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経絣が導いた精緻な世界―近藤好江の織 | 和織物語

著者:外舘和子(工芸史家・多摩美術大学教授)

経絣が導いた精緻な世界
―近藤好江の織

 絣は、予め染め分けた絣糸を使用して模様を織り出す織物である。絣糸を経糸に使用するものを経絣、緯糸に用いるものを緯絣、経・緯糸両方に使用したものを経緯絣という。

 絣はアジアに技術の起源があるとされ、日本では18世紀以降に普及した。かつては木綿を中心に、女性の日常着として親しまれてきたが、今日では、絹糸を用いた様々な絣模様の着物が織られ、お洒落着として愛用されることが多い。

 近藤好江もまた、絹の糸を植物染めする事を基本に、現代の絣を探求している織の作家である。本稿執筆にあたり、2022年12月8日、千葉県市川市の作家の自宅・仕事場を訪ねて取材した。

織物の町に生まれて

 近藤好江は、1943年、足利銘仙で知られる栃木県足利市に四人兄姉の末娘として生まれた。近藤の家も織物製造業を営んでおり、自宅にはしばしば糸屋が訪れ、座敷には常に糸の山があり、近藤は幼少期に「人絹箱」と呼ばれるレーヨンを入れておく箱に寝かされていたこともあったという。当時は、生産が追いつかないほどに織物業は盛況であった。

 糸や織物に囲まれて育った近藤は、早くも小学校四年生の頃から自分が着る服を「デザイン」していた。例えば、店先で「この生地で、四角い襟元、スカートは箱襞で・・・」などと自らオーダーする。服のデザインに強い興味を示す少女時代の近藤を、同行する父親は、何も言わず温かく見守っていた。近藤が中学生の頃には、ファッションデザイナーを夢見るようになっていた。

 その後、近藤は地元の私立高校に進学する。仏教系のその高校で講話の折に聴いた「昨日を背負い、明日を孕む」という教えは、今も近藤自身の生き方の指針になっている。今日という日は確実に昨日の延長にあり、かつ明日へと繋げていく時間である。工芸や織の仕事もまた、過去の積み重ねの上に築かれ、未来を切り拓いていくべきものにほかならない。それは確かに、織物作家として歩む現在の近藤にとっても、示唆的な言葉であろう。

グラフィックデザインの世界で

 ファッションデザイナーの道を考えていた近藤に、グラフィックデザインを勧めたのは、高校に教えに来ていた講師であった。グラフィックデザインこそがあらゆるデザインを制するといった価値観はあくまでもその講師の考え方だが、近藤が高校に進学する1950年代後半は、丁度、グラフィックデザインや広告美術の高揚期でもある。1951年にはグラフィックデザイナーにとって戦後最初の全国的職能団体である日本宣伝美術会(通称日宣美、 1970年解散)が、山名文夫(1897‐1980)、亀倉雄策(1915‐1997)、河野鷹思(1906‐1999)ら約50名によって創設され、かつての広告の「図案家」は次第に「グラフィックデザイナー」と呼ばれるようになっていくのである。

 当時、女子美術大学が受験生のための講習を開いており、近藤も友人と二人で参加し、5B、6Bの濃い鉛筆でデッサンや写生に取り組んだ。当初は、描いたタマネギを「鉄のタマネギ」と評されたりするものの、練習を重ね、近藤は女子美術大学図案科に合格するのである。女子美では、日本の先駆的グラフィックデザイナーの一人である河野鷹思の講義を受ける機会もあった。興味深いことに、近藤の卒業制作は《日本の衣》と題し、ポスターカラーで縞や格子模様を描いたものであった。後に近藤が織物制作に進んでいく布石は、既にこの卒業制作にも窺われるのである。

 卒業後、近藤は、まず早川良雄デザイン事務所に勤め、続いて早川の弟子が独立して開設したデザイン事務所「シウ・グラフィカ」で働き、さらに河野鷹思のデザイン事務所「デスカ」で、グラフィックデザイナーやエディトリアルデザイナーとして実績を積んでいく。デザイナー時代の近藤は、新聞の大きな一面を使用して掲載された文藝春秋の芥川賞の広告により準朝日広告賞を受賞している。

織の道へ

 デザイナーとして実績を上げながらも、近藤自身の中には、商業デザインの仕事に対するある種の空しさもあった。仕事の完成後、間もなく作り上げたものが屑籠へ捨てられていく事は商業デザインの宿命でもある。

