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丹波布技術保存会技術者協会さんからのメッセージ

私ども「丹波布技術保存会技術者協会」(以下、技術者協会)は、兵庫県丹波市という里山や田畑に囲まれた地域で活動しています。江戸の末期から農家の主婦の副業として作られていた「丹波布」は、近代化の波に押されて一時は衰退しますが、昭和の初期に京都の朝市で柳宗悦の目に留まったことから復興運動へとつながり、現在に至ります。

一度途絶えてしまった技術を復興させるには、多大なエネルギーや人と人の繋がりが必要だったのではないかと想像します。そして想像を超えた様々な物語があったと思います。どんな風に技術を再興し、作り手たちと布を作り上げたのか、そのときにはどんな感動があったのか、そんなことを考えると、当時はただ布を作るのではなく、次の世代に伝えていく「技術」も作り上げられたのだということに気づかされます。そんな大切な技術を伝承された私たち織り手は、先人の尽力や復興当時の景色に思いをはせながら、伝えられた技術を大切にそして現代に生きる布を制作しています。

丹波布の制作過程は、糸を紡ぐところから始まります。反物一本を織りあげるのに数か月を要する「丹波布」は量産とは程遠いところにあります。制作環境もかつての作り手と同様、日々の生活の中で制作されています。それぞれの丹波布技術認定者が織りあげた布を集め、展示会や業者の方に見ていただくという活動を細々と続けています。

そんな私たちの活動に、大きなニュースが飛び込んできたのが2年前。なんとあの銀座もとじさんで丹波布を取り上げていただけるとの事。喜びと緊張が私たちの心の中を行ったり来たりしました。もとじさんの展示会に向けて制作が始まり、納品した数はいつもの1.5倍ほど。今まででおそらく丹波布史上一番たくさんの丹波布が集まりました。

展示会場は丹波からは遠方となるため、多くの技術認定者は行けませんでしたが、トーク会への参加と付き添い者等数名が展示会場を見ることができました。あの銀座もとじさんの店内に素晴らしく丹波布がディスプレイされているのを見て、大量の写真を仲間たちに送り、喜びを共有したことを思い出します。そして、トーク会ではたくさんの方にご来場いただき、あたたかい反応をいただきました。また糸紡ぎの実演や在廊する中で、たくさんのお客様とお話ができ、興味を持って見てくださっていることを実感し、大きな喜びを感じました。

普段はそれぞれの工房で制作し、直接使い手に会う機会は少ないのですが、もとじさんでの展示会を通し、多くのお客様と直接お話しできたことは、今後の制作の大きなそして嬉しい励みになりました。

丹波の片田舎で糸や布に向き合う日々ですが、展示会の時の喜びを思い出しながら、またお客様にお会いできることを楽しみに、皆で力を合わせてより良い伝承、より良い丹波布の制作に励みたいと思っております。

令和2年6月10日
丹波布技術保存会技術者協会


(左から、イラズムス千尋さん、河津年子さん、塚口佳代さん、二代目・啓太)
2018年トーク会にて。左から、イラズムス千尋さん、河津年子さん、塚口佳代さん、二代目・泉二啓太
八寸名古屋帯 丹波布 草木染 全通 「格子 ベージュ×青×水色」(桐/栗/藍)

丹波布技術保存会技術者協会さんのご紹介

丹波布は、明治末期まで丹波佐治の地で農家によって盛んに織られ、当時は「佐治木綿」と言われ愛用されていました。畑で栽培した綿をより、糸を紡ぎ、藍、栗の実の皮、ヤシャブシ、山楊、こぶな草、榛の木などの草木で染め、手織りで仕上げられ、絹のつまみ糸を緯糸に入れるのが特徴です。

国指定選択無形文化財 「丹波布」 を所有する丹波布技術保存会。1954年に佐治の名士ら9人が立ち上げた 「丹波布復興協会」 (翌年に技術保存協会に改称) で、 1957年に国の文化財指定を受けます。 その後、1984年に丹波布の第一人者である足立康子さんらが、織り手で組織する 「丹波布技術保存会」 として再興されました。

青垣町にある丹波布伝承館の元指導員と卒業生有志でつくる 「技術者協会」 は会員約30人が保存会に入会しています。地域の歴史と文化を受け継ぎながら、丹波布の実直で奥深い美を追い求め邁進しています。

*「丹波布」の名は、柳宗悦によって、復興時の1953年に名付けられました。
銀座もとじ和織 2018年10月 初催事、2020年40周年記念展 銀座の柳染 出品

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