今年で23年目を迎えた、泰明小学校での「銀座の柳染 課外授業」。1回目「柳の剪定」に続き、今回は「銀座の柳の歴史」について学びます。
銀座もとじ二代目・泉二啓太が銀座の柳の「歴史」の先生となって、泰明小学校5年生の皆さんと一緒に大講堂で授業を行い、午後からは奄美大島・大勝小学校の皆さんに向けて「オンライン授業」を行いました。
「銀座の柳」が繋ぐ縁
銀座で唯一の小学校・泰明小学校は、二代目・泉二啓太の母校。そして、奄美大島龍郷町の大勝小学校は、店主・泉二弘明の母校です。大島紬の産地として知られる龍郷町と、柳の歴史とともにある銀座、遠く離れた2つの地を実は「銀座の柳」が繋いでいます。
龍郷町からは、毎年「染めの授業」で使用する新鮮な泥土を送っていただいており、そのお礼として2008年、泰明小学校の「三世柳」から枝分けした「四世柳」を大勝小学校へ寄贈。その柳の木は、台風にも負けず、南国の光をあびて成長しています。
2017年からは、泰明小学校と大勝小学校の子供たちを繋ぐ「オンライン交流」もスタート。互いの町や学校の歴史・文化への興味が深まる中で、大勝小学校の皆さんからも「銀座の柳の歴史を学びたい」とお声がけをいただき、昨年は現地での初授業が実現。今年は伺うことはかないませんでしがた、初の「リモート授業」を行いました。
銀座の柳の歴史について
明治以降、埋立地である銀座の土壌に根付いた柳の木は、街路樹として愛されてきました。しかし関東大震災や空襲で大量に消失し、その後再び植樹されるも昭和40年代の都市計画により「一世柳」はほぼすべてが抜き取られ街から姿を消しました。
「銀座の柳」が人々の記憶からもなくなりかけた頃、銀座で商いをする男性2名が、朝日新聞の「目黒区に残る銀座の柳」という記事を目にし銀座の柳の復興運動を開始。元気な姿で残っていた、たった1本の「銀座の柳」から枝分けをし、歴史を彩った銀座の柳のDNAを引き継ぐ「二世柳」を蘇らせました。
「二世柳」は再び銀座の街に美しい景観をもたらし、昭和61年(1986年)には中央区の定める「区の木」に認定。「二世柳」は泰明小学校の校門前にも植樹され、その木から枝分けした「三世柳」が根付いた年、1998年より「銀座の柳染 課外授業」がはじまりました。