小雨の降る2月26日(日)、午後1時から紙パルプ会館にて京都の織屋である桝屋高尾(ますやたかお)・代表取締役 高尾弘氏と跡継ぎの道を歩き出した三女の朱子さんを迎えて「もとじ倶楽部」を開催しました。
桝屋高尾は京都西陣でも「茶染め屋」と言われ、「かわりものや」と言われている特殊な織物を作り出すことで有名な織屋です。
高尾弘氏は、17歳で後を継いでからさまざまな人との交流を経て長年の研究と経験を糧に沢山の織り方を身に付け、その技術を駆使しさまざまな織物を作り出してきました。そして織りの力を見込まれて尾張徳川家からねん金の袱紗(ふくさ)の復元を依頼され見事その復元を成し遂げ、「ねん金綴錦(つづれにしき)」で特許をとるという偉業まで成し遂げた人です。技術の宝庫とも言える桝屋高尾で、10年前から織修業の道に入り、今回跡取りとしての自覚をしっかり持ち作家としての道を歩み始めた朱子さんの初個展「インド織りの夢」展が当社の「高尾弘氏から朱子への継承の旅」展と同時にミキモト本店で行われています。今回のもとじ倶楽部は親子揃ってお話を頂くと言うことで進みました。
前半の1時間15分は高尾弘氏から、「桝屋高尾とは」「正倉院の宝物について」「名物裂(めいぶつぎれ)について」、尾張徳川家から依頼された「ねん金」の復元についてなど、ご持参いただいた資料を元にお話しいただく予定でした。が、お話しが得意で知識も豊富な高尾弘氏ですから、お話は尽きず。「折角雨の中いらしてくださったお客様に沢山のことを伝えたい、知ってもらいたい」と言う想いが強くなり、溢れんばかりの勢いでお話が進みます。
復元された金袱紗
京都西陣の歴史、その中で桝屋高尾がどういう位置を占めてきたのか、御自身の知識はどんな交流から生まれたのか。最初の「桝屋高尾とは」の説明で持ち時間の30分以上が経過し、司会進行担当者がその後のお話を進めるために冷や汗もので仕切りを入れるという場面もありました。ご持参いただいた資料は貴重なものばかり。インドや中東を回って実地見聞し、集めて回った数少ない織物や糸を惜しげもなく回覧してくださり、出席者は手にとってしっかりと見ることが出来、感動していました。
実際に手にとって
20年前の尾張徳川家の「ねん金」の復元をした折のビデオ上映もあり、桐箱入りの再現したねん金袱紗も実際に手にとって見せてくださり、普通は見ることの出来ないものが身近で見られ楽しいひと時でした。
続いて、跡継ぎの道を歩み始めた朱子さんがお話しを始めます。
「桝屋高尾」の概略を彼女の目から見て話してくださり、その後は今回の初個展のテーマがなぜインドなのかを話してくださいました。
「インド」をテーマにした理由は、素材が豊富で文化が深いこと。さまざまな織りのルーツがインドに集約されていたことと、父親が回った4大文明を辿った結果の最終地がインドだったと言うことをお話しされました。
そして実際の「インド」には彼女を感動させるものが沢山あり、石窟寺院の天井絵や壁画、聖なるガンジス川での印象などが創作意欲に火をつけてくれたと仰っていました。今までは年に3反くらいしか作れなかった作品を今回は展示会に向けて1年間で20点に及んで創作活動をし作品作りをしたこと。その素材は総べて父親が築いた「桝屋高尾」の技術があったからだと仰っていました。
「創作活動の1年間はどうでしたか? 」との問いに、「父親との戦いの日々でした。辛いことも沢山ありました。でも本当に良い物を創ろうと思ったら妥協は出来ず、父の厳しさは師の厳しさであり、それがあったからこそここまで辿り着けたのだ思います。」とちょっと涙混じりに話されました。
そして最後に「桝屋高尾を本当の意味で継いで行こうと思っています。父の様には出来ないかもしれませんが私は私なりに自分で納得できるまで技術を追求し、デザインを追及し、用の美を追求して頑張ってまいります。
皆様の前でしっかりと頑張ることを誓います。皆さんが私の決心の証人です。是非応援してください。」と御自身の決意を述べられました。
これを受けて司会者からも一言。
「今日お集まりの皆さんは、お着物好きの知識の豊富な方たちばかりです。是非忌憚の無い意見を朱子さんに伝えてあげてください。そして彼女を育ててあげてください。これからも是非応援してください。」とお願いのメッセージが添えられました。
お客様からの温かい拍手を受けて、頬を紅潮させた朱子さんの隣で、じっと座っていたお父様であり師である弘さんからも最後に一言。 「朱子を宜しくお願いします。」と感慨深げに仰いました。
あっという間に2時間は経過し、最後は弘氏と朱子さんを囲んで記念撮影。そして終了となりました。
雨の激しい中、沢山のお客様にお集まり頂きありがとうございました。