墨付けを行う「絵糸書き」、そして絣文様を施すために糸を染めずに白く残す部分を麻糸でくくる「手くびり」、手くびりでできた絣糸を用いて「機織り」まで体験をする授業です。6年生のこの授業では、一人一枚ずつ織り上げて、額絵絣を完成させるまでの制作が、卒業記念作品となっていきます。

このように学年をまたいで授業を行うことで、3年生で行った「染める」から、6年生の「織る」へと、ものづくりの心がさらに深く伝わり、自分たちの生まれ育った土地で生まれる「久留米絣」という地場産品への愛着が育つこと、また自分たちが生まれた土地に誇りを持てるようになることを、松枝ご夫妻は期待されています。
地域の風景

 

「藍の畑から400人もの子供たちが育っていきました。原風景となっていくことでしょう」と、この体験授業が生徒たちにもたらされるものについて、松枝小夜子さんはそう語ります。日本の「ものづくり」は、地域や歴史と結びついて、そこに生きる人々の手によって生まれて、継承されてきました。自分の生れ育ったふるさとが与えてくれる恵み、先人たちから受け継がれる伝統や知恵を知り、学ぶこと、そして個々のアイデンティティーの中に「原風景」としてそれらが根付いていくことは、とても豊かで価値あることではないでしょうか。

筑後平野

「久留米絣」が生まれた筑後平野には、九州で一番大きな川である筑後川が流れています。水田が広がり、クリークと呼ばれる貯水池、用水路が網の目のように発達し、日本有数の稲作地帯となっています。稲作だけでなく、果樹、茶畑、野菜から酪農、酒造まで、自然の恵みが大変豊かな土地です。 久留米絣の人間国宝であった松枝玉記さんは、この豊かな自然の恵みや景観、花や草木、生き物たちを見つめ、絣柄の意匠としてそれらの自然風景や文化を織り込めた久留米絣を確立しました。それまで農作業着であった久留米絣に高い芸術性をもたらしたのです。松枝家が受け継ぐ久留米絣には、自然に感謝し、慈しむ心が、あたたかくあふれています。 2015年、「松枝玉記生誕110周年展」が、築140年となる松枝玉記の生家にて、大木町制60周年を記念して開催されました。ご夫妻のご子息で、現在大学4年生の崇弘さんは、もの心つく頃から、藍の匂いに囲まれた中でご両親の背中を見て育ちました。昨年、この110周年記念展を迎えるにあたり、崇弘さんは、その大木町にある玉記さんの生家に田主丸の実家からひとりで移り住みました。

写真右は、左から松枝小夜子さん、松枝哲哉さん、ご子息の崇弘さん。 写真右は、左から松枝小夜子さん、松枝哲哉さん、ご子息の崇弘さん。

 

松枝家に生まれ育ち、日々の暮らしの営みとして、「藍を生かす」という慈しみの心が育まれてきた崇弘さんは、この生家に移り住んでから、藍がめの置かれていた古くなったたたき土間の工事をご自身で行いはじめました。瓦を砕き、振るいにかけて溶かし、藁や石灰の配合を調整し、10種類程の土を研究しながら作っているそうです。 自身で藍がめのための土間づくりを行うことは、人任せでなく自分でやった仕事を自分のものとし、それにより何が起きてもその原因を理解でき、自分自身で対応していける力が付く、と考えてのことです。そして、土間の工事が終わったら、藍がめに藍を建て始めるのだそうです。1日もかかさず面倒を見続けていく必要のある“藍を建てる”、ということからは、一つの覚悟が物語られます。大学に入ってからは、松枝哲哉さん・小夜子さんとともに、久留米市立竹野小学校での課外授業の指導にも関わるようになりました。

崇弘さんが歩み出している道は、松枝家の久留米絣を、久留米絣の歴史・文化を、ひいては連綿とつながる日本の伝統文化を継承していくということにつながる、長い道のりの一歩になるのではないでしょうか。見守っていきたいです。
久留米絣

商品を探す Search
Products