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本郷孝文展~澄みわたる色を求めて~|和織物語(2011年公開)

※こちらは2011年に公開した記事です。

松本市清水の本郷氏の工房。 ほんの少し通りから入っただけで交通量の多い前面の通りとは時代が変わったかのような別世界が広がる。 コスモスが咲き乱れ、緑色の胡桃がたわわに実る工房からは、使い込まれた道具が温かな郷愁を醸し出している。セピア色の写真を見るような不思議な懐かしさを感じさせる空間。 そこで本郷氏は3人のお弟子さんとともに、誰に追われることなく四季の風を感じ、木々や花々の息吹を感じ、それを全身で受け止め、そこに生きる植物の本当の色を求める。

自然界に息づく色を出すことに専念して来た歳月は、本郷氏に草木の色を濁らせない色を追求させた。 それゆえ、彼の作り出す色は何処までも鮮やかで透明感があり澄んでいる。そしてなんとも言えず温かい。

「芸は心」と言う。 「織も心」だと本郷氏を見ていると感じる。 植物からより透明感のある色が生まれ、その染料で糸を染めて織り上げる。本郷氏の人柄を映し出すような温かくて柔らかな織物たち。 限られた点数しか出来ないこの織物を是非ご覧頂きたく思います。

本郷氏とは?

1944年生まれ。民藝運動に関わっていた父親の影響で「織を芸術」とみて育った本郷氏は、高校卒業後、大学進学とともに「映画映像の世界」に身を投じました。そして様々なものを映像と言う形で捉えながら多感な10代から20代の初めまでを過ごします。 感性が研ぎ澄まされた25歳の時に実家に戻り、父親の手伝いから織の世界に入りました。と言ってもただの織修行とはちょっとわけが違います。
本郷孝文さん 作品

父親は白生地から脱して先染めの縞や格子を織り始め、また有明地方の天蚕を着物地に織り込んだ最初の人という大の織物好きであり、またチャレンジ精神旺盛な人でした。

その父親からは織を教えてもらうだけではなく、「織物」への考え方の影響も受けました。 また、日本の芸術運動の推進者であった「民藝」の創始者、柳宗悦氏の甥で染織界の大家であった柳悦博氏が父親の知人であったことから、柳氏は月に一度松本に来ると必ず本郷家に寄り、本郷少年に様々な織組織の見本を見せ、勉強するように導いてくれました。

それらを総べて自分自身で解読し、織の組織を自ら学び織り上げていく。その過程が楽しくて仕方なかったと言うのが本郷氏の20代です。 本郷氏は言います。

「私の師は柳悦博先生です。と言っても直接手を下して教えてくれたのではなく、『いいもの』『美しいもの』と言う染織の美の目安を教えてくれたのです。その美の目安とは、“間”です。 美への感じ方、見方、デザイン、など口では表現できない“間”を作り出す感性を磨いてくれました。」

柳悦博氏と父、この二人の影響と自分自身の映画映像で培った力から織を多角的に見つめ、分析し、文献から織を学び取りました。 この時の蓄積が「常時20種類ほどは織ることが出来る」と言う本郷氏の力を導き、単なる工芸品にとどまらない域まで到達させました。

今工房では「吉野織」「ロートン織」「綾織」「花織」「しず機織」「浮織」「摸紗織」「織十字絣」「花刺し子織」「菱織」などなど……ジャガードを使わない手織で数え切れない織物が作られています。

本郷作品のモットーは

1、草木の色を濁らせない

このことを一番に考えて糸染めをしています。自分が織る織物の糸は絶対に自分で染める。 植物との微妙な色の駆け引きは他の人に任せては絶対に出ないと言います。
本郷孝文さん 作品

2、色を作る。

自然界の色を大事にしながら、染材そのままの色を用いるのではなく、自分の納得のできる色を作っていくことを大切にしています。 そのため様々な色の変化を出すために、織るときに細い色糸を重ねて織り上げ、色同士の相乗効果を発揮させています。

