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煌めきを織りこむ - 平山八重子|和織物語

「織は人なり、人は心なり」ズシンと響いてくるこの言葉…… なんと深みがあり重い言葉であろう。

平山さんは20歳の頃、ふとしたきっかけでラジオから流れた恩師、人間国宝「宗廣力三」先生(故人)のこの言葉を聴いた。 これが平山さんと織物を結びつけ、郡上へ修業に行く決心をするきっかけを作った。そして早30数年。今ではこの言葉が平山さんの信条となっている。

平山八重子

東京生まれ。杉並の今も自然が沢山残る閑静な住宅街に住み、四季折々に自宅の周りに咲く草木を使ってその香と色を糸に染め、織物を作っている。平山さんの作り出す織物は、何と言っても色合いや配色が綺麗で人目を惹く。そしてとても優しく気品がある。 このため「一度目にすると一目惚れをしてしまった恋人のように忘れられない」と言う女性ファンが多い。平山さんは多色の糸を使う織物を得意とする。
上:銀座の柳染めの着物 下:びんろうじゅ、藍、すほうで染めた糸を使った着物 上:銀座の柳染めの着物
下:びんろうじゅ、藍、すほうで染めた糸を使った着物
出来あがった織物は何層にも色が重なり合っているため「絹糸の光沢」が出て微妙に色が変化する。これを着物や帯に仕立て上げると何層にも重なった糸が着る人の身体の線に沿って微妙な曲線や凹凸を描き、光りを反射させる。すると見る人の角度によって色が微妙に変化して見え、一枚の織物がまるで生きて呼吸しているかのように、様々な深みのある色に見えてくる。 自然で響き合う色の糸を自らの感性で選び、それを幾重にも重ねて織り上げていく作品は平山さんにしか作り出せない世界を展開する。まるで果てしない宇宙のように。

使う糸にもこだわる

平山さんは織り糸にもこだわります。肌触り、着心地、光沢、それらの事を考えて行き着いた先が、「経糸は、玉糸と生繰り生糸の併用、緯糸には結城の真綿から紡いだ糸を使う」と言うことでした。これは出来あがった時の風合いが他のどんな糸よりも腰があって柔らかいという自らの体験から導き出されたものです。 また、糸の太さによって経糸の本数も変えていくため、一反一反の手触りや風合いが微妙に異なり、全く同じ物は出来ないと言うのが特徴です。

平山さんの仕事

現在日本工芸会の正会員である平山さんには『日常の着やすい着物をつくる仕事』と『公募展に出品する着物をつくる仕事』のふたつの仕事があるそうです。 「紬の着物は日本女性が作り出した文化で、着る人への思いを込めて美しく、着やすい着物を織ることは楽しく幸せな仕事です。」 公募展へ出品する着物は、自分の限界に挑戦する仕事で何を表現するかを考えデザインします。そのために糸、色、技術を十分吟味しながら何か月も掛けて織り上げます。
左:阿仙、桃皮などで染めた糸で織った九寸名古屋帯 中:裂織入八寸名古屋帯 右:藍、阿仙などで染めた糸で織った八寸名古屋帯 中央:茶格子、黄浮織八寸名古屋帯 左:阿仙、桃皮などで染めた糸で織った九寸名古屋帯
中:裂織入八寸名古屋帯
右:藍、阿仙などで染めた糸で織った八寸名古屋帯
中央:茶格子、黄浮織八寸名古屋帯
大変な仕事ですが、次の一歩への足掛かりになり、良い刺激をもたらしてくれます。」と平山さんは言います。

平山八重子さんの道のり

「高校生の頃から私の中でいつも何かが叫んでいました。『自分の何かをつかみたい』と言う欲求とも苛立ちとも付かないものがありました。」 工芸に憧れ、美大を受験、しかし残念な事に失敗。短大へ進学します。それでも工芸への思いは断ち切れず、昼はレースのデザイン会社に勤めながら、夜はテキスタイルの学校に通うという超多忙な生活を送ります。その学校で『郡上紬のはぎれ』を見たのが、平山さんと郡上紬の初めての出会いでした。 そして23歳のとき、後に人間国宝に成られた『宗廣力三先生』に師事するために研修所のある岐阜県の郡上八幡へ行きます。 「夜、絣括りをし翌朝その糸を染める。その繰り返しを1週間くらい続けたりすることも良くありました。織と向かい合って一生懸命の毎日でした。そして春の小さな花たち、蛙の声、ホタル、祭り、空の色、何もかもが新鮮で大自然の中で貴重なありがたい3年間を過ごしました。」 『人間、好きな事をしているときは苦にならない』とはまさにこのことなのでしょう。平山さんは『これが自分の道だ! 』と確信します。自然以外に何も無い山奥での着物作りの生活を満喫し、「私は自然に囲まれ好きな事をしている恵まれた幸せ者」と実感していたそうです。
3年間の修業生活を終え、26歳のとき杉並の実家に戻り自宅で織物を始めます。1976年に日本工芸展23回展に『水紋』と言う作品を初出品します。それがなんと一度で入選!そして織物作家の生活に入ります。1978年に結婚。結婚式のお色直しには自ら染めて織った着物を着用。新婚旅行にもその着物を持参したと言う着物派でもあります。 そんな平山さんのご主人は焼き物の道に造詣の深い方で、現在は陶芸家であり日本工芸会の正会員でいらっしゃいますが、当時はサラリーマン。
『水紋』 中:裂織入八寸名古屋帯 「雨の日、庭の水たまりにできる水の輪を表現したかった。 細かい仕事は若い時の作品だなあと思う。」 『水紋』
中:裂織入八寸名古屋帯
「雨の日、庭の水たまりにできる水の輪を表現したかった。
細かい仕事は若い時の作品だなあと思う。」
会社勤めの忙しい日々だったにもかかわらず、平山さんには「貴女は織物が生き甲斐。それをしているときが一番輝いていて美しい。」と言い、子育ての時期も「今は織物も続ける事が大切な事だと思う。」と言って応援し続けました。このご主人の応援があったからこそ、平山さんは一度も機から降りることなく現在に至っています。

織物は私の道!

今、平山さんは明るい笑顔で言います。「好きな織物を続けていられる幸せをこの頃つくづく感じます。織りたいものは山ほどあっても、一人で作って行くには限界があってなかなか形にならないのが残念ですが、一反ずつ大切に織っていきたい。反物を手に取った人が安らぎや暖かさを感じてくれたら嬉しいです。日本の織物は個人の思いにとどまらず、永遠の美しさだと思います。その伝統の中で私も仕事をしていることを嬉しく思います。」 いつまでも飽きる事のない平山さんの織物の世界は、煌きに包まれています。

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