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木版摺更紗・鈴田滋人~口伝により受け継がれてきた秘伝の技法~

銀座もとじは、日本伝統工芸展において数年前、鈴田滋人先生の作品に出会い、木版摺更紗のもつ文様美や現代の色彩、纏うと面と面が体に寄り添うことで曲線となる構図の巧みさを目の当たりにし、それ以来切望してまいりました鈴田先生の個展催事の開催をこの度実現するにいたりました。
鍋島更紗の「秘伝書」と「見本帳」
2013年9月3日、福岡空港から車で北へ向かうこと2時間、佐賀県嬉野市を過ぎ鹿島市の静かな住宅街の中に鈴田滋人先生のご自宅兼工房を訪ねました。 染織の工房は、大抵は外観の様子からそれらしき風景、機音が聞こえてきて分かるものですが、
佐賀県鹿島市の静かな住宅街の中にある、鈴田滋人先生のご自宅兼工房は、ひっそりと、物音も聞こえず、静けさの中にありました。
「木版摺更紗」は、「木版」による版打ちと「型紙」による色摺りといった技法からなり、またお一人で全ての仕事をされているので、お弟子や工房スタッフの気配も無く、機の音が響くこともなく、まさに鈴田さんの受け継がれている技法が"秘伝"であったことを彷彿とさせるような静けさです。 ご自宅兼工房には、池の周りに、つつじ、桔梗、百合、枝垂れ桜、松、蘇鉄。四季を通じて草木が居心地良さそうに伸び伸びとしています。
自宅兼工房

「鍋島更紗」の技法を起源として

こちらの工房で手掛けられる「木版摺更紗」は、江戸時代初期より一子相伝により伝承されてきた「鍋島更紗」の技法を起源とするものです。1598年、豊臣秀吉の朝鮮出兵の折り、鍋島藩藩主の鍋島直茂が朝鮮から連れ帰ったと言われる工人の中にいた九山道清(くやまどうせい)という人物によって「鍋島更紗」は始められたと伝えられています。 江戸時代、佐賀鍋島藩の保護のもとに「鍋島更紗」は、参勤交代の際の献上品として制作されるようになり、和更紗の中でも特に格調の高さがある上質な染め物として、重宝されてきました。しかし、明治時代に入ると、廃藩の後、献上品として栄えていた鍋島更紗の状況は一変し、やがて大正時代には、一旦途絶えてしまいます。

鍋島更紗の「秘伝書」と「見本帳」に出会って

鍋島更紗の「秘伝書」と「見本帳」
しかし、その後、昭和34年頃、父・鈴田照次氏は鍋島更紗の「秘伝書」と「見本帳」に出会います。このことをきっかけに、鈴田照次氏は、鍋島更紗の製作技法の解明を試み、復元を果たしました。
鈴田照次氏による鍋島更紗は、「木版摺更紗(もくはんずりさらさ)」と名付けられ、「木版」による地形(じがた)の版打ちと上形(うわがた)の版打ち、そして木版に合わせて模様を切り抜いた「型紙」による色摺りといった、「木版」と「型紙」を併用した技法を復興・確立したのです。
※ 上記写真 : 鈴田照次氏による「秘伝書」写し 九山家・江口家のあとを継いだ江頭家に伝世した「秘伝書」には、豊臣秀吉の朝鮮出兵の折、鍋島直茂が連れ帰った工人の一人、九山道清による創始であることや、鍋島更紗の製作工程、草木染料についての説明などが記されている。

2008年、「木版摺更紗」の重要無形文化財保持者(人間国宝)に

昭和47年以降、鈴田照次氏は、日本伝統工芸展にも秘伝書を研究して復興させた「木版摺更紗」の技法による染色作品を出品するようになりました。しかし、技法の解明からわずか十年足らずで惜しくも他界してしまいます。武蔵野美術大学で日本画を学んでいた鈴田滋人氏は、迷う余地もないまま、父の跡を継ぐこととなりました。父の生前から繁忙時などに作業の手伝いをする機会があったため、染料・顔料・薬品の扱い方などに試行錯誤しながらも、木版摺更紗の技術を着実に習得していきました。
木版摺更紗 プラチナボーイ 訪問着「竹爽」木版摺更紗 九寸帯「夷草(えびすぐさ)」 木版摺更紗 プラチナボーイ 訪問着「竹爽」木版摺更紗 九寸帯「夷草(えびすぐさ)」
やがて、父から学んだ確かな技法を受け継ぎながらも、鈴田滋人氏は、独自の創作性を確立していきます。親子2代に亘って、鍋島更紗の秘伝書による解明と復興、そして「木版」と「型紙」の併用といった「木版摺更紗(もくはんずりさらさ)」の独特の技法によるひたむきな創作活動を続けてきた功績が称えられ、鈴田滋人氏は、2008年9月11日に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。
木版摺更紗着物 「松景」 プラチナボーイ 木版摺更紗着物 「松景」 プラチナボーイ

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