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「大島紬の歴史を辿る」~男の中の男を演出する西郷柄~|和織物語

男の中の男を演出する西郷柄

紬の中で、東の「結城紬」に対し西の横綱と言われる「大島紬」。シュッシュという心地良い衣擦れの音と軽快な裾裁き。着物でありながらスーツ感覚で着られ、雨に強く、皺にもなりにくい。緻密な絣合わせと織の技術で作られる着心地の良いお洒落な着物。それが「大島紬」です。 その「大島紬」の中でひときわ存在を輝かせる柄があります。今でも多くの人に愛され尊敬されている西郷隆盛にちなんだ「西郷柄」です。名付けられて100年以上の歳月が経っても色褪せない格調と完成された気品をたたえた男物大島紬の最高位です。 遠目には無地に見え、近寄ると細かい格子に緻密な絣柄が織り込まれた気品ある西郷柄は、着物はもちろん、長羽織としても、また大島独特のシャリ感を活かした塵よけコートに仕立てるのも素敵です。男のお洒落を演出する、素晴らしい技術の結晶を是非、堪能してください。

「西郷隆盛」の名に恥じないものを

格子の中にさらに細かい絣柄が入る緻密で複雑な織で表現される「西郷柄」は、どの製作工程においても最高の技術力が必要とされます。大島紬は分業体制ですから、各分野のエキスパートが揃わなければ「西郷柄」は作り出せないのです。 島の人々が愛してやまない西郷隆盛。 その名に恥じないものを作ろうと、長年受け継がれてきた最高の技術。 「西郷柄」は、今も奄美大島の誇りであり、男の中の男を演出する最高の柄として愛され守られているのです。

「西郷柄」はどこで生まれたのか

格子柄の中に絣を入れる図案に近いものは、太平洋に面している「戸口(とぐち)」や「赤尾木(あかおぎ)」で1609年からの薩摩藩支配時代には生まれていたと言われています。その後、明治時代の半ばに締機が導入されてからは、更に小さな格子の中に一層細かい絣をバランス良く入れていく技術を、それぞれの集落が競い合って来ました。
大島紬「赤尾木(ホーゲ)色西郷」 大島紬「赤尾木(ホーゲ)色西郷」
大正5年(1916年)頃からこの緻密な絣で作られた男物柄が『技術的にも品質的にも素晴らしい』ことから、島の誉であり縁の深かった西郷隆盛の名前を冠して、集落ごとに「戸口(とぐち)西郷」「赤尾木(ホーゲ)西郷」と誰ともなく呼ぶようになりました。

西郷隆盛と奄美大島の縁

西郷隆盛と奄美大島の縁は、1858年に始まった「安政の大獄」で西郷が薩摩藩を追われ錦江湾(きんこうわん)で入水自殺し助けられた時からです。表向きは死亡とされ、名前も変えて奄美大島に謫居させられました。心身ともに憔悴しきっていた西郷を救ったのは島の人たちの温かい心と優しい人柄でした。西郷はここで心の安息を取り戻し、暫くして龍家の愛加那(あいかな)という大島紬を織る美しい島娘と結ばれ、一男一女をもうけました。しかし時節が再び西郷を呼び、明治維新の大きなうねりに飛び込んでいったのです。維新の三傑、薩摩の誇り、そして懐の大きな人物と言われた男の中の男西郷隆盛は、男物の最高技術の結晶と言われる大島紬に脈々と生き続けています。

草木染の中で最高と言われる堅牢度を誇る大島紬 ―金井一人氏の染色へのこだわり―

大島紬は「先染めの織物」です。先染めの糸は不純物が取り除かれているので、糸自体の密度が高く強い糸になります。また泥染め大島紬は「車輪梅(しゃりんばい)」と「泥」で120回に及ぶ染め工程を施しますから『堅牢度は草木染めで最高』と言われています。特に銀座もとじが依頼している金井一人氏の染色工房では、昔ながらの作業工程を守り、その堅牢度は島一番です。 まず「車輪梅」の幹と根を小さく割り、大きな釜で14時間以上煮つめます。こうして出来た茶褐色の液汁を常温にしてから、器に汲み出しここに糸を入れて手でしっかり揉みほぐし液汁を何度も注いで最低30回は繰り返し染めていきます。その後、水で洗い、丸1日かけて乾燥させます。翌日は、泥染め専用の鉄分を多く含む泥田で、1時間以上かけて1枷(かせ)ずつ揉み洗いして丁寧に染めていきます(決して浸け置きはしません)。その後、工房内に持ち帰り水で洗って干します。この工程を1セットとして、4セット繰り返すのです。120回を超える車輪梅染めと四時間以上に及ぶ泥染めの繰り返しで、車輪梅のタンニン酸と泥田の鉄分が反応し、糸は柔らかくこなされ、化学染料では出せない独特の渋い黒の色調に染め上がります。

