今回は父から子へと引き継がれていく「桝屋高尾」のエッセンスを凝縮した作品と、弘氏自身が実地検分して得た五代文明を表現した作品、そして娘が父の生き様から感じ取ったインドへの思いで作り上げた作品を一堂に会します。すでに材料面などの諸事情で再度作るのは難しいと言うものもあります。弘氏が生涯を掛けて製作してきた正倉院から中国、中国から中東、そして南米まで広がっていく織の道、そのエキゾチックなエッセンスを含んだ作品の数々をぜひご覧ください。
高尾弘氏とは
まずは高尾弘氏についてご紹介します。1935年3月11日に京都の西陣に生まれました。父親は戦前から織屋をしていましたが、第二次世界大戦の激化にともない生家は、政府政策の一環として強制撤去されるという憂き目に逢い、一家は疎開、やがて終戦を迎えました。 父親はその後直ぐに他界、17歳で跡を継ぎ、伯父である高尾菊次郎氏の援助を受けて家を切り盛りしていきました。10円でも稼ぎたい時に伯父は「弘、博物館へ毎日行け」と言います。伯父の真の意味が分からないながらも博物館へ毎日30円を持って出かけ、何度も同じ展示物を見て歩く生活を始めました。そのうちに不思議と自分の中に「これは良いな」と言う美意識が芽生えてきたのです。 今振り返って「美しいものを見てそれを美しいと感じる感性の基礎」を伯父は美術館巡りから体得させてくれたのだと感謝する日々を送っています。 高尾家は西陣でも特殊な高級織物を作る織屋、かわり物屋と呼ばれる地盤がありました。やがて、「桝屋高尾」を設立。意匠作りから機織(はたおり)装置の設置にいたるまで総べて自ら手掛け、独自性の強い織屋を作り上げました。ねん金の再現から高尾弘のねん金綴錦
弘氏は、伯父の「高尾菊次郎」氏をはじめ、陶芸の「河井寛次郎」氏。「浜田庄司」氏、「近藤悠三」氏、木工芸の「黒田辰秋」氏などの薫陶(くんとう)を受け、「柳宗悦」氏の民藝運動にも傾倒し、芸術や学問に対しても造詣を深めていきました。 そして名物裂の復元、正倉院の織物の研究などの実績を買われ、ある日名古屋の徳川美術館から、「尾張徳川家伝来の金袱紗(きんふくさ)」の複製依頼が舞い込みました。明時代のものとされ、おそらく徳川家康から尾張徳川家に引き継がれた由緒深い品々のひとつであろうと推測されました。 そして中でも特に珍品とされたのがこの「無地ねん金の袱紗」」でした。全面が黄金色(こんじきいろ)に輝いていて絢爛(けんらん)たる印象であるにもかかわらず、織の全面にたくさんの不規則な凹凸があり、その為に燦然(れきぜん)たる輝きに無数の陰影が作られ、裂全体がしっとりとした落ち着きと奥行きを持っていました。また手に取ると麻のようにシャキッと、さっぱりした感じがあり、黄金色から連想されるずっしりとした重さとは無縁のものでした。 俄然自分の美意識が刺激され、一も二も無く引き受けました。このとき依頼された「織物を分解せずに復元する」方法は、実際に実物に触れるのは一回、「手袋をはめ、マスクを懸け、眼鏡で覗く」、と言うことしか許されず「自分の美意識と経験」が頼りの織の経験を積んだ人でも容易には出来ない仕事でした。
弘氏の考えでは、経糸(たていと)は植物性の繊維。麻か芭蕉(ばしょう)、藤蔓(ふじづる)の皮といった植物の長繊維。緯糸(よこいと)は真綿のような絹の繊維に金箔を手撚り(てより)で巻きつけている。ここまで分析した後、製作の過程でまず織のルーツを探りました。これは初期の李朝の宮廷工房か? 中国南部か? カスピ海近辺か? みずから中国、中東、南米まで織の現場を訪ね周り技法を習得していきます。
名物裂に惚れ込んだのは
もうひとつ弘氏が大切に見聞しているのは「名物裂」です。茶の湯の発達に伴い、書画、茶器の名物と言われるものに付随して珍重された一群の染織品です。大半が渡来品で“茶人の選択を経た秀品”だけが残されています。種類は金襴(きんらん)、銀襴(ぎんらん)、緞子(どんす)、間道、モール、印金(いんきん)、金紗(きんしゃ)などなど400点に近く古くは足利義満の頃、新しいもので江戸中期のものといわれています。 これらが今も美しいと思い魅かれる所以は「茶人の選択を経た秀品」と言うところにあると弘氏は言います。いつの世にも通じる美というものは、それなりの物を観た茶人の美意識というフィルターを通して選別されているから長く愛されるのだと。だからこそ素晴らしいと言われ、例えれば、画家が古画のデッサンをするように、織に携わる人間にとってはこれらの裂を復元しよう、再現しようという思いが生まれてくるのだと言います。シルクロードを辿って五代文明をテーマとした作品作りへ
織のすべてを見て勉強し再現してきた作品作りの中で、次第に弘氏の中にはそのすべての原点に還ってみたいと言う欲求が生まれてきました。そして一念発起して、40年の集大成として自らシルクロードを歩き、五代文明(中国文明、アンデス文明、メソポタミア文明、インダス文明、エジプト文明)をテーマにした作品を数年の歳月をかけて作り上げました。 それぞれの文明ごとにテーマを掲げて作られた作品の数々は、今までの弘氏の技術をすべて集約しその文明ごとの特徴を活かしたほかでは見られない作品として出来上がっています。高尾弘から作家として歩き出した娘朱子へ受け継がれるもの
弘氏は17歳にして引き継いだ家業を自らの研鑽で確かな技術修得を果たし、一方では研究の成果で独自のテーマを描く作品として仕上げてきました。70歳を過ぎた今日でも絶えず研究を続け、昨年も娘朱子さんとインドへの研修の旅に出掛けています。
3人姉妹の末っ子で最初は家業を継ぐ予定ではなかった朱子さんですが、一度社会に出て様々な経験を積み、再び家に戻って家業を女性なりの視点で受け継いでいくことに決めました。
「用の美」を追求し続けてきた高尾弘氏。そしてそれを次の世代に継いで行こうとする娘朱子さん。「締めて良し」「使って良し」「デザインも良し」をモットーに他では作れないものを作り続けてきた集大成の作品をぜひご覧ください。