 また、1969年に近藤は同業者と結婚し、現在の千葉県市川市に移り住み、夫の母親と同居する中で、妻、母、嫁としての務めも果たしていたが、次第に「自分の世界」を持ちたいと思うようになった。グラフィックデザイン関係の知人の縁で、組紐を学んでみたり、カルチャーセンターで型染めを習ってみたりしながら、自身の手で、形ある物を作り上げる楽しさを実感していくのである。

 1982年、近藤は日本伝統工芸展を見に行き、女子美術大学工芸科で柳悦孝(1911‐2003)の指導を受けた梶谷いつ子の絣織に出会う。梶谷が千葉県在住である事を知り、本人を訪ねたところ、ショールなどの小物よりも「着物を作りたい」と言った近藤に、梶谷は織物の基礎を手ほどきしてくれた。梶谷の指導を受けたのは1年に満たないが、「道具は自分で微調整できる木製か竹製」「織物は無地に始まり無地に終わる」「織がしっかりできるまで組織織には手を出さない」などの教えは今も心に留めている。初めて織り上げた着物は、赤子を抱えるようにして梶谷に見せに行った。「抱えた着物から体温を感じました」という近藤の言葉には、グラフィックデザインとは異なる実物の重みが窺われよう。

 その後、梶谷が織から離れたため、近藤は試行錯誤しながら、ほぼ独学で織の技術を身につけていく。糸の植物染めから、機の構造の工夫などに至るまで、自身の織物にふさわしい方法を見出していくのである。

経絣の魅力

 1991年、近藤は《紬織着物「耀耀」》で第31回伝統工芸新作展(現在の東日本伝統工芸展)に初入選する。それはグレー、黄色、白を組み合わせた比較的大柄な単位の経絣の模様が連続する着物であった。

 さらに、1994年には、《紬織着物「紫霞」》で第34回伝統工芸新作展東京都教育委員会賞を受賞する。生繭の座繰り生糸と真綿の紡ぎ糸を用いたその作品は、ずらし機を用いた経糸のずらしを取り入れることで、模様に抑揚に富んだ曲線が生まれ、五倍子で染めた紫のグラデーションがドラマティックに動いて見える。色数を抑えた、どちらかといえばワントーンの濃淡で、極めて密度の高い奥行きのある風景を生み出していく近藤作品の方向性を、既にこの受賞作に見ることができよう。

 近藤は、柔らかい雰囲気の緯絣の着物も手がけてはいるが、どちらかといえば経絣に惹かれるという。緯絣は、制作の中で微妙な調整も可能だが、経絣は最初に確実な設計をしておくことが必須であり、それが最後まで着物の意匠に貫かれる。等身大の着物の上下に視線を走らせるため、模様の動勢も勢いも強調される。

 経絣の論理に則った潔さは、まさに最初の設計図を確実なものにしておくことを要するグラフィックデザインの世界にも通じるであろう。着物の意匠の起点となる最初の図案や小下図から、模様の単位となる部分の設計図、そして着物全体への模様の配置を確認する実物大の大下図まで、織の仕事はいわば理数系の仕事でもある。着物一枚ごとにそうした周到な計算と思考に基づく準備を経て、近藤の精緻な織の世界が具現化されるのである。模様の緻密さと潔さは、経絣の論理と、近藤自身の姿勢を示していよう。

近藤好江 作 経緯絣紬織着物 「佐保姫」1,580,000円 ※第65回日本伝統工芸展(平成30年)出品作品

近藤好江 作 経緯絣紬織着物 「佐保姫」1,580,000円 ※第65回日本伝統工芸展(平成30年)出品作品

着物の形全体をキャンバスに―反物の発想から着物の発想へ

 一般に、絣は、あるサイズの絣模様を均一に繰り返して一反分を織り上げることが多く、近藤も当初はその習慣に即して織っていた。市松模様的な絣の配置も、その範疇である。しかし、2010年頃から、規則的な繰り返しではなく、着物の形をキャンバスとした〝模様の構図〟を考えるようになる。友禅の作家が着物に描く如く、〝織模様による着物の構図〟を検討していくようになるのである。いわば反物の発想から着物の発想への転換である。

