季節限定のお洒落は着物の醍醐味。
お正月にふさわしい「縁起の良い柄」や「冬の柄」の着物や帯を集めました。
>>季節を楽しむ「お正月に」コーナー
辻が花染の第一人者、小倉淳史さんの染九寸帯です。
楚々と品の良いブルー系で染められた爽やかな作品です。
梅の枝をみずみずしい青で表現し、枝は薄水色、花を墨色で描いた、寒色系のすっきりとしたセンスが品の良い仕上りです。
梅は「春告げ花」として、お正月の装いにも最適です。
江戸小紋や小紋、きれい目の紬に合わせて。
年始の会食や観劇へ。
【工房レポート】
京都・釜座通にある工房を訪問。繊細な辻が花染めが作られる工程・技法を惜しげもなく披露くださいました。ぜひご覧ください。
>>2024/03 小倉淳史さん工房レポート
小倉淳史さんについて
日本の染織史上、最初の多色模様の染きものとして完成した「辻が花」。これを現代にいきいきと生きる「平成の辻が花」として新たな世界を作りだしたのが、小倉淳史さんです。
小倉家は、京都三大染工房「小倉萬次郎」「田畑喜八」「上野為二」の三家の内の一家、130年以上の歴史がございます。初代小倉萬次郎(まんじろう)は、明治大正の友禅会を代表する一人として永く活躍されました。二代目、三代目は優れた腕を持ちながら短命に過ぎましたが、小倉淳史さんの父、建亮(けんすけ)さんは、萬次郎さんから友禅を学び四代目となりました。しかしそれだけに飽き足らず、独自の作風を成すため、義母の実家(絞りの岡尾家)で絞りを学び、ついに『絞りの小倉』『辻が花の建亮』として名を成すようになりました。
小倉淳史さんは1946年、建亮さんの長男として生まれました。14歳にして最初の染色作品を作り、17歳には小倉家の家業を継ぐことを決心。高校に通いながら染色の基礎を学び、20歳には父の下に入り、友禅・絞り・辻が花の修業を始めました。
29歳の時に日本伝統工芸展初入選。その確かな技術とデザイン力が認められ、30代からは重要文化財を含む染織文化財の復元、修理にも携わるようになりました。徳川美術館や京都国立博物館所蔵の徳川家康の羽織や小袖をはじめ、多様な復元制作を実現されています。
復元で「古の匠」といわれた当時の最高の技術を備えた選ばれし職人たちの技を『伝承』という形で学び、伝統工芸展への出品作では「将来の着物美を『創作』する」という視点で制作。そしてもうひとつ、「創作と伝承の中間点」という視点を持って、現在の女性が着て美しいものを着物や帯に作り上げています。
小倉淳史さんについてはこちらもお読みください 中学二年生の恋に始まった染色制作から、徳川家康の羽織の復元まで、小倉淳史さんの物語を綴らせていただきました。
【和織物語】「小倉淳史 『創作と伝承』現代に生きる辻が花」
【和織物語】「絞り染の可能性を求めて - 小倉淳史の世界」
辻が花・小倉淳史~「過去」と「未来」の振幅の中から生まれる「現代」のものづくり~
【作家産地】「小倉淳史」のご紹介はこちら
「辻が花」とは
「辻が花」は、室町時代中期から江戸時代初めまでの間に制作された「絵模様絞り染め」の呼び名です。 鹿の子絞りとは違い、ひとつの絞りが葉一枚、花一輪、その形を表し、それぞれの色に染め分けられています。これは【輪出し絞り】という、とても難しい独特の職人技によるもの。地の色、花や葉の色ごとに絞り、染め、乾燥、糸ときを繰りし、さらには「カチン」という墨で花びらや葉脈を描き、隈取り(ぼかし)を施すという、大変な手間と技術が求められる技法です。
元は女性の小袖として着用されていましたが、後に男性たちにも広まり、武田信玄、上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など時代の頂点を極めた武将たちも愛用していました。また茶人、千利休や古田織部といった方々やその門人たちも折毎に好んで着用するなど、格の高い柄として確立されました。