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友禅作家・森口邦彦のデザインエッセンス―秩序の発見と展開|和織物語

森口邦彦作(手前)友禅九寸名古屋帯「重ね亀甲花文 十重」、(奥)友禅九寸名古屋帯「位相亀甲文」
※「邦」の字は正しくは旧字です。

著者:外舘和子(多摩美術大学教授)

 2024(令和6)年の第58回日本伝統工芸染織展で鑑審査委員長を務めさせていただいた。その鑑審査の会場に入るなり、ひときわ目を引く着物があった。重要無形文化財「友禅」保持者・森口邦彦の《友禅着物「九重亀甲花文」》(図1)である。友禅といえば、一般的にはカラフルな色彩や花鳥風月の模様世界を想像しがちだが、森口のその着物は黒いモノトーンの色調で、大きな六角形を独自に構成した幾何学模様を、着物の形に対してアシンメトリーに配し、全体に蒔糊の粗密を利かせた大胆不敵といってもよい友禅であった。日本伝統工芸染織展では、毎年秋に始まる日本伝統工芸展や、他の部会展同様に、重要無形文化財保持者(人間国宝)であっても無鑑査ではなく、厳格に鑑査の対象となる。然るに森口作品も鑑査対象なのだが、その圧倒的オーラと存在感は、既にこの展覧会全体の水準を暗示する司令塔の如き、迫力の一領であった。
 このように、友禅の着物に独自の意匠センスを示す一方、森口は特にこの10年余り「デザイナー」の仕事にも積極的である。2013(平成25)年の第60回日本伝統工芸展出品作《友禅訪問着「白地位相割付文 実り」》からデザインを展開した三越のショッピングバッグ、あるいは2015(平成27)年のセーブルのカップ&ソーサーや2023(令和5)年のヴァン・クリフ&アーペルのプレシャスボックスなど、海外ブランドとのコラボレーションにも確かな成果を上げている。「漸く少しフランスに恩返しができました」とパリに国費留学していた森口は語っている。
 友禅作家・森口邦彦については、2019(令和元)年にも『和織物語』に「視覚の冒険―森口邦彦の錯視的抽象の友禅」というタイトルで総論的な拙稿を書いているが、本稿では、森口のデザイン手法や発想、思考を中心に掘り下げていきたい。幸い、作家の多忙にもかかわらず、2024(令和6)年8月5日、京都の森口邦彦宅で再び取材する機会を得た。貴重な草稿などの資料を数多く見せていただいたほか、長時間にわたり話を伺う時間を作っていただいたことに、この場を借りて心より感謝申し上げたい。

図1:森口邦彦作 友禅着物「九重亀甲花文」
※第58回日本伝統工芸染織展 出品作(令和6年)

父・森口華弘のもとに生まれて

 森口邦彦は、1941(昭和16)年、友禅作家で重要無形文化財保持者の森口華弘(1909 - 2008)を父に、京都に生まれた。父・華弘は植物などの具象的な模様を得意とし、鶴、梅、菊、竹、流水などをモチーフに、蒔糊を巧みに扱い、友禅の新たな華やかさを創造した人であった。
 森口邦彦(以下、森口)も、同志社高校を卒業後、京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)で日本画を学んでおり、具象的表現が不得手な筈はない。当時、同大の日本画科には、国画創作協会の創立メンバーで花鳥を得意とした気鋭の日本画家・榊原紫峰(1887- 1971)や、創造美術(現・創画会)上村松篁(1902-2001)がおり、森口は清新にして高水準な日本画教育を受けている。
 しかし、森口は、着物の白生地に迷いもなく様々な植物を描き出す父の運筆を子供の頃から間近で見ており、「どんな花でもあれだけ素早く描ける人が側にいたら、とても自分が花を描く気になれるものではありませんでした」という。特に、友禅作家の場合には、日本画家が長方形の紙や絹本に描くのとは異なり、着物という独特のフレームを生かす構図、モチーフのサイズや配置を的確に想定して描く必要がある。更には着姿も想定して臨む事も少なくない。森口が父に対し、ただ花鳥風月が上手に描けるというにとどまらない、一種特別な才能を感じ、畏敬の念を抱いたとしても不思議はないだろう。
 しかし、森口華弘の具象に対し、森口邦彦の幾何学的抽象という大まかなイメージの違いはあるものの、華弘の作品を振り返ると、自然をかなり抽象化して扱ったものも散見される。具象的なモチーフを解体し、部分をクローズアップしたり再構築したりする姿勢や、構図の大胆さには、父子両者に通じるものが窺われる。また、華弘の友禅も、多色というよりはむしろ抑えた色数で染められており、その分、蒔糊で一種のテクスチャーを想わせる充実した面を築いている。蒔糊の有効活用もまた、父子に共通するものである。但し、全体として見ると、両者それぞれに異なる世界を生み出しているのである。