 2011年第45回日本伝統工芸染織展の《紬織着物「潮音」》はその代表的な例である。深い海のようなブルー系の濃淡を示す精緻な模様の間合いが、大きく打ち寄せては引く波を連想させる。着物全体の形における模様の間隔やリズムを自由に決められるよう、近藤は天候の安定した日に、庭先で16メートルの種糸を一直線に張り、印をつけるという方法を見出していくのである。

 また、2013年第60回日本伝統工芸展日本工芸会会長賞受賞作の《綾織絣着物「半夏生」》では、袖から背中へ水平に配されたグリーン系の絣模様と、裾に重心を置いた模様とが一枚の着物の中で呼応する。引きで見た際の構図の美しさと、近づいた際のグリーンの濃淡が心地よいハーモニーを奏でている。さらにこの着物では、平織を基調としてきた近藤が、綾織を取り込み、生糸と手紡ぎ糸の光沢の違いも生かした白が輝いている。近藤家の庭先に育つ「半夏生」という、葉の一部が白くなる独特の植物をテーマに、自然の不思議が、見事に織の世界へと高度に変換された意欲作である。

 なお、2015年と翌年に紬織の重要無形文化財保持者・佐々木苑子の伝承者養成研修を受けた近藤は、近年絵絣も一部試みている。2020年第67回日本伝統工芸展《経緯絣綾織着物「海の詩」》に見る水色を背景とした白い絣模様は絵絣の技術による。近藤の絣の探求は、常に現在進行形なのである。

結びに

 近藤好江は、グラフィックデザイナーとして培ったセンスや設計力を生かし、植物染めの糸を用いた経絣、平織を起点に、美しい自然の形象を着物全体に表現してきた。この度の展覧会では、絵羽17点、帯5本、巾着1点により、織物作家としての近藤の歩みと作域を一堂に見ることができる。

 着物はいずれも、深みと落ち着きを示し、男女を問わず纏ってみたくなるような凜々しい風情である。その精緻な絣模様と計算された構図には、作者の理知的な感覚が反映されている。帯ではロートン織やめがね織などの特徴ある技法も用いているが、いずれもシャープな雰囲気を備えている。

 自然との共生やジェンダーフリーが謳われる昨今、近藤の着物が図らずもそうした現代にふさわしい表現世界である事も注目される。何より、手に取り触れることのできる実物の存在感と温もりを染織が担っている事を、近藤の着物から改めて確認するのである。

経絣が導いた精緻な世界―近藤好江の織
経絣が導いた精緻な世界―近藤好江の織

近藤好江(こんどうよしえ)年譜

1966年 女子美術大学図案科卒業(安宅賞)
         早川良雄デザイン事務所、河野鷹思「デスカ」デザイン事務所にて、
         グラフィックデザイナーとして活動(準朝日広告賞)
1982年 梶谷いつ子氏に師事 染織を学ぶ
1994年 第34回 日本伝統工芸新作展「東京都教育委員会賞」受賞
1996年 第14回 シルク博物館染織作品展「日本真綿協会会長賞」受賞
2001年 第41回 日本伝統工芸新作展「三越賞」受賞
2003年 銀座清月堂ギャラリーにて個展
2008年 千葉県展「県教育長賞」受賞
2013年 第60回 日本伝統工芸展「日本工芸会会長賞」受賞
2015・2016年 重要無形文化財(紬織)伝承者養成研修生
2021年 東日本伝統工芸展 鑑審査委員
         ちばぎんひまわりギャラリーにて個展
         千葉県展「県美術会賞」受賞
2022年 千葉県展「県立美術館長賞」受賞
         日本工芸会正会員

外舘和子(とだてかずこ) プロフィール

東京都生まれ。美術館学芸員を経て現在、多摩美術大学教授、愛知県立芸術大学客員教授、工芸評論家、工芸史家。英国テート・セント・アイブスを皮切りに、海外巡回展『手仕事のかたち』、米スミス・カレッジ、独フランクフルト工芸美術館など、国内外の美術館、大学等で展覧会監修、図録執筆、講演を行う。また韓国・清州工芸ビエンナーレ、金沢世界工芸トリエンナーレ、日展、日本伝統工芸展など、数々の公募展の審査員を務める。著書に『中村勝馬と東京友禅の系譜』(染織と生活社) 、『Fired Earth, Woven Bamboo: Contemporary Japanese Ceramics and Bamboo Art』(米ボストン美術館)など。毎日新聞(奇数月第2日曜朝刊)に「KOGEI!」連載中。


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