築城さんと小倉織との出会いは、染織の勉強のために通っていた骨董店で偶然に見つけた、小さな古裂が、小倉織(こくらおり)であったことから始まる。絹かと見紛うほどの光沢を放ち、なめし革のような質感とくっきりと冴えた縞紋様の端切れに、釘付けになったという。その端切れが、果たしてどのような過程を経て完成しているのか自ら創ってみたい、という強い興味が、築城さんを小倉織の世界に導いた。
小倉織・築城則子~「見たことのない縞をつくりたい」小倉織との出会いと「縞」に注ぐ思い~
2015年6月4日から開催予定の「縞が奏でる音色 築城則子の小倉織」展。多彩で深淵な世界が込められた、築城則子さんの小倉織(こくらおり)。幻想的な物語を響かせてくれる、築城則子さんの「縞」の世界の秘密を探り、作品の魅力を紐解きます。
築城則子さんの小倉織は、まっすぐな直線からなる縞模様のみによる、多彩で深淵な世界が「布」という造形美の中に込められ、織り上げられていく。その「布」とは、極細の経糸による密度の高い、なめらかで丈夫な木綿の織物である。
その布を構成する縞模様をしばらくの間、静かに眺めていると、そこには響いてくる音楽が、オーケストラのような抑揚で感じられ、まるで楽器の弦がはじかれるがごとく、縞の奥から奥からと、さざ波のように幾重にも語りかけてくるものがある。不思議な力を備えた縞である。幻想的な物語を響かせてくれる、築城則子さんの縞の世界の秘密に迫ってみたい。
夢かうつつか幻か……。
そんなリアリティーのない世界、非日常への憧れというものがあります。
築城則子さんは、早稲田大学文学部に進学し、近世演劇を学んでいた。世阿弥の研究で本物の能舞台を鑑賞するうちに、能装束の美しさにひかれて、自ら染織の世界に入ったという。
小倉織は、江戸時代の初めより、豊前小倉(現在の北九州市)の地で300年以上もの長きに渡り特産品として織り続けられてきた。武士の袴や帯として、また徳川家康が鷹狩りの際に小倉織の羽織を愛用したと文献に残っている。
明治時代には、文明開化の波の中で、袴の特徴を引き継ぎ、男子学生の夏の制服として人気を博していたが、残念なことに戦時下の昭和初期には、途絶えてしまい、小倉織は、幻の織物となっていた。
築城則子さんが、骨董店で小倉織の古裂に出会ってから、資料もほとんどない中で、小さな布の断片の分析・研究を重ね、2年近くの試行錯誤を繰り返しながら、1984年にその復元が果たされ、再び小倉織が現代に返り咲くこととなった。1985年には、日本伝統工芸展において、築城さんの出品作品が「小倉織」として認められ、現在は小倉織の第一人者として、数々の受賞を重ね、後継者育成にも力を注いでいる。
「見たことのない縞をつくりたい」
そう語る築城さんの小倉縞は、江戸時代から続いた歴史と伝統を再び受け継ぎながら、築城さんの五感を通して豊かに表現された、これまでの縞という概念では語り切れないような、新たな、美しい縞である。
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