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目に鮮やかな黄八丈展|和織物語

目に鮮やかに輝くやまぶき色、そして茶褐色の鳶、漆黒の黒。 黄八丈の持つこの糸の輝きはどこからやってくるのか……どうしてこんなに輝いて艶やかなのか…… そしてどうしてこの黄八丈は魅力的なのか? なぜ着物好きをこんなに惹きつけるのか? いつも品不足状態なほど人気なのはなぜなのか? 今回の取材はそんななぞを紐解いて見ようという思いで始まりました。 そして2日間の取材を終えて、黄八丈が更に魅力的で愛らしく見えてきました。 その一因は染師、西條さんの仕事ぶりをみたから。今の漆黒に輝く黒八丈を20年の歳月を掛けて作り出した西條さん。その仕事はあまりにも過酷でした。 染をする人の存在は伝えたくても殆ど名前が出ないのが現状です。その仕事にあれだけ情熱を傾けている人が居る。その人の力でこれほど艶のある人を魅惑する色が出る。 今回は、そのひとこまをお伝えし、黄八丈の魅力を改めて感じていただきたいと思います。

黄八丈の始まりは

まず、黄八丈の始まりをご紹介します。最初に文献に出てくるのは、本居宣長の「玉勝間」と言う著書です。これにより室町時代に生まれたと推測されています。 江戸時代には品質の良さから租税として上納され年1回、八丈島から船荷となって持ち出されました。夜明けに隅田川の下流から陸揚げされると「御上御用の黄八丈」と立て札が立ち、佃島、江戸橋、日本橋を巡って御本丸に上りました。
黄八丈 反物
当時この黄八丈を手にすることが出来たのは将軍家と武家大名、御殿女中と言うごくごく限られた人々でした。 その「黄八丈」が大ブームを巻き起こしたのは、歌舞伎の衣裳に用いられた時からです。当時大人気だった名女形が「八百屋お七」と「白子屋お熊」を演じるときにこの山吹色の黄八丈を着用し、その余りにも鮮やかな色が大評判となり、我も我もと言うブームが起こりました。これ以来、山吹色がシンボルの織物となったのです。

黄八丈は二段分業制

黄八丈は「染と織」の二段分業体制で行われています。

「染」

染はこれから詳しくご紹介する染師が専門で行います。 植物の栽培から刈り取り、染料への仕込みその他一貫して担当するのです。八丈島で染が行われるように成ったのは、水が綺麗で豊富にあることからでした。昔は島で養蚕もしていたので、温暖な島の気候を利用して年に3回糸を取ることが出来、染色も1年を通して行われていました。

「織」

織は女性の仕事。各家庭に一台は機があり、女の子が生まれると一家で大歓迎。織手が一人増えると大変喜んだそうです。 織の種類は500種あり、現在でも柄見本帳が残っています。最盛期は一年で1500反もの生産を行っていましたが、現在では年間700反。需要に生産が追いつかず主に受注生産体制に近い状態になっています。 現役の織子さんは68人、平均年齢65歳です。 今回取材させていただいた「伊勢崎喜代美さん」は現在77歳。15歳から黄八丈の織をしている方でした。 「1:3:2:1:4:2:3:4:1」と緯糸を滑らすたびに左右の足を使って踏み代えて行きます。この足の踏み代えで8回往復すると「めかご織」が2模様仕上がるのだそうです。 話しながらどんどん織り進んでいく姿は年齢を感じさせないほど圧巻でした。 現在では「めかご」「平織」「綾織」「丸まなこ」「市松織」「本高貴(ほんごうき)」「風通崩し(ふうつうくずし)」「足高貴(あしごうき)」と言う織柄が中心です。 普通は4つの足を使いますが、この中で「足高貴」だけは平織りに8本の足を使って織り上げていく複雑な織で 時間と手間が一段と掛かっています。

染師―西條吉広さん

八丈島の空港から車で20分走ると黄八丈の染を一手に引き受けている「西條吉広さん」のお宅に着きます。以前は、八丈島に四軒有った染屋も、現在では西條さんお一人のみ。西條さんはこの道35年のベテランです。高校時代は染色の勉強のため王子工業高等学校染色科に進み、その後は染一筋の生活を続けてきた方です。