フランス留学で得たもの

 森口は大学を卒業後、運筆の道具を手にしながらも渡仏し、パリの国立高等装飾美術学校で、グラフィックデザインや当時最先端の美術動向の一つ、オプ・アート(錯視的な視覚効果を生むアート)を学んだ。1960年代、特にアメリカではポップ・アートが注目されていたが、森口はポップ・アートには興味が湧かなかったという。パリの装飾美術学校での指導者は、スイス出身のグラフィックデザイナー、ジャン・ウィドマーで、その考え抜かれたシンボリックなデザインには、ダブルイメージや視覚的な遊びの感覚も窺われ、その意味で森口のデザインの発想に影響を与えたと思われる。
 森口はフランスでそのようなグラフィックデザインの先端教育を受け、優秀な成績で卒業し、パリのグラフィックデザイン事務所から就職の話もあったが、画家バルテュスの勧めで友禅の道に進む事になる。古典を踏まえた堅牢にして繊細な具象絵画で知られるバルテュスは、1962(昭和37)年、文化大臣アンドレ・マルローの依頼により、パリで開催する日本古美術展のために来日し、この時出会った日本人女性と後に結婚した(註1)。妻は着物を愛用する人であったようだ。この来日の折、バルテュスは華弘にも会っている。バルテュスはローマのヴィラ・メディチ(註2)に、パリの装飾美術学校を卒業した森口を招待し、森口はそこで6か月を過ごしている。日本に強い関心を寄せていたバルテュスが、森口に対し、帰国して日本で友禅に取り組む事を勧めたのは自然であろう。
 フランス留学は、結果として森口に友禅の世界に入る決意を促し、しかも父の仕事をただ「継ぐ」のではなく、新たな友禅表現の世界を切り拓いていく土壌を築いたのである。

註1:ドミニク・ラドリッツアーニ、河本真理編年譜『バルテュス展Retrospective Balthus』図録、東京都美術館ほか、2014年。
註2: ローマのヴィラ・メディチは、芸術の国際交流の為の機関としての役割を果たしていた。

デザインの手法―秩序の発見から創造へ

 「コロナ禍中、ずっとこんなものを描いていました」と取材で見せて頂いたのは、デザインの起点となる図案の研究過程を示す何枚もの草稿である。例えばA4ほどの用紙に六角形の様々な組み合わせが描かれている。5弁の花のように5つの六角形を描き、そこに別な六角形3つあるいは4つを組み合わせたものを重ねて描いた草稿の脇には、「五+三⇒八重」「五+四⇒九重」などのメモ書きも見られる(図2)。また、それら六角形は、中心を形成する六角形と、周囲の六角形との結びつき方を強めたり緩めたりすることで、印象の異なる別な幾何学模様になっていく。

