2007年11月14日より一泊二日で、店主泉二とスタッフ4名が奄美大島へ研修に行ってまいりました。 奄美大島は泉二の故郷です。駅伝のマラソン選手として上京した泉二が怪我で走ることをやめなければ ならなくなった時、父から譲り受けた大島紬に袖を通し、「よし、これで生きていこう」と固く心に 誓ったことから「銀座もとじ」は生まれました。奄美大島の大島紬は当店の原点となるものです。
珊瑚礁の砂浜、エメラルドグリーンの海、明るい太陽の陽射し。 空港に降りた瞬間から、島時間のやわらかな時がはじまりました。
ライトグレーの塀が続く街並みは、庭先から濃い緑の葉がこぼれ、そこへ赤、黄、白の ハイビスカスや芙蓉の大きな花が咲き溢れていました。
おだやかな背景に鮮やかな色がアクセントに冴える、 泥大島に赤や緑の色挿しがされている美意識はこの景色からくるのかと実感させられる風景でした。
まずは前田紬工芸さんで締機と製織の過程を学びました。 方眼紙に点で表現された大島紬用の精緻な図案は、目を細めたくなるほど。
絣で表現するということは点の集合体であることをあらためて実感させられます。 通常はさまざまなデザイン画で依頼がくる中、それをひとつひとつ点で表現し直し、 さらには実際に織ることのできるパターンへと作り上げる作業です。
そして次に、その図案をもとにどの部分に絣を付けていくのか写しとっていく、締機の作業です。 絣になる部分(泥染しない部分)を機を使って手作業で織り締めていきます。 ヒジキというものさし状のものに巻きつけた絹糸を横から投げ入れて、 綿糸をたてに張った機で織り進めるのですが、1日にできるのはヒジキ3本分(経絣糸3本分)ほど。
通常1反の長さは約13m、 経に連続して繰り返す大島紬の柄行きはたった3本分だけでも大変な作業なのです。 〜マルキですとこの絣糸が経だけでも560本必要ですので、完成までには相当の時間がかかります。 世界の絣の中で、括らずに織って絣糸を作るのは大島紬だけで「織締絣」と言われます。
ここで糸は染めに移るのですが、その前に製織の工房を見学です。
こちらは1日に織り進めるのは30cmが限度。7〜8cm織っては機を止め、絣糸を持ち上げて 針や私たちが日常使っているナイフで繊細に絣目を合わせていきます。すっと杼がすり抜ける音、とんとんと糸を合わせる音、心地よいリズムが耳に届きました。
前田紬工芸さんをあとにして、次に向かったのは金井工芸さんという染織工房です。 工房前に積み上げられたのは車輪梅(シャリンバイ)の枝。
大島紬はこれを煮詰めた液で下染めすることから始まります。 海岸近くに生息する車輪梅は、煮出すと赤い液ができます。それをしみこませるように生地をもみこみ、 石灰を加えながらもみ、さらに新しい液に取り替える、このもむ作業を20回をワンセットに4〜5回、計120回ほど 繰り返すのです。
次にそれが十分に乾いてから泥田へ。手で触るとさらさらする粒子の細かい泥は、布が研磨されることも毛羽たつことも ありません。腿まである長靴を履いて足で泥をよくかき混ぜた中に布を入れます。 何度ももみこみ、外枠の水で洗う作業を繰り返すと、みるみる赤かった生地が変化していきます。
実際にはさらに手が何度も加えられ、乾燥した糸は、並び順を考えられながら一本一本ほぐされ、また元の糸へと 戻っていきます。そしてそれが製織専門の方の手に渡るのです。
大島紬の工程は30以上もあります。すべてが分業制で、締機の人はそればかり、製織も泥染めもそれぞれ 専門的に従事しています。「リレーをして渡していく」。一人一人が何日も何十日もかかる作業を受け持つ。 しかも大島は糸一本ずつの絣を確認し合わせていくという細かな神経が必要とされる織物です。 図案がわかりにくいと締機が困る、締機が失敗すると織手が困る。 次から次へと引き継いでいき、ひとつのものを完成させる正確さと思いやるチームワークが必要な織物だからこそ、この生地に込められたたくさんの職人のあたたかな志は本当に強いものです。
「地球で染める」。大島紬は「木」と「土」の成分のみで染められることからそう言われています。 大地と多くの人の手によって作り上げられる、後世に必ず残したい織物です。