真正面から見つめる・六十五年の道のり
訪問着「光雪に本組紐」
福田喜重氏は1997年に「刺繍」の分野で初めて人間国宝に認定されました。
京都の刺繍職人の家に生まれ、幼少の頃から京都随一の刺繍の名匠・福田喜三郎氏の仕事を見て育ちました。
「一針一針刺し込む刺繍は時間と根気を要する過酷な作業です。活溌溌地(かっぱつはっち)でしたから、そんな辛いばかりの仕事は耐えられないと背を向けていました。僕はエンジニアに憧れて、京都市内にある、工業中学の機械科に通っていました。」と語る喜重氏。
姿情
自然の移りゆく森羅万象を一枚の布に宿すために一切の妥協を許さず、生地の選択から、意匠・染・縫・箔の全行程を一貫して手掛けます。文様の配置や構図は、着装した時に肩の線や立ち姿が綺麗に見えるように考慮され、生み出された空間に自然の風物を思わせる臨場感が漂います。 「日本は水蒸気文化の国」と、喜重氏はその生命感を香り立つような質感で表現したいと希求し、辿り着いたぼかし染めの技法は、昇天の如く、まるできものが呼吸しているかのように更なる温度感を重ねていきます。 そこへ喜重氏は命の儚さを永遠に封じ込めるかのように、2万色以上もある刺繍糸から、偶然を必然と成し得る糸と糸との出会いを導きます。 指の中に隠れてしまう程の日本刺繍針・5~10種を使い分けながら、奥義をきわめた一針一針で、全身全霊こめて一瞬一瞬の時を刺し込んでいくのです。 「着物は情緒・帯は理性」と語るその思い、纏う人によって豊かな曲線が生まれ、体温と重なり合い、きものに生命力が漲り、生み出されるその豊かな姿情は美への崇拝です。 喜重氏が奏でる日本の情緒、崇高の美意識をご紹介いたします。伝統を生かす -銀座もとじオリジナルの制作
今回のために泉二が託したプラチナボーイの白生地は4反。手に取る眼差しは鋭く、その鋭敏な10本の指先で質感を確かめます。そして一言、「挑戦してみます」と。
「1500年という日本刺繍の連綿と繋がる歴史があり、今、私がいる時代があります。時代と対話すること、その中で常に受け継いだ伝統をいかに生かし、生かされていくか、自分自身との孤独な戦いには、覚悟と心の柔軟さが求められます。
福田喜重氏と店主・泉二