私が泉二さんと初めてお会いしたのは、確か1990年代のことだった。その頃は、「きもの」は今よりはとても売れてはいたが、着ている人を目にすることはあまりなかった。 その時代に芽生えたのが、「男のきもの」であり、インターネットでのきもの好きたちの出会いであり、街をきものを着て歩くことであった。
その礎に、泉二さんが居られた。きものを楽しむ時代の幕が開いたのだった。
今でこそ、すっきりとした佇まいの呉服屋さんを各地で目にすることはあるけれど、銀座に「和織」のお店が出現したときは、センセーショナルだった。ご当地をテーマにする「銀座ものがたり」や、柳を使った「銀座の柳染」。素材にこだわった「プラチナボーイ」も、時代の魁であり、それが、脈々と枯れることなく続いている。
今のこの時、人々の生活習慣が、大きく変化してしまうかもしれない。
しかし、泉二さんは、そして「銀座もとじ」さんは、きっと新しい一本の糸を見つけ出し、それを紡いで、次の時代を織り上げていかれると、私は信じる。
令和2年5月15日
服部綴工房 主宰
服部 秀司
服部綴工房 主宰 服部秀司さんのご紹介
飛鳥時代に中国から伝わり、江戸時代に西陣で発展した綴織の技術は隆盛を究め、明治になり一般に流通、以後、現在に至るまで脈々と受け継がれています。
服部さんは京都に生まれ育ち、父親の家業を45歳で継がれました。
工房では爪掻本綴の帯だけを手掛けており、一つ織り上がると、地色も絵柄も全く違うものを織り量産することはしません。
爪掻本綴の「何も足さないという魅力」、それは帯芯や裏地が不要なので、織りそのものの風合いを命としていることです。やわらかいけどコシがある、しなやかな風合い、お客様にとりお気に入りの1本になれるよう、3代目となるご子息と日々制作を続けています。
2002年 男のきもの開店当初より角帯制作