地糸染めの長田宮博氏

普段は絣糸に目が行き、なかなか関心を持ってみることはない地糸ですが、どの大島紬を作るのにも必要不可欠で絣糸と同じ割合もしくはそれ以上に使われている糸がこの地糸です。 特に黒の地糸は『絣、織りの良し悪しの決め手』となり「糸の細さ」「毛羽立ちのなさ」そして「深みのある黒色であること」など、かなり厳しい条件が課されています。
泥染め後、川で糸枷を叩き洗いする長田氏 泥染め後、川で糸枷を叩き洗いする長田氏
この染めに全精力を掛け18年以上染め続けている職人が長田宮博氏です。彼が染める糸は「黒色に深みがあり風合いも良く、織り易くて毛羽立ちが一切無い」と織子さんの間で評判です。彼のこだわりは金井氏と同じく決して手を抜かない「揉み込み染色法」。さらにもうひとつのこだわりが彼の作る糸を更に強くしなやかに、そして艶やかにします。
そのこだわりとは、120回を超える車輪梅染めと四時間以上の泥染めで仕上げた糸を春夏秋冬問わず、流れの綺麗な小川に持って行き、流水の中でしっかり洗うのです。洗い方も半端ではありません。小川の中にある平たい石の上に四角いゴムマットを敷き、1枷ずつ小川の水に浸したあと軽く絞ったら、そこに片側10回、持ち替えて反対側を10回、全身の力を使って叩きつけるのです。20回叩きつけると小川で綺麗に洗います。この作業を繰り返し1枷につき片側30回ずつ、合計60回叩くと終了です。 「なぜこんな腰が悪くなるような重労働を続けるのですか? 」と問うと「緯糸には油が、経糸には糊が付いているのね。私のところでは車輪梅や泥に浸けるから目に見えない泥の粒子や細かいゴミが付いているでしょ。マットで1回叩いたら手で3回洗うのと同じくらい汚れが取れるんだよ。それに叩くと糸がまっすぐになって強さもしなやかさも増すし、不純物が全部取り除かれてすごく綺麗になるんだ。良いものを作るには手間をかけないとね。」と答え、奄美大島の強烈な陽射しの下で、大汗をかきながら黙々とこの作業を続けていました。 誰が見ている訳でも、また着る人が気付くことも殆どないこの作業を『良い大島紬を作りたい』と願う一心で続けているのです。 「彼がいるから僕の染める絣糸も生きるんだよね」と工房の主人、金井氏は言います。「こういう職人がいるからこそ、そしてこだわり続けるからこそ「西郷柄」に代表される技術の高い良い大島紬が出来るのだ」という事実に、最高技術を持つ作り手を守り育てて行くことの大切さを改めて思いました。

大島紬は人から人へ

大島紬の技術は古より人から人へと伝わり、明治時代には、完全な分業体制となり、一人一人の職人が専門分野で最高の技を競い合って来ました。大切に作るからこそ、品質が守られ100年以上作られ続けて来たのです。特に「西郷柄」は西郷隆盛への想いと共に島の人々に誇りとされ、大切に大切に受け継がれて来ました。
大島紬「赤尾木(ホーゲ)色入り西郷(碧)」 大島紬「赤尾木(ホーゲ)色入り西郷(碧)」
男物大島紬の最高技術結晶と言われる「西郷柄」。 それを今も作り続けるため、昔ながらの工法にこだわり、歴史を汚すことのないように頑張る職人達。これだけ長い間生き続け、今もなお目に新しく素晴らしいと言われているものは他にありません。この最高の技術とチームで作った男物大島紬「西郷柄」を、 ぜひお手に取ってご覧ください。

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