着物通の誰もが一度は着てみたいと思う、憧れの織物「綿薩摩」
斬新なデザインの絣柄が、着る人の個性を引き立たせ、極細の木綿糸から生み出される独特の質感は、一度身にまとうと着る人を虜にしてしまう。『綿薩摩 手織絣 誠実無比』
『薩摩絣 手織絣 誠実無比』
永江明夫氏の綿薩摩に
感動した武者小路実篤氏が
自ら書き贈った言葉
永江明夫氏の綿薩摩に
感動した武者小路実篤氏が
自ら書き贈った言葉
かの武者小路実篤氏が永江明夫氏の綿薩摩を身にまとった時、その余りにも素晴らしい肌触りと類のない着心地のよさ、そして絣の素晴らしさに感動し自ら書き贈った言葉です。
この言葉に言い表されたとおり、永江明夫氏の半生は綿薩摩作りに捧げてきたと言っても過言ではありません。人柄そのものを言い表した「誠実無比」。糸一本一本にこだわり、絣一つ一つにこだわり、すべての人の憧れとなる織物を作り上げる。織物一筋に傾けてきた情熱が、「幻の綿薩摩」と呼ばれる作品の数々を生み出したのです。
その後、第二次世界大戦が始まります。永江氏にも召集令状が届き、戦士として戦場へ。シベリア抑留の身となり2年間シベリアの極寒の中で言葉では言い表せない生活を送り、終戦を迎えます。
やっと過酷な抑留生活から開放され故郷の奄美大島へ帰ろうと鹿児島までやってきたとき、故郷の奄美大島はアメリカの占領下、日本の領土ではありませんでした。故郷を失い、親戚一同にも会えず、若い永江氏はそのまま九州にとどまります。そして、宮崎県の都城で工房を開いている「東郷織物」に出会います。そこで永江さんの第二の人生が始まりました。
左、曲線が交互に重なり一本の縞模様を成している綿薩摩
右、横段に麻の葉や亀甲などを織り込んだ藍染めの綿薩摩
右、横段に麻の葉や亀甲などを織り込んだ藍染めの綿薩摩
綿薩摩誕生まで
正方形を集めた幾何学
模様が独特の綿薩摩
模様が独特の綿薩摩
「何時の世までも残る織物。その織物に自分が生きた証を残したい」と始めた第二の人生です。最初は一般に言われていた「薩摩絣」、今の宮古上布の織りを始めます。そして大島紬も織り始めます。しかし、永江氏が追い求めていた織物とは何かが違うのです。そういう気持ちから何年も掛けて織の模索が始まります。
こだわって作る綿薩摩は品質が落ちません
藍の濃淡の毘沙門
亀甲の綿薩摩
亀甲の綿薩摩
「綿薩摩」は一反織るのに、半年かかります。1年で作れるのは、どんなに頑張っても80反がやっとと言います。しかし工程を省くことは一切しないと言うのが永江氏の信条です。
「量産をする気はありません。綿薩摩は着物が好きな人に愛し育てて欲しいのです。大事に着てくれた人が次の一着も綿薩摩がいいと言ってくださるような織物を作っていきたい。着る人の感性に負けないものを作っていきたい。」そう微笑みながら言います。