前日の梅雨入りのニュースがうそのように、爽やかな晴天となった2006年6月10日(土)、「宮古上布のつくり手さんとの勉強会」が行われました。宮古島から10人の作り手さんが、「着物をご購入になる皆様からのご意見を直接伺いたい」と、上京されました。宮古島から代表で来ている、という強い責任感のもと、少し緊張した面持ちの中、「もとじ倶楽部:宮古島の作り手さんとの勉強会」がスタートしました。
まず、宮古上布の制作工程について、手作りのビデオを映しながら説明がありました。苧麻といえば1種類であるように思われがちですが、宮古島の苧麻はなんと13種類もあります。宮古島では、苧麻のことを「ブー」と呼びますが(以下、苧麻を「ブー」と表記) 、優しいその響きに、島独特の愛情を感じます。色や産地など区別し、「赤ブー」「青ブー」「竹ブー」と呼ぶのですが、その言葉の向こうには、南国の穏やかな風景が広がっているようです。
宮古上布に大切なのは「ブー」です。とおっしゃいます。良質で極細のブー糸が、トンボの羽と例えられるような軽くて、しなやかな極上の宮古上布を生み出すのです。ブーを刈り取る絶妙のタイミング、爪の先で裂く髪の毛よりもずっと細いブーの繊維を績む技術。
どれも熟練の技と経験によるもので、70歳、80歳の高齢のおばあさん達が伝統を支えています。現在は、その伝統を受け継ごうと、次世代を担う皆さんが研修生として熱心に取り組んでいます。
一通りの説明が終わり、次に今では再現が難しいとされる宮古上布の織り見本(端切れ)を、参加者の皆様に実際に手にとってご覧頂きました。サンプルを前にして、つくり手さんと直接お話し頂き、つくり手さんも参加者の皆さんも表情が和らいでいったようでした。
さて、後半はいよいよ意見交換です。
「伝統的な、藍の宮古上布を作り続けてほしい」「生成り地や、自由な発想をとりいれた新しい宮古上布も着てみたい」「天然の染料を大切にしてほしい」など、参加者の皆さんからは、次々とご意見があがりました。
「今は、個性や好みは多様化しているのだから、宮古上布の進むべき道も多様であっていいのではないでしょうか。重要無形文化財指定や、伝統工芸品認定の伝統的な技法が好きな方もいるし、自由な発想のもの、新しい感性のものが好きな方もいる。好みが多様化する中で、購入する私たちが選ぶことができる。少ない中にも選択肢がある。ということがうれしいのではないかと思います。柄についても、流行を全ての作り手さんが追随してしまうのではなく、伝統を守り続ける人もいる、そして、時代に求められるものを取り入れる人もいる。作り手さんが、自分の得意分野を生かしてとり組むことが、結果として、私たちに喜びと楽しさを与えてくれるのではないでしょうか」
こういったご意見を聞き、そして、自分達が手探りで歩んできた道のりは間違っていない。とそれぞれの作り手さんは、参加者の皆さんから頂く、心強い後押しを勇気に変えていらっしゃる様子でした。
着物をよくお召しになる参加者のお客様からは、今回試作品としてお持ち頂いた生成り地や草木染めの柔らかな色合いの上布、小さい飛び柄のかわいらしい絣の入った帯地などに「着てみたいわ」「素敵ね」とご意見が寄せられました。「宮古上布の柄だけが、宮古上布ではないでしょう。涼しくて、着易い、夏の着物はぜひ着てみたいわ」なども印象的なご意見でした。
「これから伝統を引き継いでいく宮古島の若いつくり手さんには、自由で遊びのある作品づくりが大切だと思います。作る楽しみ、喜びを感じることができ、創作意欲が湧いてくるのではないかと思うからです。技術に裏付けされたものであれば、色や柄などは、独創的なものがいろいろあったほうが、消費者も楽しいと思います。」との力強い応援のメッセージもありました。
一方で、「宮古上布が高価で、希少価値の高いものなのだから、商標も消費者にとっては大切な目安になっていることも確かです。好みを重視して購入する場合でも、宮古でつくられたものへの表示をわかりやすくしてください。」とのご意見もありました。
「琉球王朝へ上納布として、納める前は、宮古島にも、今の宮古上布だけではない、琉球絣のもとになったような多種多様な柄や色もあったようです。
現存するものを見ることは難しいですが、美しい色、自由な感性がそこにあったと思います。
宮古島に息づく感性を大切に、今後の宮古上布の商品づくりをしていきたいと思っています。がんばりたいと思いますのでどうぞよろしくお願いします」
と、つくり手さんからの強い決意が表明され、宮古上布の可能性とともに宮古島の美しい情景が拡がっているようでした。
さて、最後に泉二より、「銀座もとじは、作り手のみなさんと、お客様のパイプ役になりたい。お客様がとのようなものを求めているのか、産地の皆さんに伝えたいと思っています。つくり手とそれを購入する消費者それぞれの後継者の両方が噛み合ってこそ、よい商品が生まれ、お客様に満足していただけるのだと思います。産地の皆さんに元気になってもらいたい。そう願ってやみません。こんな着物をきてみたい。こんなものがあったらいいのに。是非ご意見をお寄せください」と皆様への挨拶をさせて頂いて勉強会は終わりました。
宮古島の皆さん、ご参加くださいました皆様、本当にありがとうございました
宮古上布の歴史
今から450年前もの昔、琉球の進貢船が台風に遭い沈没寸前となったおり、ちょうど乗り合わせていた宮古の洲鎌(すがま)の与人(ゆんちゅ)、下地真栄(しんえい)という男が勇敢にも海に飛び込み船の故障をなおして、乗組員全員の命を救ったことに端を発します。このことが琉球王の耳に入り、真栄は最高位を授かるのですが、それを喜んだ妻の稲石(いないし)が、心を込めて布を織物にして王に献上したことが、宮古上布が世にでるきっかけとなったといわれています。その美しさゆえに宮古上布は、琉球王府、薩摩藩の上納布(貢納布)として至難の歴史を歩むことになります。大正の末になって流行し、第二次世界大戦後、今の名称となりました。
宮古上布は、日本麻織物の最優秀品として着尺の王座を占め、1921年から数々の賞を受賞し、日本織物界の粋として数々の栄誉を受けています。1978年国の重要無形文化財に認定、2003年には、糸績み技術が、国選定保存技術になっています。
宮古織物事業共同組合資料より引用