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染織作家・下井伸彦さんの工房を訪ねました

長野県飯田市で”染め織りものをしている”、下井伸彦さんの工房を訪ねました。
下井伸彦さんが織る紬は“信州紬”。下井さんはそれを「下井紬」と呼んでいます。 昭和28年生まれ。父も下井紬を織る職人。下井さんはその2代目にあたりますが、 父から継ぐことを強要されたことは一度もなかったそう。 そのため下井さんも特に“後を継ぐ”という意識はないまま(でもものづくりは好きだったから) 東京のデザインの専門学校へ。テキスタイルデザイン科で学び、 卒業後は東京の洋服生地のプリントデザインの会社で働きました。
下井伸彦さんの工房
その後、30歳でプライベートの転機があり、それをきっかけに飯田へ戻り、 父の仕事を手伝うことに。 「父は継ぐことを強要もしなかったですが、仕事を教えてくれることもなかった。 でも、そういう時代でしたからね。そういうもんだと思っていたし、それに疑問を持つことはありませんでした。 わからないことは自分で調べたり、父の仕事を盗み見たり、そうやって少しずつ仕事を覚えていきました。」 当初、父に一番言われたことは“色のこと”だったそう。 「プリントデザインをしてきたので“生の色”、洋服に使われているような色がとても好きだったんです。 でもその頃の着物の色彩感覚としては父は見慣れなかったようで。よく怒られました。 それでも京都での品評会でNo,1が2、3回続いてからは何も言わなくなりましたけどね。」 そんな中、37歳の時、父が急死。下井さんは今の工房を一人で任されることになりました。 父に習ったこともない、師事した有名な人もいない。わからないことがあれば 試験所の講習会へ参加して聞きに行く、というものづくり。 それでも今、独自のセンスを打ち出せているのは「テキスタイルデザインを学び、洋服のプリントデザインで仕事をした」という要素が強いそう。 「色の感覚は変わりませんね。」
下井つむぎ
長野県の信州紬は紬の一大産地で、今でこそ作り手は減りましたが、当時はたくさんの若手たちがいて、 交流も頻繁にあったそう。下井さんたちは「長野県染織作家協会」を立ち上げ作品の技術、意匠の向上へ取り組むことに。そこでその作品の審査をしてくれる人を探していた時、現在でも交流のある染色作家・福本潮子さんに出会います。
「福本さんにはたくさんのことを教えてもらいました。技術だけではなくて、作品名の付け方やディスプレイの方法まで。もっと作家活動をした方がいいと言われてやってみた時期もあったんだけど、それは何か自分が無理しちゃっている気がしてきてあまり続かなかったけれど。。。私は職人、作家、という感じじゃないんですね。作ることが楽しい、ただそれだけみたいです。」
現在、下井さんの工房で働いているのは下井さんと、下井さんの甥(お姉さんの息子)の2人。そして お姉さんが嫁ぎ先の埼玉県で手織りをしています。“家族経営”の工房です。 工房は大通りを少し入った、山を背景とした住宅街の一角。見かけはちょっと大きめの一軒家にしか見えません。 車が一台やっと入れるほどの細い道沿いには1階の玄関がありますが、その左手がなだらかな土の坂になっていて、 覗いてみると下にも部屋がある、そこでやっとここが2階だと気づく、そんな工房です。
下井つむぎ
下井つむぎ庵
「下井つむぎ庵」と刻まれた青い陶器のプレートがついた工房の扉を開けると、そこには驚きの世界がありました。 前述したように、現在工房で仕事をしているのはたった2人。 ですが、この工房の中には、糸繰り機、糸撚り機、整経機など本当にたくさんの機械が所狭しとあったのです。 本当に、驚きの量です。 つまり、下井さんは繭作りまではしないにせよ、糸は出来上がりを買うのではなく、 撚られる前のものを買い取り、自ら自分好みの糸を作って、織っているのです。 「長野は皆、分業ではないから糸から自分で撚っている人は多いと思いますよ。 だから自分では特別ではないと思っているんだけど。」
それにしても、ここまでの機材を揃えるのは並大抵のことではありません。 「枷繰り機だけは父の代のもの。糸繰り機はこの工房に入る大きさのものがなかったので、 コンパクトサイズのものを発注して制作した特注。他は中古で買いそろえたものです。染め織りをやっている、と言っていると いろいろなものが集まってくるんです。特に今の時代は『廃業するから引き取ってほしい』というお話が多くて、 そうやって買い取らせていただいたものが多いですね。私は体が大きいので普通の機が窮屈で、 と話していたら、そういった方が別注で作り使われていた特大サイズの手織り機をいただけたり。
枷繰り機
ほら、こんなに杼も機も大きいんですよ。 今は2人で制作をしているので、実は機材にもいろんなところに工夫がいっぱいなんです。」 楽しそうに話される下井さん。 長野県の機屋 長野県の機屋は皆、分業ではないので糸撚りから織りまでされている作り手は多いそう。 それでもこれほどの機材をお持ちの方は珍しいのではないでしょうか。 「父が撚糸機を、自分のものは自分で作っていたんです。だから“自分で作るもんだ”そういうもんだと思っていたから。こだわり、とかじゃないんですよ。だから撚りの回数とかも「何回」というより「見た感じ」で決めることが多いです。」 工房を見渡してみると、下井さんの手作りらしきものがいっぱい。 工房の扉や床も下井さんが取り付けたもの。工房の扉に付けされた青い陶器のプレート 「下井つむぎ庵」ももちろん手作りです。
「いろいろやったけど、今のスタイル。 とにかく、“ものを作る”“ものが作られていく”ことが好きなんです。それが続けていければいい。 なんだろう、あんまりあくせくできなくて。ほら、庭に桜の樹が一本あるんだけれど あれもいつの間にか風に運ばれてきた種がああして樹になって、何の樹だろうと思っていたら、 数年前から桜の花が咲くようになって。 この感じが僕らしい具合なんだと思います。」
やわらかなお人柄と、洋服のテキスタイルデザインで学ばれたモダンな幾何学の柄、 程よいやわらぎの色彩のセンスが絶妙に溶け合った下井伸彦さんの作る“下井紬”。 それは洋装の方も同席することが多い現代のきものシーンに美しく映え、そして 優しくなじむ織物です。

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