著者:外舘和子(多摩美術大学教授)
浴衣で発達した関東の染色―長板中形
浮世絵には、しばしば粋な浴衣姿の美人が登場する。重要文化財の喜多川歌麿《婦人相学十躰浮気之相図》(18世紀)では、鳳凰を単純化したような一対の尾長鳥の中形模様の浴衣を着た女性の姿が表現されている。浴衣は平安時代の湯帷子(ゆかたびら:入浴着)をルーツとし、江戸時代、木綿を中心に肌触りのいい湯上り着として普及し、明治時代には家着としてだけでなく外出にも着られるようになった。次第に柄も生地も多様化し、大正時代頃から縮緬や綿絽なども登場している。長板中形は、江戸時代以来、そうした浴衣の模様として発達した型染技法である。制作工程において、長い板と、小紋と大紋の中間程度のサイズの模様型(伊勢型紙)を使用することから「長板中形」と呼ばれるようになった。また、染には藍が用いられ、藍と白のコントラストで魅せる染色である。歌川広重の浮世絵《神田紺屋町》(19世紀)にも見られるように、江戸時代、神田をはじめ現在の東京都は、紺屋と呼ばれる藍染職人が仕事をする代表的な地域であった。
現在、長板中形は埼玉県や千葉県でも行われ、松原伸生は千葉県君津市で制作している。現代における長板中形に、松原伸生はどのように取り組んでいるのであろうか。
松原家に生まれて
松原伸生は1965年、松原利男の長男として、東京都江戸川区松島に生まれた。祖母、父の兄弟とその妻たち、さらにそれぞれの子どもたちが一つ屋根の下で暮らすという、当時でも珍しい大家族の中で高校生までを過ごしている。伸生の祖父である重要無形文化財「長板中形」の保持者・松原定吉(1893―1955)は、12人の子をもうけたが、上の6人は早くに亡くなり、長板中形の仕事は、「松原四兄弟」と呼ばれる福与(ふくよ)、利男、八光(はっこう)、與七(よしち)が協力し手伝っていた。家と仕事場は一続きで、伸生は自然と仕事場付近を遊び場に育っている。
伸生は松原家の子どもたちの内でも年下ながら最もやんちゃと言われた元気のいい少年であった。しかし美術や家庭科など手を動かすことも好きで、東京都立工芸高校のデザイン科で、図案や、商業デザイン、プロダクトデザインなどを学んでいる。同校は一年生から三年生までクラス替えもなく、一日中デザイン系の授業だけで過ごす日も設定されるような、専門性の高いカリキュラムが組まれていた。同校の先輩には彫金の桂盛仁や木工の須田賢司など、さまざまな領域の重要無形文化財保持者もいる。
伸生が長板中形を志したのは高校生の頃である。松原四兄弟の展覧会場で「父の着物を誇らしげに纏ったお客様が父にお礼を言っている姿を見て」父の仕事に憧れを抱いた(註)。また、もともと立体デザインに関心があった伸生にとって、型紙から着物への展開は、平面から立体へのそれに思えたという。
伸生が高校三年生になる頃、父・利男は松原定吉の家からの独立を考え、土地を探した。現在の千葉県君津市の土地は千葉県の陶芸家・神谷紀雄の紹介である。利男が家族を連れて土地の下見に行き、伸生に「どうだ? 」と引っ越し先への意見を尋ねたのは、息子にも長板中形をさせたかったからであろう。高校を卒業後、伸生は、後に自分の仕事場となる君津の工房で、父・利男の仕事を手伝いながら長板中形の極意を学んでいくのである。
型付だけでなく染までを手掛ける―祖父・松原定吉の先見性
技法としての長板中形は、もともと型付と呼ばれる型紙に糊を置いていく工程を指していた。江戸時代に分業で発達した長板中形は、型紙については伊勢型紙の型彫師が、型紙に糊を置くのは型付師が、藍で染めるのは紺屋と呼ばれる染の職人が行った。定吉と同じ1955年に長板中形の重要無形文化財保持者に認定された清水幸太郎は、糊置きのみを行う型付師である。しかし、祖父・松原定吉は型紙に糊を置くだけでなく、自前の藍甕を持ち、浸染まで行うという在り方に変更した。理由は生地に不具合が出た際、原因が型付にあるのか染めにあるのか揉めることを避けたかったためであるとされている。しかし、責任の所在を争わずに済むというだけでなく、染まで遂行することで染色品としての完成をみられ、また、型付がどのように染めに影響するかを自身の手と目で確認できるというメリットもあったのではないだろうか。
父・利男も、そして伸生も、定吉のように型付から染めまでを行い、長板中形を染色品として完成させる作り手である。おかげで、紺屋が激減した今日でも、制作を中断することなく、自らの求める長板中形の浴衣や着物を作り続けていけるのである。染織が量産の時代ではなく、一点ごとの芸術性を問われる時代、一人の作り手が、より多くの工程を手掛けること、部分だけでなく全体を把握する方向へ向かうことは自然であろう。定吉は図らずも後進を新しい時代の長板中形の担い手へと導いたともいえるのである。
長板中形の工程から―型付と藍染
松原伸生の長板中形の制作工程は大まかに三工程ある。第一に型紙・生地選び、第二に糊置き(型付)、そして第三が藍による浸染である。第二の糊置きでは糊そのものを作るところから始まる。型紙の模様にあわせてもち粉の生糊(きのり)に糠(ぬか)と石灰を併せたものを混ぜてその都度作る。水分量など、型紙の模様やその日の天候など適切な糊の粘り具合に調整したうえで使用する。土間の仕事場は、美しい苔が随所に見られるほど湿度が保たれているが、湿度や天候の変化に合わせて仕事を進めるのである。
