※こちらは2012年に公開した記事です。
1月末、例年にない大雪の東北地方、山形県米沢市赤崩にある草木染織作家 山岸幸一さんによる「寒染(かんぞめ)」と呼ばれる、真冬に行われる“紅花染め”を見学しに訪れました。 訪れた日は、最「高」気温がマイナス2度、例年の2〜3倍の積雪という静かな銀世界が広がっていました。
太陽と水と風の恵みを込めながら
東京駅を出発し、新幹線で降り立った米沢駅から、しんしんと雪降り積もる中を30分ほどタクシーで走り進んだ先には、山岸さんの工房である「赤崩(あかくずれ)草木染研究所」があります。 この季節は真っ白い雪で覆われている工房の敷地内には、紅花の畑や蚕を育てるための桑畑やクヌギの木があり、染料となる幾種類もの草木が植えられています。研究所の中には染め場があり、となりには高機が並びます。
店主 泉二が心から惚れ込んだ作家
「赤崩草木染研究所」に到着した私たちを出迎えてくれた山岸さんは、作務衣姿の上からでも、その腕の鍛え上げられた太さ、肩周りの筋肉の厚みが感じられ、その体つきからただならぬ何かを積み上げてきた異色の染織作家であることを感じさせます。 そんな逞しい体つきの山岸さんに「ようこそ」とやさしい笑顔で迎えられると、大きなものに包まれるようで、大雪に身構えていた心がふわりと軽くなりました。
山岸幸一さんは、銀座もとじの店主 泉二弘明が今から16年ほど前に、日本伝統工芸展でその丹精で美しく、それでいて力強い作品を目にし、一目惚れをした作家です。それまでに見たこともないような糸の風合い、色の美しさに感動し、
「紅一匁(もんめ)金一匁」 〜紅花の染液づくり〜 【1日目 午後3時】
澄んだ水の流れを運ぶ最上川沿いに建つ山岸さんの工房の東側の一角に「染め場」があります。 最上川は、ここ赤崩のあたりを上流部として日本海に流れ込んでおり、かつてこの川は、交通路として山形と京都や大阪方面をつなぎ、江戸時代には「紅一匁(もんめ)金一匁」と言われるほどの金と等しい価値をもった紅花が運ばれ、最上川流域である出羽の国を栄えさせました。
そこには、2つの木桶が置かれています。「紅花餅」を30度ほどのお湯にくぐらせてほぐし、紅色の染液を作るための筒状の「木桶」(手前)と、ほぐした紅花を麻袋で濾して澄んだ染液を入れたり、そこに糸の束を降ろして染めていく作業を行うための平たい大きな「木桶」(中央右)です。
「紅花餅」から紅の染液を作る 【1日目 午後4時】
「紅花餅」とは、毎年紅花の花弁がほころびはじめる真夏の7月頃に、紅花の萼の内側の白い部分から花弁を摘み取った後、発酵させて蒸し、餅つきの様に杵でつき、それを小さく丸めて平らなお煎餅状にし、天日でしっかり乾燥させて作った染料の元です。その製造工程の手間や伝統的に受け継がれてきた特殊な技術を知れば、まるで貨幣のような形状をした紅花餅が、金と同等の価値と言われてきたことに強くうなずけます。生花3キロの紅花から、僅か208グラムの紅花餅しかとれないという大変貴重なものです。 その紅花餅を500グラムほども筒状の木桶に入れ、人肌のお湯を注ぎながら丁寧に染液をつくっていきます。「木桶」を使うことで、熱の冷め具合が緩やかで、色素への刺激も少なく、赤色の抽出がじっくりと進みます。木桶の中で、丁寧にお湯をくぐらせながら、ゆっくりと紅花餅を揉みほぐし、次に、染色する際の媒染剤となる藁灰やあかざ灰を入れてゆっくりかき回し、そのまま3時間ほど寝かせます。この時も、お湯が急激に冷めないよう木桶の周りを厚い布で包み、徐々に温度が下がるよう細心の注意を払います。▲ 夏に作り乾燥させた「紅花餅」。500gほども木桶に入れ、人肌のお湯を注ぎ入れほぐします。
▲ お湯が急激に冷めないよう木桶の周りを厚い布で包み、徐々に温度を下げていきます。
われわれは、1回目の染料の抽出作業だけ見させていただき、この続きは、夜通しの山岸さんたちによる染液作りの作業を終えた翌朝、夜明け前の時間にその染液で糸を染めるところから、最上川の流れの中で発色を促す寒染の工程までを見せていただきます。この日は、山岸さんたちの3時間後2回目の染め場での作業までの間に、山岸さんたちの育てた蚕が繭となり、糸に紡がれるまでの工程の一部を見せていただきました。
自然界からいただく命の美しさを織物に再現 【1日目 午後5時】
工房の西側には、昨年の震災後に建て替えられた建物があります。 ロッジのようなあたたかい雰囲気の2階建ての建物の1階には、繭を冷凍保存するための冷蔵庫が並び、真綿や生糸をつくる道具が置かれたスペースがあります。
山岸幸一さんと久子さんと大典さん
山岸幸一という唯一無二な染織作家を父に持つ、久子さんと大典さんが、その父の背中を見つめながら生きてきたことで、今ここに家族でともに作品づくりに励む光景があります。価値ある伝統文化が後世に受け継がれていくという確かな場面に出会えることは、人をどれほど幸せな気持ちにさせることか。 われわれも、山岸さんのお嬢様の久子さんに教わりながら、「真綿かけ」を体験させてもらいました。水の張られた容器の中で、煮てやわらかくなった繭の中から、蛹を取り出し、親指と人刺し指をつかって、繭を両側に長方形に薄く広げていきます。
