銀座のシンボルから生まれた草木染め
「銀座ものがたり」の始まり
店主の泉二弘明にとって、少年の頃「銀座」は憧れの地でした。テレビに写る銀座は、「ファッションの最先端を行く人々が華麗に闊歩し」、「映画館のネオンがきらめき」、「歌舞伎座が堂々と佇む」、まるで別の世界でした。 いつしか少年の心には「銀座で店を持ちたい」と言う思いがふつふつと湧き、それが人生の目標となりました。 上京し、夢をやっと実現した時、銀座の街並みは変わりつつありました。「古き良き街並み」が失われていくことに一抹の寂しさを覚え、「銀座の街並みを、子、孫の世代まで着られる着物に残せないか」と考えるようになりました。 まずは、帯のお太鼓柄に「映画館、人力車、ガス灯、和光の時計台、そして銀座のシンボル柳」と銀座の風景をひとつずつ描き込んでいきました。第一作をお店に並べると、20代の頃、銀座で青春を謳歌し、初デートを楽しんだというお客様達が「懐かしい! 」と言って求めてくださり、その輪がいつの間にか若い世代にも広がり始めました。 お客様の熱い支持を得て、帯から始めた風景画は、次には着物になり、長襦袢になりと、どんどん点数を増やし、その名も「銀座ものがたり」としてシリーズ化していきました。銀座は今も生まれ変わる事を恐れない街として動き続けています。変化し続ける銀座に私たちはエールを送りつつ、「昔の街並み」を大切に描き続けます。風景の次は「銀座のシンボル・柳」を使いたい
銀座には昔から大切に守られている柳が沢山あります。
街に緑をもたらし、人々に一服の爽やかさを与え、たおやかでありながらどんな風雨にも負けない強さを持った柳。毎年変わることなく芽吹く柳が、梅雨の時期になると剪定され捨てられてしまうのを、いつも「惜しい……」と思って見ていました。
銀座の柳の剪定
柳染めの長い工程と職人さんたちの思い
柳はもともと染色に適している植物ではありません。それに人間の技を注いで柳染めは続けられています。何度となく繰り返される染、過ぎていく時間・・・。
時間も労力も惜しまず取り組んでくださる職人さんたちの作る「柳染めの紬たち」は、愛情を一杯受けながら、1年の歳月を掛けて完成されます。
「『あれもしてみたい』『これもしてみたい』とやればやるほど、尽きることのない思いに捕らわれていく」と東京で染物を作る仁平さんは言います。
泰名小学校の子ども達と柳染めの実習
柳染め白鷹お召
「ただひたすら柳の色を出す事」を考え
「柳の命を作品に注ぐ事」を考え
「自らの作品を着てくださる方が気持ちよく、そして美しく着てくださる事」
を願って日々、妥協を許さず、手間を惜しまず、納得できる作品作りに精魂を傾ける職人さんたち。