著者:外舘和子(多摩美術大学教授)
紅型とは―紅型小史
型紙を使った糊防染による模様染めのうち、沖縄で発達したものを今日「紅型」と呼んでいる。広義には、筒糊の手描きによる「糊引(ぬいびち)」や、藍の浸け染めも含むことがあるが、狭義の紅型は、やはり色彩豊かな型染め、沖縄の言葉でいう「型付(かたちき)」を指すといってよいだろう。 「紅型」の語源については幾つかの説がある。染料の原産地ベンガルに由来するという説、中国文化を伝えた福建省の閩(びん)人によるという説、色を挿すことを「紅(びん)」を入れるといい、型は文様を意味するという説などである。 やきものの世界で様々な色の上絵具を使う技法を「赤絵」というが、これは赤だけでなく多彩な色を使う「色絵」とほぼ同義である。同様に「紅型」も紅色だけでなく、鮮やかな多色使いであるという共通点は興味深い。 沖縄の明るい日差しに映える紅型の華麗な色彩は、紅型の歴史に由来する。紅型技術の発祥には諸説あるが、遅くとも15世紀の半ばには、明代の中国から型染めの技術が伝えられ、琉球では紅型が行われていた。紅型は、もとは王族や士族階級のみに着用が許された華やかな高級衣装として発達したのである。 紅型を作る職人のうち、首里に住居をかまえ、王府の絵図奉行の絵師の下、紅型を制作したのが紅型三宗家といわれる沢岻(たくし)家、知念(ちねん)家、城間(ぐすくま)家の三家である。廃藩置県の後、支持層を失った紅型は一時衰退するものの、三宗家の努力により、技術は今日に伝えられた。 今年78歳になる重要無形文化財「紅型」保持者・玉那覇有公(1936―)の染色家としての道は、この紅型三宗家の一つ城間家の十四代当主・城間栄喜(1908―92)の娘・道子との結婚を機に、本格的に始まった。玉那覇有公、紅型の世界へ
紅型両面染め着尺「オモダカ水草に縞文様」
玉那覇有公は1936年、沖縄県石垣島の農家に生まれた。母の実家は呉服商であったという。1951年に中学校を卒業すると那覇の鉄工所に就職。その後、1961年に紅型に出会い、城間栄喜のもとで修業を始めている。 玉那覇有公にとって、紅型の修業を始めることは人生180度の転換であった。「一番<かたい>世界から、一番<柔らかい>世界に来てしまいました」(註)と作家は言う。ハードな鉄から、ソフトな布地の世界へ。
1.図案作成
スケッチし、整理して色鉛筆でトレーシングペーパーに写す2.型彫り(型紙作成)
渋紙に図案を写し型紙を彫る3.型置き
布を板に貼り、型紙を置いて防染糊を置く。一回終わると型紙をはがし丁寧に型を合わせて模様を繋ぎ、再び糊を置くことを繰り返す4.色挿し
布を板からはがし、糊で防染していない部分に筆で色を挿していく。染料よりも顔料を使用することが紅型の特徴の一つ。模様の縁を隈取して強調する一方、毛足の短い筆でぼかしを入れるなど、模様には細やかな立体感を出す。5.地染め
地に色を入れる場合は模様に糊を伏せて地染めする6.蒸し
7.水元(水洗い)、乾燥
註:那覇市の玉那覇有公宅にて取材、2014年1月28日。文章中の作家の言葉はこれによる。
細やかな工夫と両面染め
大まかな流れとしては前述のような7工程であるが、個々の工程には、城間家伝来の、また玉那覇自身による細やかな工夫がある。 例えば型紙を彫る際に使う突き彫りの道具は、作家自身が傘の骨の先を削って手作りしたもの。突き彫りは紅型の特徴でもある。型紙の突き彫りを受ける台は、沖縄伝統の「ルクジュウ」。豆腐を日に干して硬くしたものだが、これを下敷きにして彫ると、大豆油で刀の刃が錆びないのである。
紅型両面染め着尺「クマツヅラ文様」
紅型両面染め着尺「竹垣に花文様」
紅型の内でも、とりわけ玉那覇有公が精力的に取り組んできたのは師・城間栄喜譲りの両面染めである。王朝時代の紅型衣装も多くは両面染めであった。布の表と裏に、ぴたりと合った模様が冴える両面染めは、紅型の最も高度な技術とされる。玉那覇は紅型を始めてまもなく、この伝統に挑んでいる。 布の片側だけでも、継ぎ目が分からぬよう正確に型紙を置いていく工程には細心の注意を必要とする。
模様の創造―生気あふれる植物模様
