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草木染めの結城紬|和織物語

草木の命で染めた糸を手で紡ぎ、地機じばたで織り上げる。 自然の温もりが伝わります。

関東地方で作られる「結城紬」

結城紬は今も茨城県結城市で生まれています。JR結城駅を降りてほどなく行くと昔ながらの街並みの中に「縞屋」と呼ばれる結城紬の問屋街があります。結城紬の問屋が「縞屋」と呼ばれたのは、昔、結城紬のほとんどが「無地」か「縞」だったからでした。そんな問屋街の一角に明治、大正時代に作られた結城紬の生地見本が大切に保管されていました。
槐、黄金花、五倍子で 染めた結城紬 槐、黄金花、五倍子で
染めた結城紬
「縞屋」の名のとおり、「縞柄」が多い中で、一際目を惹いたのが『とても優しい色』をした無地の生地でした。 なんとも言えない優しい色、昔懐かしいセピア色の写真を見るような郷愁のある色、年月を経て多少は色が落ちているのでしょうが、とっても懐かしい人に出会ったような、そんな感じの色でした。それは、二度と同じ色は出せない草木染の結城紬だったのです。

「重要文化財」の結城紬

結城紬は1956年に国の重要無形文化財に指定されました。この指定条件が、 1.使用する糸は総て「手紡ぎ」であること。決して強撚糸は使用しないこと。 2.絣模様は「手括り」で行なうこと。 3.地機で織ること。 以上の3点でした。その上で更に幅、長さ、打ちこみの数、絣模様のズレなど16項目にわたる厳しい検査に合格しなければなりません。 折りしも結城紬が「重要無形文化財」に指定された1956年は、日本が高度経済成長期に突入した頃です。「所得倍増計画」「国民総生産倍増」が謳われ、世の中は大量生産、大量消費の時代に入ります。 この流れに、ひとつひとつ手作りされていた結城紬も押されていきます。着物も均一の色合いのものが大量に必要となり、色落ちしやすい「藍染め」が敬遠され、化学染料を使った結城紬が主流となります。そしてその流れが現在まで続いていたのです。 ところが、最近になって藍染めだけでなく、結城地方特産の「桐」や「桑」でも色持ちが良く染まる技術が開発されました。自然の暖かさが含まれた糸で織られた結城紬は一段と風合いが良く着心地も優しいのです。

手紡ぎのよさ

結城紬は「着心地が良く暖かい」と言われます。その理由が「手紡ぎ」です。 今でも鬼怒川のほとりには田園風景が広がっています。昔はこの鬼怒川も「絹川」と呼ばれていたそうで、川の周辺には肥沃な土地が広がり、そこでは桑の木が沢山育てられていました。この栄養満点の桑を食べて育ったおカイコさんが作る繭は質が良く糸に弾力があるのです。 この繭を真綿にして糸を取ります。糸を引くのにも結城紬の場合は余り撚りをかけずに引き出します。かと言って全く撚りがないと糸が綿状になってしまい、織物に適した糸にならないので微妙な力加減が必要となります。この絶妙な感覚を指先一つでやってのけてしまうのが、熟練したおばあちゃま。縁側で一日中、指先を唾液で湿らしながら糸を引いていきます。

たたき染め

糸の染色は「たたき染め」と言う方法で行われます。染めた糸を叩いて染料を糸の芯まで染み渡らせるために「たたき染め」は欠かせない工程です。

地機(じばた)で織る

このようにして出来あがった糸は最後に機に掛けられます。重要無形文化財に指定されるためには「地機」で織り上げるのが条件となります。 ケヤキの皮をなめした腰当てを腰に巻きつけ、経糸を腰にまとめ、緯糸を打ちこむときにその張り具合を腰と足でコントロールします。織手が全身の力を使い織機と一体となって織り上げるこの「地機」は、独特の大きな杼(ひ)で何百回となく糸を打ち込むため、織りあがった着物は強く丈夫でありながら、しなやかで肌触りが良く、また数多く打ち込まれた糸が空気を含むので着て暖かいと言われています。
右、槐、黄金花、五倍子で 染めた結城紬 左、阿仙薬、渋木、五倍子、 黄金花で染めた結城紬 右、槐、黄金花、五倍子で
染めた結城紬
左、阿仙薬、渋木、五倍子、
黄金花で染めた結城紬
織手の思いが込められた「地機」で織り上げられる結城紬。「結城紬」が親子三代にわたって着続けられるといわれる理由はこの点にもあります。 同じ色は二度と出せない「草木染めの結城紬」。その年に生まれた草木の命が形を変えて、糸に染み渡り、着物となり、皆さんの元に届きます。

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