下井伸彦さんが織る紬は“信州紬”。下井さんはそれを「下井紬」と呼んでいます。 昭和28年生まれ。父も下井紬を織る職人。下井さんはその2代目にあたりますが、 父から継ぐことを強要されたことは一度もなかったそう。 そのため下井さんも特に“後を継ぐ”という意識はないまま(でもものづくりは好きだったから) 東京のデザインの専門学校へ。テキスタイルデザイン科で学び、 卒業後は東京の洋服生地のプリントデザインの会社で働きました。
長野県の信州紬は紬の一大産地で、今でこそ作り手は減りましたが、当時はたくさんの若手たちがいて、 交流も頻繁にあったそう。下井さんたちは「長野県染織作家協会」を立ち上げ作品の技術、意匠の向上へ取り組むことに。そこでその作品の審査をしてくれる人を探していた時、現在でも交流のある染色作家・福本潮子さんに出会います。
現在、下井さんの工房で働いているのは下井さんと、下井さんの甥(お姉さんの息子)の2人。そして お姉さんが嫁ぎ先の埼玉県で手織りをしています。“家族経営”の工房です。 工房は大通りを少し入った、山を背景とした住宅街の一角。見かけはちょっと大きめの一軒家にしか見えません。 車が一台やっと入れるほどの細い道沿いには1階の玄関がありますが、その左手がなだらかな土の坂になっていて、 覗いてみると下にも部屋がある、そこでやっとここが2階だと気づく、そんな工房です。
「下井つむぎ庵」と刻まれた青い陶器のプレートがついた工房の扉を開けると、そこには驚きの世界がありました。 前述したように、現在工房で仕事をしているのはたった2人。 ですが、この工房の中には、糸繰り機、糸撚り機、整経機など本当にたくさんの機械が所狭しとあったのです。 本当に、驚きの量です。 つまり、下井さんは繭作りまではしないにせよ、糸は出来上がりを買うのではなく、 撚られる前のものを買い取り、自ら自分好みの糸を作って、織っているのです。 「長野は皆、分業ではないから糸から自分で撚っている人は多いと思いますよ。 だから自分では特別ではないと思っているんだけど。」
それにしても、ここまでの機材を揃えるのは並大抵のことではありません。 「枷繰り機だけは父の代のもの。糸繰り機はこの工房に入る大きさのものがなかったので、 コンパクトサイズのものを発注して制作した特注。他は中古で買いそろえたものです。染め織りをやっている、と言っていると いろいろなものが集まってくるんです。特に今の時代は『廃業するから引き取ってほしい』というお話が多くて、 そうやって買い取らせていただいたものが多いですね。私は体が大きいので普通の機が窮屈で、 と話していたら、そういった方が別注で作り使われていた特大サイズの手織り機をいただけたり。
「いろいろやったけど、今のスタイル。 とにかく、“ものを作る”“ものが作られていく”ことが好きなんです。それが続けていければいい。 なんだろう、あんまりあくせくできなくて。ほら、庭に桜の樹が一本あるんだけれど あれもいつの間にか風に運ばれてきた種がああして樹になって、何の樹だろうと思っていたら、 数年前から桜の花が咲くようになって。 この感じが僕らしい具合なんだと思います。」