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  • 《辻が花の歴史と魅力を解説》すべての色は「白」のためにある-小倉淳史さんの辻が花(2020年公開)

《辻が花の歴史と魅力を解説》すべての色は「白」のためにある-小倉淳史さんの辻が花(2020年公開)

※こちらは2020年に公開した記事です。

その美しい呼び名のごとく、情緒豊かな染め技法「辻が花」。
幻の技法を蘇らせた名高き染匠・小倉家に生まれ、現代の辻ヶ花染を開花させる小倉淳史さんの作品展が開催されます。
戦国武将をも虜にした魅力的な染色技法がなぜ途絶えたのか?
辻が花の美しさを継承させるために大切にされている思いとは?
小倉淳史さんにお話を伺ってまいりました。

小倉淳史さんの辻が花 -すべての色は「白」のためにある。

染色工程の最後にカチンで墨描きをされる小倉淳史さん。
  • 第1章-「辻が花」は、友禅誕生前に一斉を風靡した染色技法
  • 第2章-なぜ忽然と消えたのか、小倉淳史さんの考えは・・
  • 第3章-空白の数百年を想像力で繋ぎ、今の時代の辻が花を咲かせる
  • 第4章-色は情、形は理性。すべての色は「白」のためにある

第1章-「辻が花」は、友禅誕生前に一斉を風靡した染色技法

小倉淳史作 九寸名古屋帯 「斜め取に草花文様」

辻が花は、絞り染めにより多色(白+2色以上)を染め分けることで「絵模様」を表現する染色技法。室町時代半ばに生まれ、江戸時代前期に糸目糊防染(友禅)ができるまで、文様を自由に染め出す技法として人気を博していました。

諸説はありますが一般的な見解では、まず庶民の間で麻着物の文様染めが流行し、やがて身分の高い方の絹着物が染められるようになると超絶技巧へと進化。老いも若きも、美しい辻が花の文様染めを身に纏った時代が100年以上続いたと言われています。

派手な衣装により自らを奮い立たせ威光をかざそうとした戦国の世の武将達にも辻が花染は愛され、時には金銀箔や刺繍で加飾された小袖(現代の着物の原型)や胴服、羽織が作られました。上杉謙信、豊臣秀吉、徳川家康は遺品が現存し、武田信玄は肖像画の中に小袖を着用する姿が見られます。

小倉淳史作 角帯 「斜め段に雪輪銀杏」 東京国立博物館所蔵の徳川家康の胴服の柄に着想を得た作品。

第2章-なぜ忽然と消えたのか、小倉淳史さんの考えは・・

小倉淳史作 創業40周年記念作品 プラチナボーイ 訪問着「四方の栄(よものさかえ)」

大流行した辻が花染めは、江戸時代前期の糸目糊防染(友禅)の普及とともに衰退し、やがて完全に姿を消します。よく「幻の辻が花」と呼ばれるのはそのためで、小倉淳史さんのお父様、小倉建亮さんが昭和初期に復元するまで、肖像画や所蔵品として残る美しい染めの技法を知るものは誰もいなかったのです。あれほど隆盛を極めた辻が花が、なぜ忽然と消えたのか?小倉淳史さんはこう考えていらっしゃるそうです。(こちらも、諸説あります)

「一つは、流行が永過ぎたのでしょう。いつの時代も人には新しいものを求める気持ちがあり、友禅染めへ皆流れていったのだと思います。
もう一つは、時代背景です。江戸幕府が開かれ、安土桃山時代の代表的な装いである辻が花を着ていると、豊臣家に心を寄せる者と思われかねない。
人々は皆、辻が花は箪笥の奥にしまいこみ、職人も作るのをやめたのではないでしょうか」

第3章-空白の数百年を想像力で繋ぎ、今の時代の辻が花を咲かせる

小倉淳史作 プラチナボーイ 九寸名古屋帯「椿につゆ芝」葉の先がわずかに重なり青海波を思わせる。

小倉淳史さんは、1984年より徳川家康や浅井長政婦人(お市の方)小袖等、数々の復元を手掛けられています。復元の仕事は、当時の時代背景や美意識、入手可能だった材料や技法、作らせた武将の個性や思い、作った職人の気持ち、あらゆる方面への想像の翼を広げ、理論ではなく具体的な形にするという、とてつもない作業です。

