小倉織作家 遠藤聡子さんの希少な角帯作品のご紹介です。
こちらは平織の博多織に「浮き織」を取り入れた、遠藤聡子さんならではの作風です。現在は広巾となっており、仕立ては半分に折ってかがりますので、リバーシブルで二柄楽しめるのも大きな魅力です。上等な紬や綿きものに合わせて、大人の上質カジュアルを演出いただける角帯です。
福岡県北九州市生まれ。幼い頃から伝統工芸に興味があり、学生時代に地元に伝わる「小倉織」の存在を知り、大学卒業後より小倉織の第一人者である築城則子さんに師事。中学の非常勤講師を務めながら修業を重ねられ、2015年に独立されました。
縞のみの平織が主流だった小倉織に「絣」や「浮織」を取り入れることで、凛とした強さの中に柔らかな印象をもたらす新たな縞模様の表現を探求されています。 築城則子さんの精神と手技を受け継ぎ、草木から丁寧に抽出された透明感のある色彩とハイセンスな色の組み合わせにより、小倉織に新たな風を吹き込まれています。
【作家産地】「遠藤聡子」ご紹介
小倉織について
小倉織(こくらおり)とは、江戸時代の豊前小倉藩(現在の福岡県北九州市)に人気を博した縦縞の柄が特徴の、良質な生綿の糸を撚り合わせて織られた大変丈夫で上質な木綿の織物です。
江戸時代に盛んに織られ、武士の袴や帯として人気を博していた小倉織は、幕末の戦乱の中で生産者たちが離散し、衰微していきました。明治26年頃になると、再び小倉織の人気が高まりはじめ、その丈夫さを活かして、学生服の布地として、再び大変な人気を得るようになりました。しかし、手間とコストのかかる手工業である小倉織は、1901年(明治34年)に起こった金融恐慌の余波などにより大正期に入ってから再び衰微し、その後、昭和初期には小倉織は途絶えてしまったのです。
築城則子さんが染織の勉強のためにあちこちの骨董屋さんに通っていた時、北九州市内の骨董店で見たこともない古い小さな布に出会いました。その布は、しっとりとした手触りをしており、縞模様で、木綿の生地でありながら絹のようにも思える光沢を放っていました。その布が“小倉織”。経糸に色の濃淡でくっきりとした縞模様が浮かび上がる小倉織のなめし革のような質感、光沢感、丈夫さ。この織をぜひ復元させたいと思い、研究を重ね、1984年(昭和59年)、築城則子さんがその復元を果たされました。