人間界の都合を捨てた、自然に歩み寄った暮らし 【1日目 就寝時間】
翌朝は、4時半にホテルのロビーに集合という約束をして、フロントに3時半のモーニングコールを頼んで眠りにつきました。 人々が寝静まっている真夜中、夜の闇が支配しているこの時間帯こそが、空気がひっそりと澄み、自然の精たちがのびのびと動き回っていて、染料づくりや糸を染めるのに適しているそうです。 山岸さんは、1946年、米沢市生まれ。紡織関係の高校を出たあと、袴などを中心に織る機屋を営んでいた家業に従事し、工業織物のものづくりを行っていました。
現代において、“自然の恵みをあつめて着物を作る”山岸さんの姿からは、伝統の価値と重みを学ぶと同時に、わたしたちが自然界の中に命を与えられて生きている生命体であるという当たり前のことをあらためて気付かせられます。それまで長年経験してきた「機械織り」とあらたに取り組み始めた「手織り」、「同じ原料、同じ設計でやってみても、明らかに違うものが出来上がった。機械織りのものはどっしりと重く、手織りのものは、素材自体の持つ風合いが活かされ驚くほど軽い」
紅花の命が糸に乗り移る 【2日目 朝5時】
真夜中の3時半に、わたしたちは再び山岸さんの工房に向かうべく起床し、体のあちこちにカイロを貼り付け、防寒対策を万全にして、真夜中の米沢の街を出発しました。カイロが無かったら、しのぐのが厳しいほどの寒さの中、街灯もない暗闇を15分ほど走り進めたタクシーが工房に到着すると、入り口が、ぱっと明るく華やいでいました。 まるで灯籠が並んだように、分厚く積もった雪の壁のあちこちが祠のように四角くくりぬかれ、一つずつ灯りが灯されています。降り積もる雪に映える真夜中の灯りがとても幻想的で、無数の灯りのお出迎えを準備してくださったおもてなしに、ほっこりと心があたたまった瞬間でした。
昨夜から真夜中にかけ、充分に紅花から色素を抽出させた染液を麻袋に濾して、平たい桶に移したものに「烏梅(うばい)」(梅にすすをかけて100日ほど地下で蒸し、天日で干したもの)という媒染剤を入れて、アルカリ性に調節しながら、綺麗な紅色の染液に仕上げます。そこに束ねて輪っか状になった糸を細い棒にくぐらせ、棒を降ろしながら、ゆっくりと浸していきます。
▲ 烏梅を入れ、アルカリ性に調節しながら紅色の染液に仕上げます。白糸が色を纏う瞬間。
真っ赤な染液に糸をひたすと、糸の束は水分をふくんで重くなります。その鍛え上げられた腕で山岸さんは、染液をたっぷりふくんだ重みのある糸を両腕にかけて、まるで赤子を抱くように優しいリズムで回転させます。そして今度は、その糸を前後に力強くリズミカルに振ります。 「こうすると糸のほうがびっくりして、ぱくっと口を開けて、紅の染料を吸い込むんだよ。」
山岸さん寒染め そういわれてみると、糸が「あっ」と口をあけたすきに見る見る赤味が増していくような感じがするのです。それを聞いて、思わず山岸さんが笑顔でわたしたちを迎えてくれたときのことを思い出していました。山岸さんに迎え入れてもらったわたしたちが、心を開き、心の目を開き、この場で山岸さんの一挙一動を見つめるように、糸も山岸さんに心を開いているかのようです。紅花の染液も山岸さんと一緒になって、糸の一本一本に色彩を与える仕事に励んでいるに違いありません。
糸が喜んで紅の染液を吸い上げられる環境を自然の時間の流れに合わせて無理なく整えてきたこの日。1年でもっとも糸が美しく染まる真冬、そして世の中が静まって空気の澄み渡った真夜中、山岸さんが蚕から育てて紡いだ愛おしい糸たちにとって一番いい環境の中で、紅花の命が糸に乗り移っていくのを目の当たりにした感動に心が洗われます。真夜中の染め場には、山岸さんの周りに沢山の精がいたような気がするのです。
真冬の最上川が紅色に輝きを与える 【2日目 朝7時】
深夜から始められた紅花染は、工房内での作業を終え、今度は、雪の積もった屋外に出て、最上川の流水で糸を綺麗に洗う事で終結します。 至るところ雪が高く覆っていて、小川にも分厚い雪のアーチがかかっており、
「行く末は 誰が肌ふれむ 紅の花」 【2日目 朝8時〜 帰路】
寒染めを終えた糸の束は、天日に干されます。小川で洗った糸を、よく絞って水気を抜き、改築された新しい建物の入り口近くに並ぶ竿に綺麗に掛け、真冬の柔らかい太陽と風に包まれながら、半日間干し上げられます。
山岸幸一 喜寿記念展
~植物染め 祈りの織物~
会期:2023年11月24日(金)~26日(日)
場所:銀座もとじ 和織、男のきもの
〈お問い合わせ〉
銀座もとじ和織 03-3538-7878
銀座もとじ男のきもの 03-5524-7472
(電話受付時間 11:00~19:00)