「ぎゃらりー泉」にて、2019年3月8日より10日まで、「〜本物の職人に憧れて〜中野史朗展」、初の個展催事が開催されます。染織のこれからを担う若手作家に作品発表の場を提供し、羽ばたくきっかけを掴んで欲しいという願いから2017年にスタートした「ぎゃらりー泉」。今回ご紹介させていただく中野史朗さんは、和更紗の伝統技法を未来へつなげたいと奮闘されています。 初個展を前に、都内にある工房を訪ね手仕事の現場を拝見してきました。
工房の中央には藍田正雄さんから譲り受けた長板
藍田正雄先生から譲り受けた長板
壁一面の丸刷毛は染色ごとに使い分ける
伊勢型紙の突彫師・内田勲さんとの出会い
中野史朗さんは、1974年千葉県出身。建築事務所に就職するも、CADなどのデジタルではなく手仕事によるものづくりがしたいと22歳で退職。染色の道を志し、勤めた染工房が江戸小紋や更紗を請け負っていたことから、2008年に伊勢型紙の産地・三重県の白子町へ。型紙職人が減少する中で、更紗の技術を持つ彫師は絶滅寸前。突彫師・内田勲さんが40年程前に更紗の型も手がけていたことを知り、以後定期的に白子町へ通い和更紗の“追っかけ型”の技術を学んでいます。2つの星に合わせ型を置き、丸刷毛でムラなく染める
複数の型紙を染め重ねる和更紗は、ズレなく、ムラなく染める技術が求められます。“送り星”に付き針を刺して刷毛の動きによって型がずれるのを防ぎ、対角にある“合わせ星”を左手の指で押さえ作業します。染め残しのないよう、縦方向横方向とすばやく均一に刷毛を動かします。
写真右の左半分は6枚、右半分は2枚の型を染め重ねた状態
本物の和更紗の技法を残したい
2000年以上前にインドで生まれた更紗は、大航海時代を経て世界を虜にしました。日本にも桃山時代から江戸時代にかけて大量に伝わり、その鮮やかさとエキゾチックな柄に大名家や富裕町人たちが熱狂。なんとか自分たちでこの多色の染布を作りたいと考えたときに着目したのが伊勢型紙でした。渡来の更紗は木版プリントという判子の原理で染めていましたが、当時の日本にはその技術はなく、複数の伊勢型紙を使い捺染することで多色の模様染めを実現したのです。
左:道具は壁面収納 右:使い込むと毛が平らになる
和更紗は明治、大正、昭和にかけて複雑な超絶技法へと発展し、一枚の着物に300枚の型紙が使われることもあったといいます。しかし、行き過ぎた技法に担い手は激減、型紙の入手も困難となりました。 このままでは、和更紗の技法は途絶えてしまう—染めの現場にいて肌で感じた危機感は、やがて「今、技法を残さねば」という使命感へと変わりました。 多難な和更紗にあえて挑み、和更紗職人として独立された中野史朗さん。 中野史朗さんはなぜここまで和更紗に惹かれるのか、 中野史朗さんの“思い”を“覚悟”に変えた、恩師・藍田正雄先生の「言葉」とは。 土曜日のぎゃらりートークでは、和更紗への溢れる愛、恩師への溢れる思いについてたっぷりと伺います。ぜひ会場へ足をお運びください。
~本物の職人に憧れて~ 和更紗 中野史朗展
※「中野史朗展」は開催終了いたしました。
たくさんのお客様にご来訪いただき心より感謝申し上げます。
会 期 : 2019年3月8日(金)〜10日(日) 場 所 : 銀座もとじ ぎゃらりー泉
「自分の生きる道は手仕事の世界にしかない」と、建築事務所を退職したのが22歳。染色の道を志し、17年の歳月が過ぎた今でも、いつも心に在り続ける思いがあります。 その思いを覚悟に変えてくださった江戸小紋師・藍田正雄先生と伊勢型紙突彫師・内田 勲さんのお二人の恩人をはじめ、私には深い感謝が尽きない方々がおります。 「本物の職人に一歩でも近づきたい」その一心で染め上げた私の和更紗をぜひ見にいらしてください。 中野史朗
ぎゃらりートーク
日 程 : 3月9日(土) 【開催終了】時 間 : 10:00〜11:00 場 所 : 銀座もとじ ぎゃらりー泉 会 費 : 無料 定 員 : 40名様(要予約・先着順) お申し込み : 03-5524-0071