染色の工程

染屋の仕事は、ただ糸を染めると言うことだけでは終わりません。まず材料となる植物の栽培や刈り取りから、始まります。「山吹色」を中心とする刈安は、毎年、広い畑を利用して一人で種まきから始め、成長過程での害虫取り、雑草取りをし、最後に刈り取りへと進みます。
チェーンソーで椎の木を切り倒す西條さん チェーンソーで椎の木を切り倒す西條さん
刈り取った刈安は、自宅の作業場へ運び、しっかり乾燥させ、高床式倉庫に保存し染色に使用するまで風通しの良い場所に保管しておきます。 茶や黒の黄八丈を作るタブや椎の木は、山ごと契約し、その山に自生している木をたった一人で伐採します。周りの木々に掴まらなければ滑って登れない険しい山にチェーンソーを担いで登り、木を見極めて切り倒します。耳をつん裂くようなチェーンソーの音。舞い飛び、ぶち当たる木屑、バリバリと音を立てて倒れる木。それを自分が担げる大きさに切り刻み、肩に担って急な坂を降ります。担げない所からは斜面に投げ、また担げる場所まで引き摺り下ろします。その後、トラックの荷台に積み自宅へ運搬。身体中、木から出た蟻や虫で一杯になりながら直ぐに鎌を片手に木の皮を剥ぎます。剥ぎ終わった皮は煮出しように使うチップ状の大きさに切り分けます。 「新鮮なうちのほうが木の皮が剥ぎ易いし、特に夏場は虫が居るけど、繊維が余計にあるから剥ぎやすいんだよ。」と言いながら、作業場で黙々と鎌を動かして木の皮を剥ぎ、剥いだ皮を集めて煮出す西條さん。この染色工程は大変な蒸し暑さの中で行われました。

黄八丈(刈安染)

代表的な黄色は、刈安で染めます。 刈安は10月末から11月初めまで刈り取りが可能で葉、茎、すべてから色が採れます。 釜に入れて煮詰めて煎じ汁を作り、それが熱い内に鉄の棒に掛けた糸を入れ、何度も繰って浸け染めし、その後一晩浸け置きします。
刈安 刈安
翌日、天日でしっかり乾燥させると言う工程を20回は繰り返すのです。 最後に榊と椿の葉を焼いた灰汁にこの糸を二回浸すと鮮明な黄色に染まります。

黒八丈(椎の木染)

黒八丈は、西條さんが一番得意としている色で、二十年の歳月を掛けて何よりも、そして誰よりも艶やかに仕上げる黒を生み出しました。 方法は、まず椎木の皮を剥ぎ、煮詰めて染料を作ります。実際のふし付けは40回。まず、たるに絹糸を沢庵を漬けるように平らに並べます。その上に熱湯になった椎の木の煮汁をひたひたになるほど掛け、その上に、糸を互い違いに載せます。
椎の木の皮を剥ぐ西條さん 椎の木の皮を剥ぐ西條さん
その上からまた熱湯の煮汁を掛け、糸を入れ。これを繰り返し、樽が一杯になるまで続けます。 最後に上から布を張って一昼夜寝かして置きます。 一回ごとに椎の皮を代え、煮汁を作り、染めると言うこの工程を40回繰り返し、最後に八丈島の泥田(鉄分が入っている)から持ってきた泥水に漬け込んで色止めをし、仕上げます。

鳶八丈(タブの木)

鳶八丈と言われる樺色は、タブの木の皮で染料をとり色付けされます。 染色工程は、黒八丈と同じ。 たるに絹糸を並べ熱湯になったタブの煮汁を掛け、また 糸を互い違いに載せ、熱湯の煮汁を掛け、樽が一杯になるまで続けます。 最後に上から布を張って一昼夜寝かします。
タブの木 タブの木
この工程を25回繰り返し、最後に染料に使った木の皮を焼いて灰汁をとりこれに糸をつけると鳶八丈の色が仕上がるのです。これらの工程を西條氏はたった一人でやり遂げます。 熱湯の染料が出来上がれば作業場は、50度近い温度とサウナのような湿度。 カメラのレンズも眼鏡も曇り、全身から汗が滴り落ちると言う過酷な条件下。そんな中で西 條さんはただただ黙々と仕事を続けて行きます。 染師は、織手と違って決して名前が前面に出ることはありません。 それでも頑張り続けるのは、「自分自身の染めに誇りと自信を持っているから」だそうです。

「黄八丈の魅力は」

八丈島で作られるこの絹織物は、天然素材の上、その強固な染めと織は 孫や曾孫の代まで色褪せないと言われています。 西條さんがふし付けをして行く糸は息を飲むほど光沢があり、朝日を浴びて光る朝露のように、独特の艶やかさを放ちます。 1977年に国の伝統的工芸品に指定され、1984年に東京都の文化財に指定されました。 多くの手間と日数をかけて丹念に染め上げられた糸を織っていく。 この貴重な東京生まれの織物が「和織」に30点も揃います。 これだけの黄八丈が一堂に会することは今ではほとんどありません。 このチャンスをお見逃しなく。

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