今回の訪問のきっかけとなったのは2009年9月。店主の泉二がラジオ、FMFUJIの番組で 「大石紬を発展、存続させるためにはどうしたらいいか?」 という電話取材を受けたことにはじまります。訪問当日は気軽に見学をさせていただくつもりが 新聞・TVなど5社のメディアが取材に来てくださり、急遽、 泉二が紬産業や大石紬への期待についてお話させていただくことになりました。
大石紬の歴史
富士山北麓にある富士五湖のひとつ、河口湖。その周辺に開けた河口湖町の中で、湖の北側に位置する大石地区は、 高冷地で土地がやせていて作物が育ちにくく、農業をするには難しい土地だったといいます。 そのため江戸時代、農家の副業である養蚕を営むものが出てくると、いつの間にかこの山畑の大半は 桑畑となり、養蚕が農業収入の主力となっていきました。人々は春蚕、夏蚕、秋蚕と年に3回の飼育で繭を作り、 その時出たくず繭や玉繭で地元農家の女性たちが紬を織るようになり「大石紬」が生まれました。 「大石紬」は江戸時代前期の1680年頃から織り始められたそう。つまり300年の歴史を誇る伝統的な織物なのです。 江戸時代末には、租税(税金)としても納められ、また毎年富士山にお参りする富士講などの客人や行商人などの 手によっても広く売り出されました。明治、大正の頃に改良が重ねられ現在の大石紬となります(大石紬の特徴は後述)。 大石紬の最盛期は明治末から昭和初期にかけて。当時は約250戸の農家によって年間約3400反が生産されていたといいます。 しかし戦時中には食糧増産のため、桑畑は麦やとうもろこしに変わり、いつしか大石紬の生産も減少していきました。 その後は、社会情勢や観光開発の変化にともない、大石紬が消えてしまいそうな状況に陥りました。 しかし近年になって地域復興の運動が盛んになり、伝統的な工芸織物の再起をはかろうと大石紬伝承事業部が発足、 ふるさと創生事業の一環として、平成元年11月に『大石紬伝統工芸館』が開館し、 平成6年10月24日に「山梨県郷土伝統工芸品」に認定されました。現在の大石紬、そしてこれから
『大石紬伝統工芸館』は平成21年4月にリニューアルオープンし、現在は木造の真新しい施設の中で 一般の方の手織り体験なども受け入れています。機の数は5台。しかしそこで日々反物を織っていいるのはたった二人、 梶原みち子さんと渡辺はつゑさん。現在大石紬を支えているのはこちらの二人だけなんです。
現在は、織り上がった反物は年間生産数も少ないことから『大石紬伝統工芸館』の店先で販売しているだけですが、 『大石紬伝統工芸館』には織機が多数あるだけでなく、糸取りや染色ができる広いスペースや設備が整っています。 さらには養蚕や草木採取の環境も整っている、そして施設も本当にきれいで真新しい。(古い注文台帳の貴重な文献資料までありました。)
裏山で取れた繭
飾られていた大石紬の歌「大石娘」
古い注文書の資料
大石紬伝統工芸館の様子