図2

 注目すべきは、六角形が一本の線ではなく、僅かに幅のある二本線または三本線などで描かれ、線の重なりの上下が明確に表されていることである。一定の幅のある線の上下関係を描くことで、二次元の図に三次元の奥行が生み出されていく。本稿冒頭の第58回日本伝統工芸染織展の作品では、六角形を中心に一つ、周囲に八つを組み合わせ、幅のある線は黒で染め抜かれ、但しその線の重なりの上下関係は明確に表現されている。更に、着物全体を俯瞰すれば、六角形の図形の中心に向かって蒔糊の密度による濃淡が形成され、モノトーンでありながら存在感のある意匠となっているのである。
 森口がデザイン上の影響を受けたと思われるものの一つに牧野富太郎の達者な植物画で構成された植物図鑑がある。森口によれば図鑑との出会いは美大生だった1960(昭和35)年頃で、一度失くしてしまい、1977(昭和52)年頃に再び購入し、図鑑を参照して植物を描いたノートが残されている。
 但し、それは牧野が描いた何か特定の植物画をアレンジしてそれを友禅の模様にしたというような事ではない。森口が「参照」したのは、植物をこよなく愛し、植物に敬意を抱いていた牧野の、いかにも学者らしい植物に対する分析的態度である。牧野は植物画を描く際、その植物の茎や葉、花などの全体像のほか、花の断面図や花を後ろから見た姿、雄蕊(おしべ)や雌蕊(めしべ)を取り出してそれだけを描くなど、解剖するかの如く、徹底して植物の成り立ちを捉え、描いている。いわば植物の「秩序」を個々に図示しているのである。森口の図案の中にも、例えば花簪などの花を、花弁の枚数や長短を変えたり、花弁の先の丸まり具合を真上から六角形的に捉えたり、花を四角形に四つ繋げたりした図案がある。
 森口のデザインとは、六角形をはじめとするシンプルな幾何学的図形の要素を基に、それを展開させて規則性、秩序を構築し、新たな模様の世界を生み出す事である。「秩序」というと一種の制約のようでもあるが、その制約こそが創造を導いていく。秩序の発見と展開、創造は、森口にとって分かち難く繋がっている。植物などの自然もまた、美しい秩序の基に成り立っている事に森口は自覚的である。
 友禅作品の模様も、グラフィックデザインも、森口にとっては、ある「秩序」を発見し、創造的に具体化、視覚化する事に他ならない。必要に応じ「秩序」には強弱や連続、諧調などが導入される。それが森口のデザインエッセンスであろう。友禅では、その秩序を生地上の二次元から、視覚的には三次元ないし多次元へと立体化、空間化する。蒔糊は空間の密度を上げると共に、その秩序を際立たせる役割を果たす。森口邦彦の友禅は、そうした極めて理知的な手法と態度により成立しているのである。
 この度の銀座もとじの個展では、冒頭の出品作のほか、最新作のプラチナボーイの訪問着や帯などが一堂に並ぶ。例えば《友禅訪問着「位相三ツ鱗文 みなもと」》は、三角形を一定の規則性のもと動的に連続させ、従来の三ツ鱗文を独自の表現へと変換している。位相の原理を巧みに視覚化しているのである。そうした図形的表現が着物という布帛によって、また着用によって、生き生きと立ち上がる様子も楽しみである。


森口邦彦作 友禅訪問着「位相三ツ鱗文 みなもと」

森口邦彦氏 プロフィール

1941年京都市生まれ。1963年に京都市立美術大学(現・ 京都市立芸術大学)日本画科を卒業後、渡仏。パリ国立高等装飾美術学校でグラフィックデザインを学び、1966年卒業。帰国後、『友禅』重要無形文化財保持者(人間国宝)であった父・森口華弘氏の下で友禅技法を学ぶ。1988年仏政府レジオン・ドヌール芸術文芸 シュヴァリエ章受章、2001年紫綬褒章受章、2007年『友禅』重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定、2013年旭日中綬章受賞、2020年文化功労者に選定、2021年仏政府レジオン・ドヌール・コマンドゥール章受章。 
父・華弘氏が花鳥風月の古典美をモチーフにした作風であるのに対し、幾何学模様を配したグラフィカルな表現を極める。作品はV&A博物館、NYメトロポリタン美術館をはじめとする世界の主要美術館に所蔵されるなど、海外でも高く評価されている。