3、何年着ても色褪せない草木染の追及

自然界の色に近付く色を出すことをいつも考えて、糸に無理を掛ける媒染剤は使用しません。雑木の灰汁を使って草木の生命力が糸にしっかり入るように染めています。「赤、黄、青」の三原色は「蘇芳・茜」「刈安」「藍」があれば作り出せ、そしてこの三原色があれば基本的にはある程度の色の対応は出来ると本郷氏は言います。

4、糸は無理な力を掛けず手引きでふんわり

本郷氏が使う糸は自動操糸は殆ど使わず手で引いています。これは自動と比べ手引きは糸の引き上げが遅くなるので、全体に無理な力が掛からず糸が空気を含んで柔らかく膨らむからです。
本郷孝文さん 作品
この糸には染料もゆっくりと浸透していくので表面だけでなく芯までしっかり染まるのです。 本郷氏は長い年月草木の色が褪せない織物を作ることを目指しています。

5、糸の質が生きる織り方

手で引く糸は表面が凹凸を持っているので織り上げた時、糸それぞれに光の反射が変わってきます。 無地で織り上げた時こそ、その例は顕著で、凹凸が全体的に光を乱反射させ特に立体感が引き出されます。

6、撚りは風合いの限界線まで求める。

着心地も大事にしているため経糸、緯糸ともに余り撚りを掛けずにふんわりと仕上げます。 通常の撚糸は、経糸で210回ほど掛けますが、本郷氏の場合は130回程度の撚りにします。撚りが甘すぎると糸の丈夫さが欠けてしまうので、撚りに関しては「糸の丈夫さと長持ち」、「風合い」の限界線で作り上げるのが本郷氏の作風です。

7、打ち込みがしっかりしているから丈夫で長持ち

糸自体の撚り掛けは風合いを大事にするため限界線まで甘く仕上げますが、織に関しては打ち込みをしっかりして丈夫な着物を作ります。 ご自身は機の響きが良いと必ず打ち込みがしっかりしているといいます。 その言葉通り工房では澄んだ機音が響いていました。 こうやって作り上げられた織物は風合いは柔らかく、肌触りもよく、それでいて長持ちするのです。

8、デザインはすべて自分で描く

図案はすべて本郷氏自身が描きます。映像を学んだ本郷氏ならではの考えは「着物つくりは絵を描くことと良く似ている。」と言うものです。無駄なものは極力無くし、シンプルで且つ植物染料の力が生きる図案を作りあげること。そして松本での素材を使って松本ならではの作品を作りだすことに注力しています。

本郷孝文氏の人柄

工房で使われている道具はすべて古道具を修理して丁寧に使われていました。 一番目を引いたのは、30年代の洗濯機。 実際はモーターは回りませんが糸の糊付けのあとの糊搾りに圧縮型の脱水機(ローラー2枚にはさんで搾るもの)が使われています。これも普通の家で有ったならとっくの昔に廃棄されていたであろうものでした。

お弟子さんたちと交わす言葉も柔らかく、温かく。 決して「師」と言う目線で物事を指示するのではなく、同じ作り手の仲間として、優しく語り掛けアドバイスしています。

「さあ、これを一緒にやりましょう」と言いながら動く本郷氏の後姿からは、殺伐とし、ぎすぎすとし、物事に追われて日々送っている私達に、「本当の生き方」を示してくれているようでした。

ご本人は色無地が一番魅力的だと言います。 お弟子さん達に先生の作品の特徴を尋ねると「男性とも女性とも言えない微妙な中間色の色を染め出し、織り上げる感性」だと応えました。 織分けを何十種類もする人は殆ど居ない中で、本郷氏は様々な織の技法を駆使し、そこに心を注ぎ、自分の感性を活かした織物を作っていくのです。

常に研究心、向上心を忘れない姿勢が着物の世界にとどまらないモダンで魅力的なデザインの織物を作り出します。 本郷氏は言います。

「着物は実用ですから、新しい仕立ておろしの着物に袖を通したそのときから、着た人の身体になじむように最高の糸使いで織り上げなければならないと考えています。今の人は着物を着る回数が昔の人よりも減っています。着物が身体に馴染むまでに掛かる歳月を作り手によって短縮し、着た人が喜ぶ着物を作る。これが私のやり方です。」

糸にも染にもこだわったすべて一点物の作品です。

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