玉那覇有公の紅型制作において最も重要なことは、模様の創造である。技術は師・栄喜の仕事を見て学んだ。妻・道子も助言してくれる。しかし、新たな模様の世界を築いていくことは、玉那覇有公自身の仕事である。 紅型には、紅型の歴史の中で生まれた吉祥模様や花鳥風月を題材にした伝統模様がある。また、城間家には代々がそれぞれ考案してきた模様がある。その上で作家はさらなる創作に挑まなければならない。個性や創造性は自ら獲得していかなければならないものである。 幸運にも、沖縄は一年を通じて植物が豊富である。近所を少し歩くだけでも、次々に草花が目に飛び込んでくる。「最近ではスケッチしなくても、歩きながら見ているだけで模様が浮かんできます」と玉那覇は言う。生きた自然の姿、印象が、作家のフィルターを通して模様化されていくのである。 玉那覇の着物に見る模様世界の特徴は、大まかに2つ。 一つはひし形など幾何学的な直線的構成の中に、具象的な植物モチーフをはめ込み、組み合わせて全体を構成するもの。型ならではのシャープな線と、植物の愛らしさとの、コントラストで築き上げる世界である。 もう一つは、植物の葉や茎を思わせる曲線の連続性の中に植物モチーフを溶け込ませるように活かしたもの。特にこの傾向の作品は、植物全体がうごめき、常に揺らいでいるような動感があり、この作家の柔らかな色彩感と相俟って、独特のしなやかで鬱蒼とした生命力を感じさせる。沖縄の快活な風や光や空気までも思わせる、密度のある模様世界である。 しかも、具体的なモチーフに取材しながら、配色は自由奔放で、例えば葉や花にトーンの異なる青を配するなど、実際の植物の色とは異なる想像力豊かな多彩色によって、生気あふれる華やぎの世界を築いているのである。二枚異型染めで模様の密度を出す
"動き"や"密度"のある模様世界の創造に際しては、玉那覇独自の「二枚異型」の使用も、しばしば貢献している。 一般的な紅型においても、一つの模様の面を染めるのに型紙を二枚使用する技法はあるが、玉那覇の「二枚異型」は二枚使いの意味が異なる。伝統的な二枚型の場合、一枚はポイントとなる模様部分だけを染めるための「染地型」と呼ばれる型紙、もう一枚は「白地型」と呼ばれる全体の地模様を染める型紙である。それら二枚の型紙で染めることで、図と地のある模様が出来上がる。 しかし、玉那覇の「二枚異型」は、一つの模様の面を染めるために、別々の地模様を構成する型紙を二枚使用する。つまり、図のある地模様の型紙に、さらに別の地模様の型紙を重ねることで、玉那覇独特の線や模様の密度や動きを生み出すのである。それは型染ならではの表現でもあり、作家独自の空間表現を導いている。 「二枚異型染め」と呼ぶこの技法を思いついたきっかけは、玉那覇の日常の何気ない一コマにあったという。ある日、知り合いの車で移動中、窓の外を見ていると、風でふわりと何かが飛び、咲いていた花の上にひらりと被さった。花そのものも勿論美しいが、何かが重なったその姿にもまた違った美しさが生まれた。模様の上に模様。模様の重なりによって生まれる美を、沖縄の自然に対する作家の素直なまなざしが見出したのである。プラチナボーイを紅型で染める
日本の染色作家にとって生地は単なるキャンバスでなく、作品の風合いを左右する重要な素材である。糊置きする際の糊のくい込み具合、顔料の吸い込み具合など、実際に染めてみなければわからないことがある。布の素材や織の種類との相性もある。 この度の展覧会で玉那覇は、銀座もとじオリジナルの白生地「プラチナボーイ」を染めた。プラチナボーイは純国産の雄の蚕のみの糸を使って織り上げた極上の布。
プラチナボーイ着尺「六角七宝花雪輪柄」
紅型両面染め着尺「石垣にかごめ松かさ文様」
玉那覇有公は、今回この生地を得意の植物模様で染め、華やぎのある空間構成を実現している。衣桁にかけて見ている折には、一見、濃厚ともみえる模様世界も、帯や帯締めとの組み合わせで、着用すると艶やかにまとまることが多い。着物という直線構造のシンプルなフォルムは、複雑な連続模様を知的かつスマートに魅せる。 銀座もとじプロデュースのもと、日本の養蚕技術のを結集して作られた白生地プラチナボーイと重要無形文化財保持者・玉那覇有公による紅型との出会い。
紅型両面染 全7点
紅型両面染め着尺「草花文様」
第44 回 日本伝統工芸染織展(2010年)
第44 回 日本伝統工芸染織展(2010年)
紅型両面染め着尺「ボタンヅル文様」
第43回 日本伝統工芸展染織展(2009年)
第43回 日本伝統工芸展染織展(2009年)
紅型両面染め着尺「竹垣に花文様」
第41回 西武伝統工芸展(2006年)
第41回 西武伝統工芸展(2006年)
紅型両面染め着尺「牡丹に竹菱形文様」
第58回 日本伝統工芸展(2011年)
第58回 日本伝統工芸展(2011年)
紅型両面染め着尺「石垣にかごめ松かさ文様」
第45回記念西部伝統工芸展(2010年)
第45回記念西部伝統工芸展(2010年)
紅型両面染め着尺「オモダカ水草に縞文様」
第45回 日本伝統工芸染織展(2011年)
第45回 日本伝統工芸染織展(2011年)
プラチナボーイ着尺「六角七宝花雪輪」