1941年 京都市生まれ
1963年 京都市立美術大学日本画科卒業、フランス政府給費留学生として渡仏
1966年 パリ国立高等装飾美術学校卒業
1967年 父・森口華弘のもとで友禅に従事し始める
1969年 第6回日本染織展にて文化庁長官賞
     第16回日本伝統工芸展にてNHK会長賞
2001年 紫綬褒章受章
2007年 重要無形文化財「友禅」保持者に認定
2009年 「森口華弘・邦彦展ー父子人間国宝ー」(滋賀県立近代美術館・読売新聞東京本社)
2013年 旭日中綬章受賞
2016年 「森口邦彦-隠された秩序」展(パリ日本文化会館・国際交流基金)
2020年 「人間国宝 森口邦彦 友禅/デザインー交差する自由へのまなざし」(京都国立近代美術館)
2020年 文化功労者に選定
2020年 フランス共和国 レジオン・ドヌール・コマンドゥール章受章
2023年 フランス発ジュエラー「ヴァン クリーフ&アーペル」とのコラボレーションによる、プレシャス ボックスを制作

外舘和子(とだてかずこ) 氏 プロフィール

東京都生まれ。美術館学芸員を経て現在、多摩美術大学教授、愛知県立芸術大学客員教授、工芸評論家、工芸史家。英国テート・セント・アイブスを皮切りに、海外巡回展『手仕事のかたち』、米スミス・カレッジ、独フランクフルト工芸美術館など、国内外の美術館、大学等で展覧会監修、図録執筆、講演を行う。また韓国・清州工芸ビエンナーレ、金沢世界工芸トリエンナーレ、日展、日本伝統工芸展など、数々の公募展の審査員を務める。著書に『中村勝馬と東京友禅の系譜』(染織と生活社) 、『Fired Earth, Woven Bamboo: Contemporary Japanese Ceramics and Bamboo Art』(米ボストン美術館)など。毎日新聞(奇数月第2日曜朝刊)に「KOGEI!」連載中。

重要無形文化財 友禅 保持者 森口邦彦展

※「邦」の字は正しくは旧字です。

重要無形文化財「友禅」保持者 森口邦彦氏による5年ぶりとなる個展を開催します。
作品の奥深い空間性、唯一無二の存在感と品位は作家の生き方と確かな友禅技術から生み出されます。
時代の変革の中でも変わらない伝統の根本と本質を探求し続け、
新たな友禅表現の世界を切り拓く作家の新作20作品を一堂に。
この機会をどうぞお見逃しなく御覧ください。

作品一覧はこちら

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重要無形文化財 友禅 保持者 森口邦彦展
会期:2024年11月22日(金) ~24日(日)
場所:銀座もとじ 和染、オンラインショップ
〈お問い合わせ〉
銀座もとじ和織和染 03-3538-7878
銀座もとじ男のきもの 03-5524-7472

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森口邦彦先生 特別講演 ぎゃらりートーク

日時:11月23日(土)10~11時【キャンセル待ち】
登壇者:森口邦彦氏、外舘和子氏(多摩美術大学教授)、泉二啓太(銀座もとじ店主)
「僕は美しいものをつくりたい」、今に問い続けるあくなき探究心。
デザインの魅力、意匠に込められた創造性に迫ります。
会場:
銀座もとじ和染
定員:
40名様(無料・要予約)
「和織物語」を取材執筆(近日公開予定)いただいた、多摩美術大学教授の外舘和子先生をお迎えいたします。
店主 泉二は、2022年9月の就任記念パーティーで森口邦彦先生と初対談。今年6月の奄美大島の講演会にも同行させていただきました。

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森口邦彦先生 特別講演会

日時:11月24日(日)10~11時【受付中】
登壇者:森口邦彦氏、外舘和子氏(多摩美術大学教授)
森口氏が歩んできた「自分の中に答えを見つけていく日々」
秩序の発見から展開へ、新たな友禅表現の世界を切り拓く作家の思考に触れます。
会場:
紙パルプ会館 2階フェニックスプラザ(東京都中央区銀座3-9-11 紙パルプ会館内)
定員:
100名様(無料・要予約)
2024年の第58回 日本伝統工芸染織展で鑑審査委員長を務められた多摩美術大学教授・外舘和子先生を聞き手にお迎えした特別講演会です。
※美術・文化を学ばれる学生の皆様もこの機会にぜひご参加ください。

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