2004年にCBC TVに依頼された徳川美術館所蔵の徳川家康の羽織「波にうさぎ模様辻が花」の復元プロジェクトは、モチーフの一部が見られる幾つかの残欠から、家康の身体を包む羽織を再生させるという大仕事であり、小倉淳史さんはその総指揮を取られました。(美術館や美術誌等で、機会がありましたらぜひご覧ください)

「もしもあの時、辻が花が途絶えず続いていたとしたら・・」

小倉淳史さんはそのような気持ちで、今の時代に生きる人々を装う作品を作られていらっしゃるそうです。江戸時代初期に誕生した糸目糊防染(友禅)も、技法は継承されながらも、求められる美や意匠は時代とともに変化している。辻が花も同様に、その時代ならではの辻が花の表現があって当然である、と。

小倉淳史作 プラチナボーイ 男性羽織「雪輪重ね文様」降雪は翌秋の豊作を予告する吉祥文様。

「僕も負けへんよ、という思いで作っているんです」

徳川家康の羽織の復元を終えた後、VTRの中で小倉淳史さんはそのように仰っていました。その言葉の意図をあらためて伺うと、

「当時はビニールではなく竹の皮を使い、眼鏡も照明もないのに、これだけの仕事を成し遂げている。そういう技巧的な面と、何よりも『ハート』の部分。もっと面白いもの、良いものを作りたいという気持ちでは『負けへんよ』という思いで作っているんです」

復元作業を通じて知ることとなった安土桃山時代の職人達の手仕事は、お父様・建亮さん以上に、小倉淳史さんを刺激し、より高みへ導いてくれるのだそうです。

「帽子絞り」は、染め残す部分を縫い絞り、染料が入らないように上からビニールで覆いきつく縛りあげる。
「輪出し絞り」は染色したい部分だけが外に出るように絞る。

第4章-色は情、形は理性。すべての色は「白」のためにある

小倉淳史作 訪問着「清韻」 白く染め残された部分が光のように身体を包み、気品ある着姿を叶える。

2012年、2015年、2017年と、銀座もとじにてこれまでに3回の個展を開催させていただく中で、小倉淳史さんは染色表現における普遍的なことわりを「色は情、形は理性」という言葉で教えてくださいました。纏った時の文様のバランスの美しさと、心のひだの細部に訴えかける色の美しさ。そして、辻が花の特徴の一つである絞って染め残す部分、白場・白色の大切さを伺うと、このように仰います。

「すべての色は、白のためにあると言っても良いのです。白は純粋さ、白は品位。美しく色を染めたい、それは白を美しく魅せるためであるということです」

私たちは「色」を見ているようで実は、無意識に目に入る何にも染まらぬ「白」の美しさに心動かされているのかもしれません。その「色」と「白」の対比は、人の装いと心との関係にも似て、辻が花染めの作品鑑賞の面白さをより一層深めてくれるように思います。

小倉淳史作 九寸名古屋帯 「椿・イチョウに線四角散らし」

そして最後に、辻が花の作品をご覧になるときは、白場に施される墨描き「カチン染」にも、ぜひ目を凝らしてみてください。すべての染色工程が終わった後に画竜点睛のごとく、布への下絵なしで一気に描かれる繊細な描き絵は、見つめていると、その日その瞬間の小倉淳史さんの呼吸さえ感じられるように思います。


絞り染・辻が花
小倉淳史 喜寿記念展

小倉淳史 喜寿記念展

絞りはたいそう古くから日本に伝わり世界に広がりをもつ染め物で、表現の可能性を現在まだ大きく持っています。
この度の個展は 77歳の区切りとして開かせて頂きます。辻が花を中心とし、辻が花から発展した絞り染め作品を発表いたします。新しい色、形の表現をご覧頂きたく存じます。
私はこの先、何度もの個展開催は難しいと感じています。今回、是非皆さまにお目にかかり直接お話ししたく、会場にてお待ち申し上げます。

小倉淳史

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催事詳細

会期:2024年3月8日(金) ~10日(日)
場所:銀座もとじ 和染、男のきもの、オンラインショップ

ぎゃらりートーク

日時:3月9日 (土)10 ~11時
場所:銀座もとじ 和染
定員:30名(無料・要予約)

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作品解説

日時:3月10日 (日)14~14時半
場所:銀座もとじ 和染
定員:10名(無料・要予約)

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