2008年5月30日(金)〜6月8日(日)まで、ぎゃらりー泉にて開催された「日本の上布 〜稀少 の織物 北から南〜」展。6月7日(土)〜8日(日) には「与論島の芭蕉布 菊千代さんのぎゃらりートーク」が催されました。 ぎゃらりー泉には当初予定していたより本当に多くの方がご来場くださりました。 菊千代さんは到着時、作品が飾られているのを目にして、今にも涙があふれてきそう。 「この日のために頑張った。この日を夢見てきた。」 菊千代さんの3年越しの夢が実現したのです。 大正15年(1926年)1月24日生まれの寅年。82歳。千代さんには三つの夢がありました。 ひとつは「民具や民家を後世に残していくこと」。二つ目は「与論独特の方言を正しい形で残すこと」。 三つ目は「芭蕉布で個展をひらくこと」。二つの夢は叶いましたが、 最後の夢はもう叶わないことと諦めていました。そんな折、店主・泉二(もとじ)と出会いました。 それがちょうど3年前のことです。 「まず技術を見せてもらうために無地を作ってもらいました。」紹介者を通じて与論島へ訪れ、 作品を目の当たりにしたとき「一番粗がわかる無地でこれほどの出来栄え。一目でほれこんだ。」
菊千代さんの魅力を泉二はこう語ります。「芭蕉布はふつう分業でやるのに、菊さんは芭蕉づくりの 一からを自らやっている。想いが違う。」「私は産地をまわっているけれど、ものを作る現場で その人のものづくりの姿勢がわかる。 菊さんの工房はきれいに整頓されていて、芭蕉も丁寧に手入れがされていた。 織技術の高さもピカイチだけど、糸の質が最高に良い。手触りや光沢が比べものにならない。」
依頼から3年。作品として出来上がったのは、八寸帯3点、着尺2点、角帯2点、のたった〜作品。 芭蕉は植えてから3〜4年たってやっと糸を採ることができます。また、きもの一反を作るためには 200〜300本の幹が必要。さらに「一反のきもののためには、約22km分の糸が必要。
実はこれは与論島の周囲とほぼ一緒なんです。」 この長さの糸を作るにはなんと2万回も糸を結び合わせなければ ならないと聞き、会場は驚きの渦に。その中で、よい糸だけを選び、菊千代さんが取り組まれている 民俗村の仕事の合間を縫って手仕事で織り上げた作品たち。きものは一反の制作完了までに 2年の歳月を費やしたといいます。 民俗村とは、菊千代さんが若い頃から母に叱られながら集めた民芸品を納めた文化施設。菊千代さんは その経営もしています。また、方言辞典も制作されるなど、菊千代さんは芭蕉布づくり以外にも 与論島の文化保持・発展にさまざまに力を注がれている第一人者でいらっしゃいます。 当日の装いはもちろんご自身の作品。染めていない自然の生成り色のきものに、 幸福の木とされている福木(フクギ)と車輪梅(シャリンバイ)で染めた茶色の帯
。 きものはしっとりと肌になじんでいて、着重ねられていることが一目でわかります。 今回ご紹介させていただいた作品も、菊千代さんのきもののように上質な風合いに変化していくかと思うと 本当に楽しみでなりません。
「芭蕉は衣類としてだけではなく、水分をたっぷり含んでいることから幹を刈ってたたいて枕にして「熱冷まし」 として利用したり、軸はゆがいて酢味噌で食べたりしていました。また、葉は今でも お皿や蒸すときに使って良い香りを楽しんでいるんですよ。」与論島の人々にとって、芭蕉は 生活に密着した植物なのです。
菊千代さんは現在82歳。夢は何ですか?と尋ねると「120歳まで生きること」とにっこり。 「与論島では長生きを祈るとき100歳ではなく120歳と願うんですよ」 実は前日の夜、東京入りした菊千代さんに泉二が当日の文章を確認していただいたのですが、 ほの暗い食事処でもメガネもなしでチェックしていく姿に、泉二も驚いたそう。
「僕も最近はスタッフに読んでもらったりするのに、すごい!」 お元気の秘訣はなんですか?「仕事があるから。次はどんなものを作ろう、と考えているだけで楽しい。 毎日わくわくしてくるんです。暇なんてまったくないんですよ。」 芭蕉布制作から民俗村の経営まで、意欲的に活動されている菊千代さん。 120歳も本当に夢ではないかもしれません。 そして菊千代さんの夢はもうひとつ「芭蕉を織り続けていくこと」。 各地の織物が後継者不足に悩まされている中、菊千代さんの工房は、息子、義理娘、そしてお孫さんまでが 芭蕉布を織り続けたいと、熱く取り組まれているそう。「細々でもいいんです。 力を合わせて与論の文化を残していきたい。良い作品を作っていきたい。」 本当に元気いっぱいの菊千代さん。背筋もぴしっとされています。 ぜひ120歳まで芭蕉布を織り続けてください。次の作品を皆楽しみにお待ちしています!
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