まずは生地を貼るために長板の表面に金箆(かなべら)で糊を引く。程よい薄さで均一に、流れるような手さばきで一気に箆を動かしていかねばならない。糊を厚くし過ぎないためには箆の角度を寝かせ過ぎず、また板を傷付けないためには箆を立て過ぎず、箆の角度を適切に保ち、約6メートル半の樅(もみ)の一枚板の上に、一気呵成に糊を引いていくのである。切手の裏のように糊が引かれて乾いた長板の上に、霧吹きで水分を与え、刷毛でこすって接着力を復活させ、半反分の生地を隙間なく貼る。そこに型を順次送りながら糊を木箆で置いていくのである。生地の表に赤い顔料を入れた糊を置くのは、裏を型付する際にも糊の跡が透けて見えるので型付し易いからである。表が一通り済むと長板を担いで外に出し、天日で干した後、同じ長板の上で生地の裏側にも型付を行う。長板中形の糊は「付着」である。表裏を全く同じ模様で合わせるだけでなく、表と裏で異なる模様の型紙を置くこともできるのは、糊がそれぞれ生地表面にとどまるからである。なお、名前を入れるのは基本的に生地の表側である。
【上】松原伸生作 長板中形 綿着尺(左)「角つなぎ文」、(右)「割付菱格子文」398,000円※「割付菱格子文」第49回日本伝統工芸染織展 日本経済新聞社賞 受賞作 【下】藍形染(左)紬九寸名古屋帯「菱格子(二重)」 288,000円、(右)麻九寸名古屋帯「渚文」 340,000円
ここまでが、最も狭義の長板中形の工程である。しかし伸生は父や祖父同様、ここからさらに藍染の工程を進める。まず、地元の人から分けてもらう大豆に石灰を混ぜて豆汁(ごじる)を作り、生地に染液の定着をよくするための豆入れをする。続いて生地を屏風状に折りたたみ、伸子を使って等間隔に吊り、藍甕に浸けて染める。生地に負担がかからないよう折りたたむ要領や伸子の張り方に留意し、一本の竿のようなものに屏風畳みで吊るされた生地を、浸けては上げて空気に晒すことを繰り返す。藍は空気中の酸素と反応して次第に青く発色していく。利男が設置した藍甕は一般的な丸い甕ではなく、長方形の形をしており、浸染中、折りたたんで吊るした生地の糊が壊れたりする恐れがなく、またスペースの無駄もない。さらには一人で上げ下げできるサイズの藍甕である。極力一人で作業可能とする工夫を松原家では追求してきたのである。水洗いして糊を落とすと鮮やかな藍と白が浮かび上がる。
型紙・生地の選択という長板中形の重要工程
従来の文献では、長板中形というと前述の三工程の内の第二・第三の工程、即ちまず型付を説明し、続いて藍染が語られてきた。松原家のように型付だけでなく、藍染までを制作工程とするだけで、松原定吉の時代には長板中形の「異端」といわれることもあった。しかし長板中形を型染や友禅同様、染色表現の一つとして捉え、また松原伸生を現代染色の担い手として捉えようとするならば、型付と藍染の工程だけが長板中形の骨子なのではない。前述したように、第一の型紙選び、そして生地選びもまた、長板中形の重要な制作工程である。“どのように”染めるのかだけでなく、“何を”染めるのかは、制作者にとって極めて重要である。
作家は年に数回、伊勢に出かけ、型彫り師に会い、また型紙店を訪ね、膨大な数の中から型紙を選ぶ。直感で選ぶことが多いというが、「格子を基本に白場の多いもの」「吉祥模様で染まりの多いもの」など、予め希望を伝えておいて見せてもらうこともある。1987年に日本伝統工芸展、伝統工芸新作展に、翌年には日本伝統工芸染織展に初入選し、以後入選、受賞を重ねていくが、出品作を振り返ると、どちらかといえば具象性の強い大きく華やかな模様よりは、抽象的でクールな傾向の模様を選ぶことが多いようだ。また中形といっても2014年、第61回日本伝統工芸展で高松宮記念賞を受賞した《長板中形着尺「漣文」》のように、小紋の如く細かい模様もある。(但し長板中形の型紙は突彫を基本に彫られたものが多い。)松原伸生自身に拠ると、特に展覧会への出品作の模様については男性が着るイメージを持って選ぶことが多いのだという。銀座もとじは男性のための店舗もあり、作家にとって挑み甲斐もあるようだ。 また、木綿の生地にはやや大らかな爽やかさを活かす柄、麻の生地にはより上品な雰囲気のもの、あるいは絽など生地の組織を意識して選ぶなど、生地の素材や織との関係も吟味する。銀座もとじでは5回目となる今回の展覧会ではプラチナボーイを染めたものも登場する。どのような模様がどのような生地に、現代の長板中形作品としてふさわしいのか、生地の選択も制作の重要な一部である。
型紙を選ぶという行為は、歴史的文様の中に現代性を再発見し、今日的なかたちで甦らせる仕事である。長板中形は藍一色であるがゆえに、模様と生地と技術の関係がダイレクトに現れる世界でもある。縞のようなシンプルな模様ほど難しいとされるのは、型付のズレが目立ちやすいからというだけでなく、模様・生地・技術の関係も分かりやすいからである。
2017年、松原伸生は千葉県指定無形文化財「長板中形」保持者に認定された。21世紀の長板中形の展開を牽引していく一人として大いに期待されているのである。
註 筆者による松原伸生への取材、2017年2月23日、千葉県君津市の工房にて。